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2003年7月の日記

● 7月25日
 梅雨の中ですが今夜も非常に良く晴れました。天文台には行かず、自宅の屋上で星見を楽しみました。街中で見えるのは4等半くらいまで。いて座付近の天の川が何とか肉眼で確認できました。
 今の圧巻は、なんと言っても夜半に昇ってくる火星で、午前2時ころの赤さは凄まじいばかり。大昔の人が砂漠や高原で眺めた火星はどんなにか異様に光り、そして不気味に感じただろうとしみじみと思いました。
 写真は鏡川のほとりの筆山(ひつざん)(小惑星7235に命名)に昇る火星です。

筆山に昇る火星
ライカR4 50mm F2
ISO 400フィルム 4分間露出
● 7月24日
 雲のやや流れる夜でしたが久々に見る夏の天の川は見ている人の心まで清められる美しさでした。本格的な夏ですね。
 写真はライカR4、ズミクロン50mm F2で撮った天の川です。
 
天の川
● 7月17日
 朝から晴れ、梅雨明けの真夏を思わす入道雲が北の空にモクモクと盛り上がっています。寺田寅彦ゆかりの市内地図で、戦前に天文台があったと言われる桜馬場を訪れてみました。いったい誰が建てた天文台だったのか?跡には市営の風呂屋(桜の湯)が何も知らない風にでんと建っています。戦前、正木建三(まさきけんぞう)さんというアマチュア天文家がいて、天文の普及に力を入れたそうですが、もしかすると寅彦の地図に描かれた天文台が彼の居城だったのか?天文台跡と寅彦の生家とは目と鼻の先で、寅彦の随筆に出てくる「レンズを覗いていると星がクモ糸をアッと言う間に通過してしまった」とある文も、もしかするとこの天文台だったのかもしれません。戦前の師範学校の宿舎が桜馬場にあって、当時学生で寄宿生活にいたという岡村啓一郎氏(芸西天文台講師)は「わしは、そんな天文台なんか見なかった」と言うし、今は幻の天文台となっています。
 しかし大空の夏雲は何かを知っているようです。戦前高知市の空にどんな美しい星空があったのか?いずれお話しましょう。
 1940年10月1日、岡林・本田彗星(C/1940 S1)が発見された日の星空を私は知っているのです。

真夏を思わす入道雲
● 7月16日
 七夕様の7月7日以来真夏日が多く続いています。夕方東南の筆山(ひつざん)の上に出た月を500mm望遠レンズで狙ってみました。そして、折から天頂近くに来たこと座のM57を、今度は小さな赤道儀でガイド撮影してみました。いずれも高知市上町(かみまち)の自宅の屋上ですが、省エネの時代なのかひと頃より四方が暗く、星も3等星くらいまでは確認できました。しかし4等星は月光もあって十分には見えませんでした。秋から冬にかけてはどんな星空だろうと楽しみにしております。

自宅屋上で撮った月
500mm望遠レンズ 1/1000秒 プレスト1600

こと座のM57
900mm F5反射望遠鏡 3分間露出 プレスト1600
自宅屋上にて

● 7月9日
 七夕様の7月7日から晴天が続いています。南四国は梅雨明けを思わす暑い真夏日です。今年は早くから降り始めていたので、梅雨明けも早いと思われます。七夕の夜は、天文台で宵の星空を仰ぎました。天の川は近年光害でうすれて、写真を撮ってもコントラストが淡く、昔のような凄さがなくなりました。
 6月下旬のウインネッケ流星群の極大の日も晴れましたが、1つ2つ見ただけでやはり大した活動はありませんでした。

● 7月5日
 雨の予報が急に晴れて西空に月齢5日の月が煌々と光っていました。22時過ぎに出発して夜半に天文台にたどり着きました。天の川は春のようにかすんで織女星の清純な青さが印象的でした。
 ドームの中に見る火星がいよいよ赤く大きく怪しげな光を放って昇ってきます。外ではりーんりーんと小刻みながら激しい虫の音。今ころ鳴くのは、こおろぎでしょうか?とにかく大きい声です。
 今夜草むらの中に久しぶりに飛ばない山の蛍を見ました。体長1.5cmくらいのイラのような長い虫で、4月に見たのと違って青い色をしていました。そして、時々お尻から草色の美しい光を放ちます。私の行動が気になったのか遠くの林の中で『芸西の森の主』が大きい2つの目玉を光らせてじっとこちらを見ていました。いつも正体は見せないのですが、私とは慣れっこです。空の火星の大接近に虫も野獣も異常に興奮しているようです。

ドームの中からの火星


昇る火星



Copyright (C) 2003 Tsutomu Seki. (関勉)