2015年12月08日

芸西望遠鏡の改造

 高知県芸西天文学習館の70㎝反射望遠鏡の一部改造の工事が行われました。70cmの反射鏡はF10ですが、天体を撮像するためにF7の簡易なレデューサが取り付けられていました。最近、これがメーカーによって本格的な5枚構成のレデューサーに交換され、合成の焦点距離はF5(3500mm)となりました。
 12月8日の夜には芸西チームによるテスト撮影が行われ、中でも接近中のC/2013 X1(PANSTARRS)彗星が見事な迫力のある姿に捉えられました。写真は下元さんによって画像処理された同彗星の雄姿で、7等級と8等級の上下2つの輝星に挟まれた絢爛たる写真となりました。彗星はきたる2016年4月の近日点に向かって、これからますます明るく大きくなって行くことでしょう。


C/2013 X1 (PANSTARRS)
2015年12月8日21時57分(J.S.T)から3分露出
70cm F5反射 + CCD

2015年07月14日

冥王星への想い

 いまNASAの無人探査機が接近中の準惑星「冥王星(めいおうせい)」は私が生まれた1930年に発見された関係で、私には特別な思いがありました。
 発見した当初はいて座であったという事ですが、その冥王星は現在同じいて座にいることに気づき、芸西天文台の70cm反射望遠鏡で撮影を試みました。下元(しももと)さんの調査では天の川の微光星の多い中に14等星として写っています(矢印)。約1時間後に2度目の撮影を行いましたが、遠いので2枚の写真を見比べても移動がわかりづらいです。しかし、2枚の写真を交互に表示させてみると、移動している様子がよくわかります(3つ目の写真)。

 私はかねてから疾患のあった心臓部の手術から退院後の2日目の観測行ですが、少し無謀かな、と自分でも反省しました。


冥王星
2015年7月15日0時頃
芸西天文台 70cm F7反射望遠鏡 + Nikon D700


冥王星周辺を拡大


1時間後に撮った画像と交互に表示
(中央で移動している天体が冥王星)

 1930年、冥王星を発見したトンボー氏について1970年代に取材に来たBBC放送のトーマスプロデユーサーは、「宇宙の驚異」と言う番組を製作するにあたって、世界中の有名な天文台を訪ね取材しました。まだ芸西天文台が無かった頃で、私の家にも来てロケを行いました。この取材の様子はイギリスの作家によって本になり、私も所持しています。
 冥王星は1930年トンボーが、ローウェル天文台2代目スライファーの指導の下、火星の運河説で有名な初代ローウェルによって始められた第9番目の惑星の捜索中に発見されました。
 BBCのトーマスさんはローウェル天文台でトンボー氏に会ったとき、彼はUFO(未確認飛行物体)を信じるただ一人の天文学者で、冥王星発見の話の他に余談として、謎の飛行物体の話を聞かされたそうです。「砂漠の中の天文台の上に良く訪れて旋廻する」と言ったそうですが、冗談なのか本気なのか判断できなかったそうです。
 天文の映画は日本では放送されませんでしたが、それを見たスミソニアンの故マースデン博士が「私もいずれ高知を訪ねたい」と言ってきました。彼の思いはハレー彗星の去った翌年の1987年に実現しました。

2015年01月01日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。
 写真は12月30日の彗星(C/2014 Q2)と、それを追跡する芸西の70cmのテレスコープです。ISO 1600のフイルムに10分間の自動追尾が正確に働きました。彗星は肉眼で見える5等級で、北に3度の直線的なタイプIの尾を見せています。


C/2014 Q2 (Lovejoy)
ISO-1600フイルムで10分間露出


70cm望遠鏡とオリオン座

2008年08月31日

小惑星第一号が発見されました

 芸西天文学習館の新70cm反射望遠鏡が完成し、村岡、下元、関による「プロジエクト芸西」が発足してから、最初の成果とも言える小惑星2008 QV3が誕生しました。これは8月24日に70cmでパトロール中に見つかった微光の小惑星で、翌25日にも観測し、中野主一氏によって概略の軌道が計算されセンターに通報されました。芸西にとっては、実に十数年ぶりの成果で、これを支えたのは、下元さん、村岡さん等の努力によるものです。新小惑星は19等より明るいものは少なく、やはり口径70cmが有効に働いたといえます。
 この頃沖縄の石垣島天文台でも新小惑星が見つかったそうで、昨年夏、石垣島に講演に行って、南の島が地理的に夏場での発見に有利なお話をしたことが、或いは発見に貢献できたかもしれない、と独り勝手なことを思ったりしました。
 いずれにしても、新天体は今後永く追跡観測されて、ナンバーをもらい、また命名という夢が拡がってきました。


2008年06月29日

梅雨の中晴れ

 27日は高知県も安芸市を中心とする東部で大雨が降りました。芸西の天文台もその中心で、被害が心配されましたが、28日の昼間、下元さんが見に行ったところ、やはり天井のスリットのわずかな隙間から雨が落ちて望遠鏡や絨毯の一部を濡らしていた由でした。下元さんがきれいに掃除し、夜になってお天気が芳しくないのを見計らって帰宅の途についたのですが、私は逆に、夜半には晴れると占って天文台に出発しました。その道すがら、同じガソリンスタンドで会ったのは意外でした。
 ”関予報士”の天気予報は当たることがあります。天文台では22時ごろから、見る見る晴れ始め、ご覧のような見事な「天の川」が天文台の上をまたに駆けて南北に走りました。とりわけ木星のある、いて座付近の星空は壮烈で、新星でも現れているかも知れないと思いながら、じっと眺めていました。
 夜明け前にはC/2007 W1(Boattini)が東天に低く6等星くらいで見えるはずですが、薄明が始まったころには、まだ地上0度で東の森の中に深く隠れています。いま地心距離が小さいので、もし見え出したら壮観かも知れません。

[夏の天の川の写真]
2008年6月29日 23時30分から20分露出
Nikkor 28mm F4  TMY400フィルム

2008年06月13日

物凄い天の川でした

 6月12日は芸西の70cm反射望遠鏡を製作した、京都の西村製作所の社長がやって来て、高知工科大学に関係者が集まって、今後の望遠鏡の改良点なんかについて話し合いました。大型天体望遠鏡というものは、完成直後から完璧というものはなく、観測者とメーカーがお互いにタイアップして、不具合なところは逐次改良し完成していくものと思っています。今回は特にレデューサの位置におけるF数の問題や、斜鏡によるケラレなんかが指摘され、今後の対応が話し合われました。
 夜は梅雨の中晴れというのでしょうか、講師の下元さんと夜半までドームの中でCCDのテスト撮像なんかの作業を行いました。雲がやや多かったのですが、下元さんが帰って後、西空から晴れはじめ、夜明け前には見事な星空となりました。


観測中の70cm反射望遠鏡

 それは物凄い天の川で、その光芒には立体感がありました。ドームの中では今見えている既知の彗星たちの位置観測のための撮影を行い、夜明け前30分間は15cmの双眼鏡で東天を捜索しました。明るいレンズに写る星は無類の美しさで、コメットシーカーで捜索するときこそ真の星の美を満喫する時です。ペルセウス座の二重星団は宝石箱からこぼれた無数の星屑。途中入ってきた三角座のM33は、何時か観たホームズ彗星のように大きく拡散して煙の渦のよう。全光度は5等級と見ました。
 星座の撮影は観測しながらの私の好きなモノクロフィルムでの結果です。


ドームの外から見た天の川
Nikon F80, 35mm F2, 60秒露出, TX400フィルム

2007年09月18日

対日照が見えました

 良く晴れた初秋の夜です。秋といっても叢で虫が盛んにすだくのみで、気温はまだ夏真っ盛りです。
 嬉しかったのは久しぶりにあの対日照がありありと眺められたことです。夏の天の川は西に傾き、その東側はバックの暗い星空です。そして、更に少し目を東に移動させていると、再び天の川に似た光芒に行き当たります。これが太陽と正確に反対側の空を白く染める「対日照」です。丁度夜半に天頂に輝くペガススの四角形と、ずーっと南方に独り輝くフォーマルハウトの中間の天空で、直径30度以上もあろうかと思われる大きな淡い光です。明るさは冬の天の川の暗い部分のさらに半分以下の光で、無論日本列島でも最高に空の良い土地でないと見られません。観測される皆さんも自分の場所で確かめてみてください。大正時代に京都で、中村要(なかむらかなめ)さんが見たのが、日本での最初の記録だったそうですが、その頃には、私の住む高知市でもきっとみえたことでしょう。昭和の始め頃には、広島県の瀬戸村に黄道光の観測所があって、本田実さんが、対日照も同時に観測して居られました。本田さんの最初の彗星発見の場所でもありました。今は、近くを高速道が走っているはずで、昔の名星空も見る影もありません。その点芸西はこうしてまだ黄道光はもとより、対日照も、見られる日があることは嬉しい限りです。これからだんだんと東に移って獅子座やおとめ座が背景にくる晩秋から冬にかけては、ますます良く輝くようになるでしょう。
 さて60cm反射望遠鏡による一連の彗星観測を終えてから、15cmのコメットシーカーで東天を捜索しました。今夜は小さいながらも経緯台で位置の割り出せるナビゲーターを使用しました。
 そうだった!
 42年前の今日は「イケヤ・セキ彗星」を発見した日でした。
 視野がクロイツ族のやってくる大犬座の東に向かったとき、特に入念に見ました。発見位置付近にNGC 2506の球状星団が入ってきました。あの時は機器が9cmと、小さかったので、恒星に分離できなかったけど、今回は双眼鏡でもあり、鮮やかに微光星に分解してみえました。ナビは正確にその位置を表示しています。無論「クロイツ組」はやってきません。一生に一度出会えることですら大変なのに、クロイツ族の彗星に二度も出会ったら大事です!。そのようなことを考えながら、視野はいつの間にか薄明の始まりかけた獅子座の方向に向かっていました。
 最大光輝の金星の明るさには驚かされました。そして懐かしいオリオンの星座にシリウスの輝きです。こうして暑くとも季節は確実に秋に向かっていることを感じました。


昇るプレセペと金星
2007年9月19日午前4時
ISO400フィルム 50mmF2

2007年08月29日

60cmに斜鏡を付けました

 昨夜は皆既月食で芸西の天文台では観測会が催されました。
 約40人(定員いっぱい)の参観者で賑わい、やや雲の多かったものの見事に見えました。やはり皆既中の赤い月は神秘的ですね。
 翌29日は講師の岡村啓一郎さんと、再び天文台にやってきてある作業をしました。天気予報では曇りまたは雨でしたが、お天気の予報と言うものは気象衛星が監視するようになってもなかなか当たらないものですね。今日も朝から暑い快晴でした。四国地方では向こう一週間以上も曇り雨の予報が出ていますが、そのように悪天が長く続くものでしょうか。
 これは今でも笑い話になっていますが、どっかの測候所に「黒松予報官」という人がいて天気予報を下していたそうです。しかし、昔の事ゆえなかなか当たらないので、「黒松」の名が当たらないことのシンボルにされてしまったそうです。大戦中に出征する人に上官が「お前たちは戦場に行ったら『クロマツ、クロマツ』を連呼しろ。さすれば敵の弾に当たらなくて済むだろう」と冗談を言ったと言う笑い話が残っています。
 しかしこれと反対に、ずぶの素人ですが、ある漁村の漁師は天気予報に大変長けていて、長い間の習慣から雲の様子や風向きによってその地方のお天気を見事に予報していたそうです。船で朝早く漁に出かける人はその老人の予報を何より信じて、安心して出かけていたと言います。また私が小学生のとき、自然の好きだった岡本啓先生のお話ですが、ある年の夏休みに足摺岬に近い漁港から船頭を雇って南の離島に地質の調査に出かけたそうです。天気は快晴でしたが、土地の気象に詳しい老練な船頭は、「今日の風向きだと午後にはしけるので、早く迎えに来ます」と言ったそうです。半信半疑で仕事をしていた岡本先生は、午後に入って本当に天候が悪化したので、船頭の予言は正に的中したと驚いたそうです。こうした猟師たちの長い経験に基づく予報術が文献として残らなかったことは極めて残念ですが、天気予報というものはあながち数値ばかりに頼るのではなく、現場に立ってのある程度の勘というものが必要ではないか、と思いました。
 さて天文台では今の60cm反射鏡に斜鏡を取り付ける作業を半日かかりで行いました。芸西の60cmは天体写真儀ですから、ニュートン式の斜鏡を付けて横から覗く形式にしていなかったのです。天文台開所以来倉庫に眠ったままになっていた25cmの副鏡を初めて装着し、60cm鏡がダイレクトに覗けるようにしました。斜鏡はなんと重量が16kgもあり高いところでの作業が困難を極めましたが、危険を犯しながら何とか装着しました。鏡筒のバランスを完全に取りました。これで今まで出来なかった60cm鏡によるあらゆる天体の眼視観測が可能となります。そして写真は6x7のサイズから一回り小さな35mmのフルサイズとなります。つまり今まで20cmの屈折に頼っていた眼視が本物の看板どおりの60cmで覗くこととなったわけです。
 さーて、視野平坦化レンズを取り除いた完全なパラボラ鏡のイメージがどの様なものか、近日これで写真を撮ってお眼にかけましょう。

8月28日の月食
芸西天文学習館で川添晃氏写す

2007年07月15日

そこにマウナケアの天の川が....

 台風一過、なんと言う素晴らしい晴天でしょうか。窓に映る青空は深淵を思わすような、深い蒼です。
 芸西の星も今夜は生きていました。天の川全体の光が天地を圧倒して私達が本当に銀河宇宙の中に位置していると思うくらい、立体感をもって迫りました。10年前に見たあのマウナケア山頂の物凄い天の川を連想しました。
 C/2006 VZ13 (LINEAR)は最初小惑星として登録された天体ですが、いまや彗星としての本領を発揮しました。夕空の北空を急速に南下する姿を芸西の60cm反射望遠鏡が捉えました。8cmのファインダーでは明るく7.5等星で、コマは7分角と見ました。ここしばらく夕空で楽しめるでしょう。
 夜半を過ぎてから東天の捜索に移りました。今夜久々に15cmの双眼鏡にナビを設定しました。三角座のM33が驚くほどに大きく明るく見え、全体の光は優に6等星を超えていると思いました。
 朝方になって、懐かしいスバルやヒアデスの散開星団が見えてきました。1964年の今頃浜松の池谷(いけや)さんが、このヒアデスの中に7等星の彗星を発見したことを思い出しました。結構低い位置です。
 夕方の20時から天文台に来て、なにやかや結構忙しい一日でした。4時前、明けの薄明を背負う様に西に向かって走り帰宅しました。捜索を行って美しい星をコメットシーカーで眺めた日は爽快な気分です。これぞ彗星の捜索者のみの知る、世界でしょう。


C/2006 VZ13 (LINEAR)
2007年7月15日 21時01分(J.S.T)から10分露出
60cm反射望遠鏡 TMY400フィルム

2007年05月19日

奇妙な赤い星

 5月19日の夜から20日の明け方にかけて観測しました。
 いま眼視で見えている彗星は夕空の北空を西進中のC/2007 E2 (Lovejoy)と朝方東天に高い96P/Machholzくらいのものでしょうか。Lovejoyの方は20cm屈折望遠鏡で覗くと11.5等位のかすかな光斑で、60cm反射望遠鏡での写真では15等くらいの鋭い核があります。間もなく眼視では見えなくなるでしょう。一方太陽に接近して明るくなったマックホルツ彗星ですが、この日全光度としては12等位ですが、モーションが早いので60cmで10分位の露出を行うと鋭い恒星状の線を引きます。極めて淡い光芒が大きく拡がっているようです。これはFの暗い反射鏡の写真では残念ながら写りません。

96P/Machholz
2007年5月20日 2時30分(J.S.T)から10分露出
芸西天文台 60cm F3.5反射望遠鏡
TX400フィルム

 さてドームの中での一連の観測を終えてから、夜明けまでの1時間余り、スライドルーフの小屋に移動して捜索を行いました。アンドロメダのM31やM32が驚くほどの明るさで入ってきました。空の透明度は非常に良いようです。つい先刻から気が付いていましたが、アンドロメダのガンマー星の5度ほど西に珍しく赤い熟れたほおずきのような色をした2等星が輝いています。15cm25xで視ると明らかの30"くらいの丸い円盤体で、視野に入った瞬間「火星だ!」と思いました。接近中の火星のイメージそっくりだったのです。しかし良く考えてみると、このように黄道から北に大きく外れた位置に惑星が存在するはずがありません。完全に静止した2等星です。しかも夜明けまで30分以上も輝いていたのです。「一体この星はなんだろう?」と思いながら視野をはずしてしまったのです。そのとき実はまだ火星としての認識が高かったのです。
 帰宅してから大いに疑問が残りました。詳しい位置は分かりません。しかし経緯台には幸いなことにナビをセットしてあり、それで観測した位置を野帳の片隅にメモしてあったのです。
5月19日27時30分(20日3時30分)
赤経 1時38分
赤緯 +44度30分(但し分点は2007.5)
光度2等
肉眼で見た光景でも、青いガンマーと並んで、ほぼ同じ明るさで真紅に輝く恒星の姿は異常でした。
 先の5月16日に、中国の紫金山天文台で2.7等の星が発見され、その後消息を絶つ事件がありましたが、今回の場合も、もしこのまま消えたとすればミステリーですね。アンターレスよりも赤いあの星の正体は一体なんでしょうか? 早くも夏空の怪談です!!

2007年05月15日

「月刊天文ガイド」が取材にきました

 5月14日~15日と「月刊天文ガイド」の佐々木夏記者と漫画家でライターのえびなみつるさんほかが取材にやってきました。もっともこのことは先に新潟県で「彗星会議」があったとき、参加していたお二人から申し込まれていたことでした。漫画家のえびなさんは1965年10月に「イケヤ・セキ彗星」に出会ったこと(中学生のとき)がきっかけで天文の道に入ったそうです。このとき彼が長崎県江迎町で撮った彗星のモノクロ写真は見事で私のホームページの「思い出の彗星」に使わせてもらっています。
 取材では私が高校生の時「ホンダ彗星」に出逢って彗星捜索にあこがれたことや、発見までの人の知らない苦労談についても話しました。芸西の天文台では、旧式ながら今なお現役の60cm反射赤道儀と共に写真を撮りました。重さが5トンもある巨大な鏡筒を電気系統の故障のため体で動かしている様子は、まるで重量挙げそのもの、昔日本軍が旅順の二零三高地を攻めたとき、砲兵が40センチ砲を懸命に操作している姿に見えたようで爆笑を買いました。(内緒にしていましたが重い望遠鏡を動かすための体力作りに今ジムに通ってトレーニングを積んでいるのです!?)
 60cmは故障のまま一年近くも手動で動かしているのです。しかし天体の位置はデジタルできちんと表示しますから、観測には差し障りありません。巨体の中にミクロの精度が同居しているのが天体望遠鏡です。
 この望遠鏡が出来たとき、「この器械と討ち死にするつもりでがんばる。」と心に誓ったことが今現実となって迫ってきているようです。
 このような一途な私の姿をうまく写真と文で表現していただきたい、と願っています。雑誌には7月号(6月5日は発売)にのせるそうで、ほかのコメットハンターの方にも取材が行くそうです。

2007年04月29日

明るい人工衛星

 今日は芸西天文台の公開の日で大庭(おおば)講師とともに25名ほどの参加者を対象に観測会を開きました。あいにく満月に近い月明がありましたが、気流がよく安定して金星や土星等の惑星が美しく見られました。
 19時25分でした、明るい人工衛星が西北の空に現れて丁度頭上を通過し東南東の室戸岬の方に飛んで行きました。明るさはなんと木星くらい(マイナス2等)、オレンジ色で飛行機特有の明滅はありません。またこの方向に飛ぶ旅客機はありません。爆音も聞かれませんので、恐らく大気圏内に接近してきた人工衛星だと思います。人工天体は1959年ごろから見てきたのですが落下寸前の衛星以外にはこのような明るいものは見た事がありませんでした。
 21時に観測会が終了して、西空のC/2007 E1マックノート彗星を観測しました。15等星くらいに落ちていました。

2007年04月18日

早くも夏の天の川

 春4月中旬とはいえ、異常に寒い一日でした。梶が森天文台のある大豊町の山は完全な雪景色となったようです。
 このような日は星も冴え夏の天の川が恐ろしいばかりに地上に迫り、暗いおとめ座付近にはかすかに対日照も見える位でした。
 60cm反射望遠鏡による一連の位置観測を終えて朝の1時間を捜索しました。途中入ってきたマックホルツ1彗星は8.5等星でコマは2.5分角、かすかに尾が放出されているように見えました。
 アンドロメダ座のM31も久々の対面でしたが、空の透明度が高いので驚くほどの大きさでした。この日はナビゲータの面倒な設定をやりましたので、薄明の低空でも安心して捜索できました。


夏の天の川
4月19日3時撮影 ISO400フィルム 30分露出
24mm F3.5 レンズ

2006年02月24日

 春爛漫とは行きませ

 春爛漫とは行きませんが、あちこちに春の花が咲き始めて良い季節となりました。今日は家から西に7キロほど歩いて塚ノ原の理髪店に行きました。歩いてみると案外早く着きしかも運動になっていいですね。
 昔、芸西までの37kmを片道3時間で自転車で通いましたが、今度は歩いてみましょうか。
 古い町中を歩いていると迷路の巷に入ったりして、普段見ることのない珍しい風景に接することがあります。小学生の頃、遠足に行った旭天神町の水源地付近で人家の庭にそっと咲いた白い花に見惚れていると、誰が弾くのか、ギターであのバッハのバイオリンパルティータの中の「フーガ」を弾いているのです。有名な「シャコンヌ」と共に永遠の憧れの名曲であり難曲だと思っていたのに、一体誰がこのような廃墟のような古い住宅街であの名曲を弾いているのか?
 映画「第三の男」の全音楽を担当した無名のチター奏者アントン・カラーのような人がこの下町の中に密かに住んでいるのでしょうか。A・セゴヴィアのように全世界を股にかけて活躍しなくても、人知れずここに名手あり、というのも価値高くていいですね。案外世界にはそうした葉隠れの名がたくさんいるのではないでしょうか。

 さてお天気が悪く、これからは春めいてくると高知では滅多に晴れません。C/2006 A1 (Pojmanski) が朝方見え出したようですが、ドームを持つ大形のテレスコープはドームのレールの高さの関係でいくらでも低空には向きません。昔の堂平や木曾では10度~15度以下が隠されて、それより下は観測不能。芸西は5度まで向きますが、それ以下になるとモーターが自動的に停止します。それにあまりに低空は観測の精度が上がりませんのでプロは嫌うようです。今回は軌道も比較的落ち着いていますので、もう少し上がるのを待ちましょう。
 73P/Schwassmann-Wachmann 3のC核は2月24日には少し明るくなり(14.5等?)尾が確かに伸びてきたようです。
 他の核はまだ断然暗いようですね。

2005年08月15日

 第二次大戦終結60

 第二次大戦終結60年目の記念日です。夏真っ盛りの暑い1日でしたが、各地で終戦の記念行事があり、日本列島はそれにも増しての熱気の1日となりました。あれから60年、思い出は茫々としてかすんだのですが、60年前のこの日、そしてこのとき私は高知市の比島山に居てその事を知りました。当時中学の低学年だった私は本土防衛のための勤労奉仕の一環として関東軍の指揮下にあって、軍人とともに作業していたのです。比島山とは当時の高知市の東北部にある低い山で、字の通り昔は太平洋に浮かぶ小島。江戸時代に川谷ケイ山という暦学者が居て宝暦9年9月1日、当時の暦にない日食が起こることを指摘し自ら観測で確かめたのがこの比島山でした。
 山の頂上には無人のお寺があり、その裏山に誰が掘ったのか、不思議な洞穴があリました。遊び盛りの私たちは昼休みのひと時、探検と称して雑草に埋もれた真っ暗な穴に入ったのです。ところが意外と洞窟は長く続き好奇心と半ば恐怖に襲われながら凡そ50mも進むと急にあたりが明るくなり外に出ました。そこは美しい原っぱになっており、眼下に空襲で焦土となった高知市が海の如く拡がっていました。空は美しく晴れ、はるばると続く市街の廃墟は、まるで一幅の絵を見るように何の変化も起こりませんでした。真夏の太陽は容赦なく照り付け、空には何事もなかったように赤とんぼが舞っていました。このとき私の心には「国敗れて山河あり」の言葉がふと浮かんできました。

 さて現実に返ってこの15日、夜は天文台に行きました。故障した60cm反射望遠鏡のその後の調子を見るためですが、空が素晴らしいので結局朝まで残って観測しました。ドーム周囲の叢では早くも秋の虫たちが盛んに合奏しています。とりわけ「チンチロリン」と鳴く松虫の声が可愛く澄んで赴きを添えていました。60cmは微動のガイドが出来ませんが、ともかくくじら座を運行中の新惑星の可能性がある「2003 UB313」に向けてみました。撮ると言うよりガイドできない60cmの追尾の調子を確かめたかったのです。30分で3″もずれません。追尾は満点です。しかし気温の高い夏は20等以下の微光天体は無理でしょう。いま冥王星が太陽系最遠の惑星になっていますが、発見当初もし今のようにカイパーベルト上の天体が知られていたらどのようになったのでしょうか。
 忙しいプログラムをこなしながら3時から東の空をコメットシーカーで捜索しました。面倒なのでナビはセットしませんでした。M1を久々に見ました。そして4時には懐かしいオリオンのM42が視野を訪れました。ぎょしゃ座の無数の散開星団の美しさには心が洗われます。そして終って黎明を迎える時のすがすがしさ。捜索は収獲が無くとも真の星の美を探究できる素晴らしい作業です。心に人間らしい美しさとゆとりを与えてくれます。誰も知らないコメットシーカーの中の星の世界!
それを満喫するだけでも素晴らしいではありませんか!!

2005年08月12日

60cm反射望遠鏡はまだ故障中です。

 恒例の「アストロ教室」の第3日目です。何とかお天気に恵まれ芸西では、早くもツクツクボウシが鳴いています。しかし暑さは真っ盛りです。
 2日前まで五藤光学のサービスが来て、2人がかりで60cm反射望遠鏡の修理を行い、なんとかモーターが回転するようになりましたが、肝心のリモコンが作動せず精密観測ができません。赤経のデジタル表示も怪しいようです。モータードライブは非常に良い追尾をしますが彗星のモーシヨンに合わせた細かいガイド観測ができません。したがって暗い天体の撮影が困難です。
 この日はシーイングが大変良く木星の表面のディテールが見事でした。

 教室が終った後、彗星捜索用の双眼鏡に位置を知るためのナビゲーターを取り付けてみました。予め2つの恒星の位置を記憶させてから捜索中に現れる彗星様の天体の位置(赤経・赤緯)を知るものですが、慣れないのでセッティングが大変です。急いだときはナビなしで観測しそうです。但し双眼鏡の水平度が完全でないので誤差は15分角出ました。しかしこの表示された位置にすべて頼るのではなく、1度以内の誤差ならOKで、あとは視野のスケッチに頼ります。ですから初めての試みとしては成功です。昔は方位角と高度から赤経・赤緯に換算して誤差も5′以内に押さえていましたが、今回は双眼望遠鏡を固定していませんので、これ以上の精度は無理のようです。ナビの赤いデジタルの位置表示は小さくしかもつぶれて大変見難いですが、しかし薄明の明るい中で彗星らしい天体を捕らえたような場合、これほど力になるものはないでしょう。赤道儀で観測しているようなものです。
捜索の秋がかすかな足音をたててやって来ているようです。

2005年07月26日

ブロニカECで夏の天の川を撮りました。

 天文台の公開の日で県外から団体のお客さんが40名ほど来てごった返しました。もっともメインの60cmは故障していますから予備の小さな機械での観測会となりました。
 この日は私の担当ではありませんでしたから、私は自分の小屋で星野の撮影を行いました。昔、買っていた「ブロニカEC」で天の川を写してみました。レンズはニッコール75mmF2.8で、このレンズに惚れて買ったものでした。コマは端から中心に向かうニッコールレンズ特有の珍しいものですが、全体にピントは尖鋭なようです。第一バルブ露出のみ機械シヤッターと言うのがよい。
 さそりのしっぽ近くのメシエの散開星団のやや西の新星が9.2等の明るさで写っています。この程度ですと75mmレンズでは、判定に苦労するようです。全体に露出オーバーな天の川の写真となりました。翌27日21cmのイプシロンで撮った写真では8.1等になっていました。芸西天文台通信2005年7月27日号をご覧ください。
[ブロニカECで撮った夏の天の川]
ブロニカECで撮った夏の天の川
2005年7月26日 20時30分(J.S.T)から10分露出
TM400フィルム