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2002年1月の日記

● 1月31日
 木曜日から彗星年表2002とC・B490〜491号の発送を始めました。重い荷物を何回か近く(200m)の「竜馬郵便局」に運んでいます。入り口の竜馬の銅像が「おい、早くせんとあかんぞ!」と叱っているような気がします。
 1月31日の夕、15P/Finlay を撮影するために早々と天文台へ行きました。しかし西の低空の暗雲がとれず、ついにシャッターを切ることはできませんでした。何しろ低くてしかも高知市の光害の上ですから、晴れたとしても15等星は写らなかったろうと思いました。

● 1月24日
 西日本で高知市だけが-2℃と予想されました。かなり防寒の服装をしたつもりでしたが寒さという鬼が衣服の隙間から忍び込んできました。貼るカイロもあまり効果ありません。
 さて、月が落ちかかった西の低い空という最悪の条件で、最近発見された
リニア彗星(C/2002 A3)を何とか写し止めました。しかしシリウスに近い銀河の中にあって、微光星と重なり測定の重心がその方へ引っ張られます。
 マックホルツ周期彗星(96P/Machholz 1)は今朝6時、60cm反射鏡を向けましたが何と森の中!あきらめて凍る様な空気の中帰りました。午前7時過ぎでした。

● 1月8日
 大陸から寒波がやってきて大荒れの日、午後11時半頃から天文台に向かいました。シーイングが夜半になってやや落着いたと見たのです。はや出がけにフロントガラスが凍り付き道路も凍結寸前の様子でした。天文台の空の星は大きく瞬いてバックは暗く美しいが大地にしみ通るこの寒さは本冬一番です。午前4時頃から東北のヘルクルス座や琴座付近を少し捜索しました。東南天には月が光り5時には早くもアンターレスが昇ってきます。何も(彗星)現われない空を見る。これは私の永年の身に着いた習慣なのです!午前6時、しっかりと見たという満足感を持って山を下りました。

● 1月6日
 恒例の新春水泳大会の日です。午前9時に桟橋通りの県営プールへ行って大会に参加しました。種目は25mと50mの平泳ぎで、25mは昨年の記録より0.1秒落ち50mでは2秒も落ちていました。もうそろそろ引き時かもしれません。
 新彗星を発見する夢はいつも私の脳裏から離れたことはありません。いつ如何なる時でも私の頭の中にあるものですが、ホイッスルが鳴ってスタート台に立ち「ヨーイ」といった微かな緊張の時間にはさすが忘れていました。
 来年は少し泳法を研究してみよう。ギター演奏もそうですが自己の実力を保持するのさえ大変な努力なのです。まして前進とは!?

● 1月5日
 まだ正月の気分が続いているのか、街は車も少なく静かで夜はきれいな星空です。
 今日は県下の星好きな人5人が私の家に集まり、新春天文放談を行いました。写真は向かって左手前から、村岡健治、関勉、右手前から下元繁男、川添進一の各氏で岡村啓一郎氏は早く帰られこの中に入っていません。みんなパソコンの使い手で、村岡、下元の両氏は初対面で話題の多くはパソコンの話となりました。そして観測に熱心な本県出身の門田健一氏から長距離電話がかかり、同氏は小惑星(9751)に命名されたばかりでもありタイミングの良い会合となりました。
 村岡氏から今年1月下旬発行の「彗星年表」の原稿が私に手渡されました。
 話題は尽きず23時に解散しました。
[記念写真]



Copyright (C) 2002 Tsutomu Seki. (関勉)