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2004年1月の日記

● 1月25日
 ドームの中で0度近くまで冷え込みました。寒冷地獄の様な天文台周辺にはまるで人の生活はなく、おそろしいばかりの冬の星空と凍てつく山川草木が横たわるだけの世界。夕方から朝の4時までがんばりました。四国道の一部は雪で不通となっています。なんと冬にしてはシーイングが良いのでしょうか!毎夜、20等級までの挑戦です。
 「彗星年表2004」が完成しました。予約者には発送を開始します。頁が余ったので私の彗星発見談義を最後に入れました。彗星の眼視発見。それは星を愛する人の最高の人間ドラマですね。

● 1月21日
 夕刻から天文台へやってきました。今年最初の彗星P/2004 A1(リニア)やC/2003 V1なんかを狙いました。C/2003 V1は少し暗くなったのか良い軌道がないと追跡できません。
 そして1978年の羽根田・カムポス彗星も近日点の近くですが、依然として姿を見せてくれません。
 気温はドームの中で1℃くらいになり、5時間も居ると凍る思いでした。野外でやっている人は偉い!1950年代の寒さとの戦いの時代を思い出しました。-7.5℃!四国では高知市が一番下がります。
 それにしても氷る空の星の美しさはなんとすごいことでしょう!

● 1月3日
 久しぶりに家から5Kmほど歩いて南にそびえる鷲尾山に登りました。南の眼下には浦戸湾と広大な太平洋が開け、とても良い眺めでした。鷲尾山(小惑星7274)は1962年4月、池幸一氏と”関・ラインズ彗星”を追いかけた山です。あれから42年!依然としてホウキ星を追う自分の影を見つめ、人生を思いながら黙々として遠い山道を歩きました。
 あの頃の星の友、池君は千葉市に移住し、知らない土地で暮らしています。お互い同じ年代の星仲間は極めて少なくなり、淋しくなってきました。しかし池氏はこの1月、小惑星(21022)にIkeと命名されました。
 ついでながら、池氏は高知県で昭和20年代に最も早くテレビの受信に成功した人。そして日本でのハム(アマチュア無線家)の元祖です。1940年の”岡林・本田彗星”以来半世紀近くにわたってホウキ星を追い続けましたが、機運熟さずついに発見に至りませんでした。
 険しい山道を歩いていたら向こうから戦斗帽をかぶった池さんがやってくる!よく見るとそれは似たまったく別の人でした。「やあ、こんにちは!」と威勢の良い挨拶がすがすがしく風に消えていきました。

鷲尾山頂上にて


ホウキ星を追う我が影
● 1月1日   賀 春
 穏やかな良い新年を迎えました。芸西では元旦の夜から60cm鏡による観測を始めています。今年は既知の彗星を観測するだけではなく、新しい発見に挑戦しようと意欲に燃えています。本年もよろしくお願い申し上げます。
 31日の深夜から元旦の未明にかけて多くの車が南約2Kmの国道を東に向かうのが見えます。天下の景勝・室戸岬で初日の出を拝む人たちの車の列です(写真1)。その中の一人、峰友 道さんが1月3日に安芸市大山岬で撮影した珍しいだるま太陽を送ってくれました(写真2)。

天文台から国道55号線を見る


1月3日のだるま太陽(夕日)
撮影:峰友 道さん



Copyright (C) 2004 Tsutomu Seki. (関勉)