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2008年02月11日

60cm最後の観測は小島彗星となりました

 下元さんが、ファーストライトに対し、最後の観測のことを「ラストライト」という表現をしていましたが、正に60cm反射望遠鏡の最後の観測は、今明け方の空に輝いている小島周期彗星(70P/Kojima)になりました。
 芸西の天文台は1981年にスタートしてから一体何千枚の写真を撮影したのか?とにかくその最後のコマが小島彗星となり、その映像をここにお眼にかける次第です。
 1971年の小島彗星の発見には些か面白いエピソードがあり、それは近日このホームページの「ノンフイクション劇場」にて発表しますが、この発見が、今日まで続いている「彗星会議」の記念すべき第一回の発火点となったことは案外知られていないようです。長谷川一郎氏が編集発行していた「山本速報」の第1733号に、彗星会議第一回の発起人として(関 勉、小島信久、長谷川一郎)の名があります。
 さて永い間行方不明になっているネウイミン第2彗星(25D/Neujmin 2)と小島彗星との関連も面白いですね。全く別物と判定された今も、ネウイミン第2彗星が、小島彗星に化けてしまった、と思いたくなるほどに、この両者は軌道が似ていました。
 小島さんとは、また最近連絡がつき、25cm+CCDの画像が送られてきます。"夢よもう一度"というか、再び新発見への意欲を燃やしておられるようです。
 芸西の60cm反射望遠鏡は2月13日からこれを作った五藤光学が入り撤去作業が進められています。ガランとした天文台の空には相変わらぬ美しい星空が輝き続けることでしょう。去り行く60cm反射望遠鏡への思いを語ったNHKのラジオ深夜便は3月10日に再放送されることになりました。

70P/Kojima(小島周期彗星)
2008年2月11日 1時41分から20分間露出(J.S.T)
60cm F3.5反射 Fuji Acros 100フィルム

これが60cm反射望遠鏡の最後の写真となりました

関連
 芸西天文台通信2002年11月7日

2008年02月08日

なかなかしぶといホームズ彗星

 なかなかしぶとい彗星ですね。
 ここ芸西天文台では、まだ肉眼で悠々と見えています。
 コマは大きくまるで綿菓子のように膨らみ、2月8日に関が70mm10xの双眼鏡で見たところ、5.1度の視野の三分の一もありました。1.7度というところでしょうか。しかし20cm40xの屈折鏡で見ても、拡散したコマは全然見えません。肉眼か明るい双眼鏡の世界です。
 こうなると全光度の推定が大変に難しくなります。例えば三角座のM33は7等星の銀河と言われていますが、私が30年ほど前に岡山天体物理観測所の188cm反射望遠鏡を覗いたところ、大変に暗い天体でした。しかし芸西では肉眼で幽かに見えるのです。全く信じられないことですが、このようなことが現実にあるのです。今回の異常に拡散したホームズ彗星は、そのコマ全体の暗い輝きを、もし一点に集めたとしたら、意外と明るい光度になるかもしれません。これが全光度と言うものです。
 このつかみ所のないモーローとしたホームズ彗星を見ている時、ふと地球の第二衛星のことを思い出しました。もうかれこれ40年にもなるでしょうか。ある天文学者が月から90度はなれた所に力学的にいって宇宙のチリのような天体が集まって、モーローとした地球の第二の月を形造っている、と言って自らチェコスロバキア(現・スロバキア)のタトラ山中の非常に空の暗い山に入り35mmカメラで確認した、というのです。このことが一般に広まるようになって、猟奇な事件に興味を持つIkeさんが早速F値の明るいレンズの付いた35mmカメラを持って冬の凍る石槌山系(1982m)に上がり撮影を試みたのです。イケヤ・セキ彗星の発見されたすぐ後のことで、彗星が白昼太陽のコロナの中に入ったときには、海に山に、まさに東奔西走の活躍を続け、時には大変な危険をも犯して、”天文冒険家Ike”の名をほしいままにしました。
 暗くモーローとしたホームズ彗星をじっと目を凝らして見ているとき、あのときの第二の月も丁度このようなイメージかもしれないと思い、ふとあの頃のことを懐かしく思い出してしまいました。


17P/Holmes(ホームズ彗星)
中央の明るい星はペルセウス座のベータ星で、
その左にある拡散した幽かな光芒がホームズ彗星
2008年1月25日 20時00分から10分間露出(J.S.T)
Nikon FM 135mm F2.0 Fuji 1600フィルム