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2006年06月30日

火星兵団

 6月30日は「輪抜けさま」のお祭りです。この日は昔から必ず雨が降ると言われているように雨天の確率の高い日です。近くの石立八幡宮から、昔は笛や太鼓の音が聞こえ、好んでお参りに行ったものですが、この20年は全くご無沙汰しています。昔のように、なんとなく風情が無く、何処にでも見られるようなお店屋さんが立ち並ぶだけで、人ごみの中に入って行くのがつい億劫になってしまったのです。
 ジンクスが外れて雨が降らなっかたこの日、仙台に住む星の人から珍しい贈り物が届きました。それは海野十三(うんの じゅうざ)著の「火星兵団」という本です。この本が出版されたのは遠く今から50年以上も昔のことです。私が小学3年生の頃、毎日系の「小国民新聞」に2年間に渡って連載されました。その頃は火星に生物が居ると多く信じられて居た頃で、私が宇宙と言う者を初めて体験した忘れられない作品です。そしてあれから半世紀以上も経って、芸西で発見した小惑星(12084)に「Unno」と命名し、先日認定されました。いたるところに展開されるスリルとサスペンスは推理小説家のものですが、最後に大彗星が地球に接近し、それを月の摂動に寄って回避さすところの下りなんかさすが科学者としての海野の才が伺われます。海野さんは江戸川乱歩氏の後輩で徳島公園にある彼の顕彰の碑は乱歩の書となっています。
 子供の頃私が愛読した冒険小説の作家には、海野十三のほかに北村小松(きたむら こまつ)、南洋一郎(みなみ よういちろう)、山中峯太郎(やまなか みねたろう)なんかの人が海洋ものや宇宙ものを盛んに執筆し少年少女の血を沸かせました。いまこれらの人を懐かしく思って居られる人も多い事でしょう。
 なお海野が「火星兵団」で取り上げた”モーロー彗星”は彼自身体験した明治時代のハレー彗星がモデルになっていたものと思われます。

海野十三作「火星兵団」を手に


海野十三作「火星兵団」

2006年06月13日

41P/Tuttle-Giacobini-Kresak

 とっくに梅雨に入っているのですが、なかなか降りません。満月の後の観測を、と思って度々天文台に行くのですが、お天気も完璧ではなく、面白くありません。
 いまタットル・ジャコビニ・クレサック彗星が近日点の近くに在ります。この彗星は1973年に回帰したとき、14~15等の予報が出ていましたが、近日点に近い6月に4等という爆発的な明るさになりました。スミソニアンから問い合わせの電報が各地に発せられましたが、これは新彗星の出現ではなく、当のタットル・ジャコビニ・クレサック彗星が爆発的な増光を見せたものであることが判明しました。然し立派な尾を引いた彗星も日本では梅雨の最中で、観測されませんでした。
 ここで発見者の1人チェコのクレサク博士がこのときの爆発に触れ「恐らく彗星はエネルギーの大半を失ったので、もう再発見は不可能であろう」との見解を発表しました。それから5年余り経ち、1978年の秋11月、発表された予報は15等級で明け方の空でした。彗星はその予報どおりの明るさで芸西で検出されました。金星のすぐそばで、最初は金星のゴーストかと思っていましたが、その後の観測でもチャンと写っていました。いまは1973年に異常に増光したときと同じ6月の近日点の近く。再び同じような変化が見られるかもしれないと、明月の中でも監視を続けています。しかし彗星は14等級の明るさで、足早に立ち去ろうとしています。
 暑くなりましたので、先に村岡さんがエジプト日食に行ったとき買ってきてくださったシャツを着はじめました。胸の字は「セキ」と読むそうです。