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1999年8月の日記

● 8月27日
 夏も終わりに近づき、何となく空気がひんやりと感ずるようになりました。しかし日光は依然真夏のものです。今日は雲の多い1日。3階屋上から赤い夕焼けが美しく眺められました。19時半頃、犬を連れて南堤に出てみると今夜は十五夜、大きな月が筆山の上にぽっかりと浮かんでいます。影絵となった筆山の上に出る月は有名です。仲秋名月の夜は桂浜へ行かなくても自宅から筆山の名月が楽しめます。
 薄曇りの夜空を見上げていたら突然大火球が飛びました。うすぼんやりと見えている織女星とわし座の彦星の中間から光り始め東北に向って約3秒飛行しました。色は燃えるように美しいグリーンで、マイナス4等。しかし薄曇りのあちらでの光ですから、実際にはマイナス5〜6等級であったかもしれません。腕時計の夜光の針が朧げに19時33分を指していました。過日のペルセウス流星群の時には、これに匹敵する大物は1個もありませんでした。久しぶりに見る大流星でした!

● 8月21日
 豪雨また豪雨で過ぎ行く夏8月です。
 今日は朝から良く晴れ、せみの音がしんみりと大地にしみ込む感じ。活動的な夏の雰囲気は僅かにうすれ、人にもの思わすような秋の香りがかすかに漂っています。
 鏡川のほとりを歩いてみると川はいつも増水し濁流となって勢いがついていましたが、しかし今日はきれいで、犬のタロも久々に泳ぎました。
 いつも中州で仲良く羽根を休め、時々泳いで餌を取っていた4羽のアヒルは何処へ行ったのか?人を見て岸へ近づいてくる可憐な白い姿が忘れられません。しかし、この1ヶ月近く姿を見せません。激流に流されて海へでも行ったのかと不安になります。一方堤防沿いの桜の木は元気なせみ時雨。昔のせみと変った事は大変数が多く、掴まえやすくなったこと。空気の中で僅かな余生を送るせみたちにも異変が生じているのでしょうか。
 異変といえば”グランドクロス”と言って聞いてくる人がいます。惑星が十字に並ぶという意味でしょうか。しかし私はこの言葉を知りませんでした。天文学的には凡そ意味がありません。永い歳月の中には惑星達はいろんな配列を示すものです。先日トルコに大地震がありましたが、地震はその土地特有の地下のプレートの移動による歪みや反動によって起こるもので、天体は全く関係ありません。21世紀はもうすぐです。くだらぬ迷信は捨てて科学的な見地から万物を見ようではありませんか。
[鏡川で泳ぐタロの写真]

● 8月20日
 アメリカのリンカーン天文台の発見が少し鳴りをひそめています。昔B29にじゅうたん爆撃というのがありましたが、正に巨砲によるじゅうたん捜索です。それにより太陽系天体の画期的な発見が行われているのです。
 昨夜は夜半に星が見えてきましたので、天文台に向かいました。しかし赤岡町のあたりで空が険悪となったので、北の暗い路地裏に入り、車の中でしばらく様子を伺い、再び天文台に向いました。しかし天候はかんばしくなく、昼間だったらドームが見える地点まで来て引き返しました。再び赤岡町まで帰ってみると、夜空には星がいっぱい。そのようないたちごっこを繰り返しながら天文台に辿り着き、しばらく曇天とにらめっこして、午前2時ついに引き返しました。高知市の自宅に帰ると快晴の夜空。もう1回出ようか、と思ってメーターを見るとガソリンはゼロ。ついに諦めて就寝したものの、ドームの上に輝く星影がいつまでも私の脳裏に影を落とし、眠れませんでした。天体観測は、いつもこのような無駄ばかし。労力と無駄な時間の山の中に時として僅かな成果が光るものなのです。単なる天体写真なら、こうまでしなくともチャンスはいくらでもあるもの。しかし彗星や小惑星観測のチャンスは同じ条件は2度と恵まれぬものなのです!

● 8月12日
 今宵から明朝にかけてペルセウス座流星群が見られるというので、芸西(ゲイセイ)村の天文台にやってきました。ちょうど公開の日で約50人の方が学習室に集い、夜半の本観測に先立って星の話をしました。夕方は雨がザーッと降ってくるような悪天候でしたが、20時から21時の1時間は良く晴れ、10個余りのペ群流星をキャッチしました。20時36分頃、北から南にかけ大きな火球が飛び、ドッと歓声が上がりました。
 22時過ぎNHKから電話がかかってきて、ラジオジャーナルの時間に5分ほど話をしました。この番組を担当している柳井アナウンサーは高知市の出身で、高校生のころ私にギターを習っていたということを知り驚きました。そういえばNHK TVの23時のニュースの時間を担当している男性のMアナウンサーも、若い頃、星のことでよく私の家に出入りしていました。
 さてペルセウス座の流星群の活動ですが、3日間にわたり早曉まで3台のカメラがパトロールしましたが、明るいものは一発も入らず。但し1本だけ未現像のフィルムがあり、もし火球が写っていたらこのHPでお目にかけましょう!

●8月8日
 長い豪雨のため中断されていた観測ですが、TVの天気図を見ていると台風9号が西を北上しているものの、晴れるきざしがありましたので夕刻から天文台に向かいました。市街では星が良く見えませんが約15分で郊外へ出ると、走っている南側の窓から星が見え始めます。天気がかんばしくなくて途中から引き返すこともありますが、長雨でうんざりしていたものですから今日は強引に天文台まで突っ走りました。ドームの前に降り立って天を仰ぐと、それまでの雲は消え満点の星になりました!!正に奇跡です。早速まだ見たことのないリン彗星を西空に低く捉えました。
 20cm60Xで見ると、8等星で5'のコマです。朝方東天にリー彗星を見たのですが、この方はやや小さくコマは3'と見ました。
 天文台も洪水だったせいでしょうか、ドームの中の床に長さが1m半もある大きな青大将の抜け殻があるのを発見してギクリとしました。いつぞやドームの天井に黒い大きなヘビが貼り付いていて、暗闇の中いつ落下してくるかもしれない恐怖に怯えながら1晩中観測していたことがあります。ヘビは天井の雀の巣を襲っているのでしょう。真夏にふさわしいぞーっとする話です。9日と12日は天文台の公開の日で街から子供達がたくさんやってくるのですから天文台のミステリーとしてぬけがらをこっそり残しておいてやろうかと思います。

●8月4日
 台風7号の影響で西日本(四国や九州)ではなかなかはれません。7月25日に半日だけ晴れただけで、気象庁が7月中旬に梅雨明けを発表してから1日もきれいに晴れないのです。そしてまたも豪雨。週間の予報では8月3日あたりから晴れマークが出ていたのですが、いつのまにか向こう1週間曇り又は雨のマークに変えてしまいました。ところが皮肉なことに今日8月4日はやや雲が多かったものの夏空らしい深い青空が広がりはじめました。気象庁の予報はいつも後手後手に回っているようで気の毒な気がします。せみが一斉に鳴き始め入道雲がモクモク。今日をもって本格的な夏の始まりと見ました。
 今朝6時前、屋上に出てみると東に奇妙な形をしたくもが湧き、朝日を包んでいました。間もなく原爆投下の不幸な記念日がやってくるのですが、半世紀も昔、広島や長崎に落とされた原爆のキノコ雲を連想して思わず深い悲しみに胸がつまり、犠牲者の冥福を祈らずにはいられませんでした。あの頃中学1年生だった私もB29の空爆に逃げ惑う難民の一人だったのです。

 写真は自宅3階屋上から東の眺めで、Comet Seki(1961f)を発見した場所です。画面の左の隅に高知城が見えていますが、関彗星はその僅かな上方に発見したのです!!もう38年も昔の思いでです。
[空の写真]
●8月1日
 美星天文台から6月に行われた講演会の記念写真が送られて来ました。前列の中央に座る私の向かって右が佐治天文台長、左が小暮美星天文台長です。
[講演会の記念写真]
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 香西氏から30年以上昔のComet Seki(1961f)発見当時の天文台と筆者との電報やり取りの裏話や当時の観測状況の興味あるお話があり、たまたま氏の隣に座っていた福山市の児堀四郎氏が質問の時間に立ち、彗星と地震の発生、地上のポールの倒壊等について奇想天外な話をされました。
 終わりに本のサイン会が催され、中には33年昔発行した古色蒼然たる本『未知の星を求めて』を出してこられる中年の天文ファンも居られました。そして私の所属する”ミノックスクラブ”の若い会員が居られて、ミノックスLXカメラをされたのには驚きました。私もすかさずポケットからミノックスECを出して見せ、しばしスパイカメラの談義に花を咲かせました。
 Minoxは小惑星4639として宇宙を回っていることを知っている人は案外少ないでしょう。第2次世界大戦の前夜、北欧ラトビアの港町リガで生まれた不思議な極小カメラです。



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)