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2004年11月30日

 今日で11月もおし

 今日で11月もおしまいです。昨日は薄明と明月のわずかに暗い谷間に星を求めて芸西に走りました。久し振りに西北天にまだ明るいC/2001 Q4 (NEAT)を観測しました。
 先日の25日芸西に来られていた望月征司さんからメールがあり、あれから梶が森の天文台をたずね、そして祖谷(いや)のかずら橋等を見物して帰ったそうです。望月さんは芸西の60cmを設計した人で、その望遠鏡で発見した星に”Mochizuki"と命名されています。そのお礼と今後の60cmのメンテなんかについて、県の人を交えての相談とアドヴァイスを与えに来られたのです。製作から20年以上が経過して老朽化し、また専用に使用していた命の6415テクニカルパンが発売中止となり、CCDへの移行を視野にいれての節目に来ています。芸西がこれから更なる発展をするのか、滅亡するのか、それは我々の努力にかかっています。望月さんが来台中に天文台は折からの秋の落日を迎えました。私は美しい入日を眺めながら、天文台が落日でないことを祈りました。その異常な美しさには、未来への希望が感じられました。
[望月氏との記念写真]
望月氏(右)と共に60cm反射の下で

[芸西天文台と落日の写真]
芸西天文台と落日

2004年11月15日

 秋らしい快晴の暖か

 秋らしい快晴の暖かい朝、高知市の南に聳え立つ鷲尾山(300m)に登りました。
 頂上からの眺めは素晴らしく、遥か北に四国中央山地の山々を、そして南の眼下に高知市の海の玄関、浦戸湾を眺めることができます。しかしそんな事より私にとって忘れられないのは、1962年の「セキ・ラインズ彗星」を追っかけた山で、もうあれから42年になります。
 私の立っているところに昔、鳥居があって、高校生の頃初めて試作した小さな屈折望遠鏡で自宅からテストに眺めたことでした。そして夜には庭の片隅で木星を見たりして、独り歓声を上げていた新前だったのですが、その頃、秋冷の夜空には”ホンダ彗星”が輝いていたのでした。一少年の小さな手紙を取り上げて返事を書いてくださった本田さんの暖かいお心は今も忘れません。
 さて鷲尾山の頂上からから東に下って途中道に迷い猪が出没するという深い雑木林の中で小休憩をとりました。木立の間から北の高い石鎚連峰の峰が輝いています。このとき私はふと室生犀生の「どのような低い山にも深山はある、、、。」という詩を思い出していました。犀生は雑草に覆われた低い山で、遠くに聳える大山を眺めながら独り女性のことを考えましたが、私は同じ”低い深山”でホウキ星の事を考えつづけました。
 昔はどのような寂しい山道でも、あるいは繁華な雑踏を歩いているときでも彗星を発見するかについて考えつづけました。その心はいまも少しも変わっていない様です。結局今日は5時間ほど費やして15kmを歩きました。
 そして夜は芸西の天文台へ。


鷲尾山頂上から浦戸湾を見る


鷲尾山の頂上にて

2004年11月10日

 秋晴れの良いお天気

 秋晴れの良いお天気に恵まれるようになりました。
 今日ギターのレッスンでやって来た女子高校生が、
「先生!昨日の夕方変な雲を見ました。学校でも話題になって、先生が、もしかすると地震の起こる前兆かも知れないね、、、、と言っていました。」
とやや興奮した口調で言うのです。
 私はその頃偶然、鏡川大橋の上を車で通過中で、夕空にそれを目撃しカメラに収めていました。雲を撮るのが趣味なのです。その現象は別の関係からも話が複数入っていましたので余程珍しい現象として多くの人の眼に映ったのでしょう。
 しかしそれは飛行雲の仕業です。多くの飛行雲の織り成す夕雲の綾です。暖かい飛行雲が秋冷の空にいつまでも棚引き、たまたま大変に珍しい模様を描いたものです。
 それにしても赤い夕空をバックになんと美しくも奇怪な風景だったことか!滅多に見られないこの珍しい情景を橋を渡っていく多くの人々が指さしながら足をとめて眺めていました。
 100年ほど前、リック天文台で台長のキャンベル氏らが西山に沈んでいく夕日を眺めている時、ピンク色の空に飛行雲のようなホーキ星を発見した話を思いだしました。雲と違うのは核がキラリと金星の如くに輝いていたそうです。しかしその後の観測がなく、それは幻の”キャンベルオブジェクト”として語り継がれました。
 その頃リックには日本の山崎正光氏が留学生としておられました。天文台から見る遠くサンフランシスコの灯が星座のごとく見えたと書いておられます。

2004年11月9日夕撮影

2004年11月03日

 秋たけなわの11月

 秋たけなわの11月3日~4日は毎年必ず良く晴れます。空が高く澄み、菊花薫るこの季節は好きですが、それは私の誕生した月でもあって特にそうかもしれません。
 今年も未知の北の人からお祝いの誕生プレゼントが贈られてきました。心の篭ったような手焼きのクッキーに、「ライトミユー」と言う珍しい風車ならぬ光車?(窓からのかすかな光を受けてガラスビンの中の小さな風車が回ります)が送られてきました。静かにまわる可憐な草花のようなものの回転を見つめていると、彼女の友情のささやきのように思えて楽しくなります。
 送り主のMさんは”未知の人”と言っても、ずいぶん昔から手紙を下さっている星の好きな友人です。20年あまり前でしょうか、本の注文の際お便りを下さって、時折今日まで文通しています。その間長い空白もありましたが、私のことを忘れず、また私の心のなかの片隅にはいつも純粋な彼女の影がありました。遠くにあって人を思うは美しいことです。最近の便りから、、、、
 「今日こそはマックホルツ彗星を見ようと思って双眼鏡を持って夜中まで待機していましたが遂に見えずじまい。S町の中では無理かもしれません。」
 「まだ南に低くて8等星と言っても見にくいかもしれませんね。然し12月には北上して来て明るくなりますから、その頃を期待してください。」
それかと思ったら、
 「関先生!今朝金星と木星がきちんと並んで光っているのを見てとても感動しました。遅くまでおきて頑張った甲斐がありました。」
 最近は先生についてクラシックギターを習っていると言う彼女のために、特に私が愛した「ニ短調の調べ」と言う手書きの楽譜を送ってあげました。星を始めたころ好んで弾いていた曲ですが、今は楽譜が無く私の記憶から譜面に再現したものです。この曲は探してもさがしても彗星がみつからなかった若き日の、心の支えになりました。