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2007年02月27日
講演会を催しました
春の気配の僅かに感じられる2月の末、ここ吾川郡土佐町の田井で講演会を持ちました。参加者は65才以上の「老人大学」で、いつも思うのですが参加者の90%は御婦人です。高知市でやっても同じですが、こうした老後の勉強会には特に女性が熱心であるのでしょうか。それとも男性は参加しにくい理由が他にあるのでしょうか?話をしていても男性の姿を発見するのに苦労するほど少ないのです。約100名の聴講者は実に熱心に興味深そうに私の話を聞いてくれました。
1835年11月15日、高知市の上町で坂本竜馬が生れたころ、かの大ハレー彗星が近日点の近くにあって、雄大な姿が上町の民家の屋根に懸っていただろうの話をしました。「竜馬」の名付けは夜空を舞う龍、即ちハレー彗星から来たであろう想定。そして芸西の60cmを作った安芸市出身の五藤斉三氏が若い頃に見たハレー彗星を2度見ようとして無念にも病に倒れ、その意志を受け継いだ留子夫人が健気にも天文台まで乗り出してきて、夫の作った望遠鏡で2度目の観測に成功し無念を晴らしたた話などしました。そして歌人でもあった留子夫人の歌。
五藤ぼし、竜馬のほしと共どもに
ハレー求めて天駆けりいん
竜馬も五藤さんも小惑星となって宇宙を飛んでいますね。
講演会のあった土佐町は有名な早明浦ダムの近くです。帰りは大豊町を廻らずに西に出て工石山(1180m)を越えて帰りました。
2007年02月26日
京都からの来客
あれはたしか1975年頃でしょうか、アメリカのコメットハンターのボートルさんが来日した時、吉田さん(和歌山県の吉田茂さんだったと思います)と秋田さんとが付いて来られたように思いますが、私の記憶違いでしょうか。あの時は芸西の施設の天文台を見てから東の室戸岬に観光しました。藪保男さんや中野主一さんも来ていました。まだ芸西には60cm反射望遠鏡が出来ていない頃でウエスト大彗星の出現の少し前だったようです。
今回は天文台に案内して6mドームの中の施設を見てもらいました。
亀山さんはNTTの中の天文部の方で、テレスコープに詳しく、今後の芸西の新しい施設へのアドヴァイスを戴きました。亀山さんは、高知県土佐市に長く在住していたコメットハンターの池幸一さんを千葉県の自宅に訪ねて、情報を送って下さった方でした。池氏が長く愛用した12.5cmの屈折式コメットシーカーの写真も見せてくれました。私の9cmと同じ滋賀県の苗村氏の会心作で、1964年頃のコップ周期彗星の独立発見は池氏の唯一の成果でした。
池氏は結果的には半世紀の長きに渉って彗星の捜索に親しまれた方で、成績はともかくとして私の良き同行者でした。1965年の「イケヤ・セキ彗星」の太陽面通過の時には山に海にと奔走して活躍し、貴重な観測を残しました。今ではその思いでも池さんの白髪が物語るように茫茫としてかすんでしましまいました。
池さんのように黙々として陰で努力し、いまだ運悪くして報われない多くのコメットハンターが居られるに違いありません。4月の新潟県での彗星会議ではそうした悩みを抱える未知の方と話し合いたい気がします。私も15cmの反射式コメットシーカーで10年間努力し敗北した一人です。彗星は発見しない限り名が表面にでません。しかしその陰にきっと素晴らしい人がいらっしゃるに違いないのです。
芸西天文台にて
向かって左から秋田、本宮、亀山の各氏
2007年02月23日
久万高原天体観測館を見て
メインの60cmの反射望遠鏡は芸西の同じ60cmにくらべて実にコンパクトに軽量に纏められていました。芸西のは75cmの鏡筒の乗るフォーク式で実に大きく観測者が振り回されるのですが、ここのはコンパクトで操作が楽なように思いました。
中村さんがここに来られたときには既に望遠鏡は納入された後だったそうですが、どのような優秀なメーカーの品でも凡そ完璧と言う物はありません。そこは観測者の腕がカバーするのです。幾つかの欠点や不具合を改良して使用しているそうですが、私には優秀な技術を持つ中村さんだからこそ、この望遠鏡が生かされ立派な成果を挙げて来たものと思いました。
国内には1mクラスの大きい望遠鏡が多くあって稼働していますが、率直に言って優秀な観測者が極めて少ないように思われます。真の天文学的な成果は器械の大小ではなく観測者の腕に負うことが多いようです。中には完全なアマチュアで20cm位の小さな観測施設で世界の第一線に並んで立派な仕事をしている人が居る事は周知の通りです。器械の大小や性能を云々するよりも私たちの芸西も含めて立派な観測者を養成する事こそ最も大切な事だと痛感しました。
久万高原天体観測館を見学した成果はそこにありました。
久万高原天体観測館にて(2月23日)
中央に中村氏
2007年02月13日
芸西天文台の夜
昨日、今日と天文台にやってきました。
夜半過ぎには月が出ますが、実に透明な星月夜で60cm反射望遠鏡による写真掃天の後、久し振りに東天をパトロールしました。東南の空は月があるので避けて真東から東北にかけて捜索しました。
遠く1967年の2月に2つ目の「関彗星」を発見したのは今東天に輝くヘルクレス座でした。あの頃は12cmの双眼鏡を使って、位置の確認には方位環と高度環を使用して計算によって地平座標から赤道座標に切り替えて位置を出していましたが、今夜はナビゲーターを巧くセットして赤経、赤緯をダイレクトに読み取っています。途中ヘルクレス座のM13が入ったとき、その表示は星図上で非常に良く一致していました。今はあの頃のように11等の彗星の発見は無理かも知れません。しかし長期戦は覚悟の上で日常の日課としての掃天をやっています。
早くも東北の空から一際明るい「ヴェガ」が顔を出し、壮麗な白鳥の十字架が山並みに大きく横たわるようになりました。
ああ、なんと美しい天の川だろう!あらゆる観測のなかで、彗星の捜索ほど星空の美観を満喫できるものはありません。
今年の4月には新潟県で第37回目の「彗星会議」が開かれます。いま捜索している方々と捜索の喜びや苦労、そして未来への希望について話し合いたいです。私も10年やって捜索に敗れた人間です。コメットハンターの苦悩はよく理解しています。