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2001年8月の日記

● 8月26日
 天気予報では向こう1週間曇天または雨模様の予報でしたが見事に外れて27日朝には快晴となりました。26日の夜遅く家を出て23時に天文台に到着し、北天に輝くリニア彗星 C/2001 A2 をはじめ、2〜3の彗星の撮影を試みました。白鳥座の多胡新星はどうなっているのでしょうか?これも60cmを向け写してみました。20cmR 40×で覗いたところ、際立って明るい天体は見えませんでした。
 問題の P/2001 Q2 ですが少し暗くなって20cm 60×で11.2等と見ました。コマは2'で、写真では鋭い中心核が13等星として写っています(核光度は13.0等)。
 午前4時になって丘に上がり、9cmのコメットシーカーで少時東天の超低空を探りました。地平線に沿っての水平掃天ですが、”池谷式”の下から上への捜索です。
 いつの日にか突然明るい彗星とバッタリと出逢う。そして人生が変わる(Comet Seki 1961f)。それが捜索というものです。
 ”コメットハントの魂ありて我が人生在りき”

● 8月20日
村岡氏が来て私の古いパソコンを交換しました。村岡氏が使っていたもので、スピードが4倍ほど速くなりました。GSCの星図に今登録またはそれに準ずる7万個の小惑星が速く表示されるようになりました。今までのは10年近く前に大阪の原田さんからいただいたMS-DOS機で、沢山の彗星や小惑星の位置計算に活躍し、存分の成果を挙げました。感謝します。

● 8月17日
 最近の暁天での惑星の動きは面白いですね。つい先日も新聞を配達するご婦人が明け方の惑星たちの配列の変化に注目して電話で聞いてこられました。こうした惑星たちの動きについてはプラネタリウムがうまく説明してくれるはずですが、今の最も進化したと言われるプラネタリウムは惑星がまったく投影されないのが多くなっています。これは四季ごとに交換するソフトやテープに頼るためで、惑星こそ一般の人目について興味をそそるのに、惑星たちをボイコットするとは何と言う情けないことでしょうか!これは1つには天文を良く知った優れた解説者が少ないためでもあり、大阪市立科学館をはじめ良い解説者に恵まれたところは惑星その他突発的な天象もちゃんと出しているのです。
 高知市には平成16年頃プラネタリウムができることになっており、メーカーの売り込み合戦が行われているようで、高知新聞社の文化ホールではミノルタの小型最新式プラネタリウムが8月下旬にデモ上映を行う由です。いくら最新鋭でも古くからのプラネタリウムの本質を失ったものにならないよう市民の一人として願うものです。プラネタリウムは最新の天文ニュースの発信基地でもあり、そのために天文台とタイアップしたり、インターネットを使って海外の情報を早く入手する必要があります。こうした関連性を無視し、最小限プラネタリウムができただけではまったく魅力の無い館になってしまいます。

 写真は岡山県天文博物館の旧タイププラネタリウムです。
(8月4日撮影)。
[岡山県天文博物館のプラネタリウム]

● 8月16日
 午前4時、天文台から帰って車から降り、東の空を見ると細い月に何かがくっついて光っているのが見えました。今朝は木星が月に隠される現象が見られるのでした。2階へ上がって300mm望遠レンズを持ち出して来て庭でシャッターを切りました。F4.5で約0.5秒で閉じました。この後すぐ雲に隠れ再びチャンスはありませんでした。レリーズが無く少しぶれてしまいました。
[月と木星の接近写真]
8月16日午前4時 Nikon F3 300mm F4.5 ISO400
(中央部をトリミングしています)

● 8月11日
 せみの声が静かになって、ふと秋の近いことを感じることがあります。しかしそれも一瞬の間で、日中の暑さは変わらず、夏真っ盛りと言うところです。
 今日は埼玉県上尾市の門田健一氏が帰省しており、旧友の岡村健治氏と共に訪ねて来られました。”彗星斬り込み隊長”として名高い門田氏は村岡氏から譲り受けた口径18cm赤道儀を使って彗星観測に大活躍していることはご存知のとおりです。特に薄明中の超低空での彗星観測は他の追従を許さぬものがあります。上尾市は空が明るいそうですが、写真と違って相当明るくとも観測ができるのはCCDの特性でしょうか。門田氏の観測と村岡氏の計算。まさにこれは名コンビです。これから秋のシーズンが展開されていきます。

向かって左より、門田氏、関、村岡氏(2001年8月11日)

● 8月9日
 ドーンと大きい音が夕闇の夜空にこだまして高知市の空に舞い上がりました。恒例のよさこい祭りの幕開けです。今日の花火を皮切りに4日間の鳴子踊りのにぎやかな街の風景が展開されていきます。私は美しくともやかましいものが嫌いで、晴れていれば天文台に行くところですが、花火の約3時間の間ベランダで1回見ただけで彗星の位置計算に熱中していました。ゆかた姿の多くの人が道路を忙しそうに行き交いますが、お祭りが終わり終戦の日を迎え、そして全国高校野球が終わればそろそろ秋の気配を感じ出します。
[花火の写真]
自宅2階から300mm望遠で1秒

● 8月4日
 芸西天文学習館のアストロ教室の主催で、講師と生徒約40人が岡山県の天体物理観測所を見学しました。1957年に完成し、東洋一を誇る188cmの反射望遠鏡は、創立からはや45年を経過し老朽化の色が進んでいます。1961年10月に私が発見した C/1961 T1(Seki) 彗星をいち早く冨田弘一郎氏が撮影し、巨大なコマの写真を東京天文台天体掃索部の天井に張ってあったことを憶えています。台長の吉田道利氏の話によると、今は太陽系以外の惑星の発見を狙って、遠くの恒星の揺らぎを発見するのに力を入れているそうです。つまり太陽も太陽系の重心を中心に回っているので強力なテレスコープならそれが可能なそうです。ただし、ハワイの8mはこの目的に向いていない由。しかし台長の話によると、この東洋一だったテレスコープも間もなくその使命を終え、後に京都大学の口径3mの大反射が据わることになるそうです。それでは188cmの大ドームはどうなるのか?吉田先生によると天文博物館になる案も持ち上がっているそうです。冨田弘一郎氏がこの188cmで多くの周期彗星を検出されたのがつい昨日の出来事のように思われます。ドームの中に『池谷・関彗星』の写真も貼ってあり、あの日から実に45年!発見者の一人がそのドームの中に立っているのが奇跡のように思われました。
[天体物理観測所の全景]
天体物理観測所

[188cm望遠鏡と私]
188cm望遠鏡と私



Copyright (C) 2001 Tsutomu Seki. (関勉)