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2004年09月19日

 9月1

 9月18日、天文台で一般への公開があって、大庭講師と二人で担当しました。来台者は高知市の小学校の生徒40名とその父兄や先生で講義室は満員にふくれあがりました。天候は今一つで星が見え隠れしましたが、曇っているあいだ、丁度39年前の今日のことを、傍らにおいてある9cmコメットシーカーを見せながら、お話しました。

芸西天文台公開風景
2004年9月18日

 そうです、台風24号のやって来た”イケヤ・セキ彗星”発見の前夜のことです。あの時、もし台風襲来!と言うことで寝ていたら、私の人生はまた変わっていたかも知れません。ちょっとした出逢いによって、その人の運命は大きく変わることがありますが、あのとき台風下の日本列島で悪天の中、観測の準備をしていた人が二人いたわけです。まさに運命の奇遇とでも申しましょうか。
 
発見した場所で撮った池谷・関彗星
1965年11月4日撮影


彗星太陽大接近の日、観測の準備をする池幸一氏(左)と関(中央)
1965年10月21日撮影

 今日9月19日はマスターズの水泳全国大会があって、私は50mと100mの平泳ぎに出ました。その会場で二人の人から「今朝NHKのラジオでやっていましたね」と言われました。実はその約1ヶ月後の10月21日はイケヤ・セキ彗星の太陽接近の日で、こちらの方がもっと大きいニュースになったのですが、それはやりません。なぜなら昭和19年の同じ10月21日、神宮外苑における学徒出陣式という大きな出来事があったからです。
 ところが昔あの古橋選手と競泳をやったというその人は、あのとき小雨のそぼ降る神宮のスタンドにいて東条主席の演説を聞きながら、出陣学徒を見送ったといいます。あれからもう60年!その往年の名選手は今も現役で泳いでいることに深い感銘をおぼえました。ニュース映画で見たあの時のシーンは今も深い悲しみをもって甦ります。あの時集まった数千の学徒達はその I さんによると、殆どの方が沖縄の戦線で玉砕されたそうです。
 確率は低いと思いますが、晴れたらクロイツ群のコースを捜索してみましょうか。あの時の9cmの苗村レンズは今もあの時と同じ光沢を保っています。
 そして心の光沢は? こちらが大事!

2004年09月14日

 南方に

 南方にある熱低の影響で雲の多い日でしたが、天文台に来ました。台風18号の襲来を受けて最初の観測となりました。
 芸西に来ると途端に天気は回復し夏にしてはまれな星月夜となりました。
 夕方はC/2001 Q4(NEAT)他既知の彗星を60cmで写真観測し、夜半には衝の位置を掃天しました。
 今日の観測で特筆すべきことは、珍しく”対日照”がアリアリと見えたことです。丁度南天に独り輝いているホーマルハウトと北のペガススとの中間に半径15度の円形に輝いて見え、冬の銀河の最も暗い所の二分の一程度の光芒で、この夜は自然に発見できました。モノクロで撮影を試みましたが、多分表現は困難でしょう。
 1回に30分以上かかる60cmでの撮影を何回かやって、午前4時から東天の捜索にかかりました。幾つかの美しい散開星団を見ましたが、やはり発見にならなくても捜索は素晴らしいと思いました。ボーッとした光芒の中に銀の砂を撒いたようなあの星団の美しさが何時までも心に残っていました。
 昔の長年の経験が今すこしづつ蘇って、一見しただけで彗星と識別できる様になりつつあります。今はガムシャラではなく、マックホルツ氏の手記にあるような毎月少しづつの長期戦です。
 夜が明けかけて金星の強い光と、今はまだ幽かな黄道光の色が印象的でした。太陽に突っ込んで行くC/2004 R2(ASAS)に傍らの21cmイプシロンを向け3分の露出を行いましたら、11等星の非常に拡散したコマが写っていました。追跡は今夜が最後です。一方C/2004 Q2マックホルツの方はしっかりとしたイメージで幽かな尾が写っています。この写真は”芸西天文台通信”のページにのせましょう。日ごとに少しづつ明るくなっており、年末に北上して来るのが楽しみです。