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2005年02月20日

 2月1日には久々の

 2月1日には久々の大雪で市街は一面の銀世界となり、その後寒波は一旦収まっていましたが又寒くなりました。夜遅く庭に出てみると晴れた空に寒月が煌煌と照り、オリオンや大犬の星座が驚くほど鮮明に浮き立って光っていました。なかでもシリウスのサファイヤのような強く美しい輝きには暫く呆然と見惚れていました。30万人の街中で、しかも満月に近い月が天心に輝いているのに、この夜空の暗さと生き生きとした星の輝きはどうしたことだろう?60cm反射鏡で18等星まで写りそうな凄い星空でした。空気が透明なれば少々の町明かりなんか大した影響を受けないで済むかもしれない。
 1950年代、チェコのタトラ山中で、故ムルコス氏やパジュサコバさんなんかが彗星発見に大活躍し、なかでもムルコスさんの13夜の月光中の9等級の新彗星発見に驚かされたことがあります。海抜1400mのスカルナテ・プレソ天文台は恐らく我々の想像を絶するような星空が展開されていたものと思われます。ムルコス氏は更に天文台の上の標高2800mの気象観測台に上がって奮闘し、多くの彗星を発見しました。そういえば今夜も13夜。この暗さなら9等級が見つかるかも知れないと、ふと思いました。
 雪山の砦スカルナテ・プレソ天文台の数々(約20個)の眼視的彗星の発見に使われた新兵器?10cm(25倍)双眼鏡の性能の良さは当時としてはひときわ群を抜いていました。いわゆる鉄のカーテンの中での出来事で、知りたくてもなかなか情報が入って来ませんでした。一体何処製の器械だろう?私が出したパジュサコバ女史への手紙も返信が来ませんでした。不確かな情報では視野がなんと5度あると言うことでびっくりしたのですが、その後イギリスのオルッコク氏からの情報で彼らの使用していたのはソメト製(ロシア?)で口径は105mm、実視野は4度25倍であることが判明しました。実はオルコックさんのも対空用の双眼器を使用していたのですが、この10cmも彼らと同じ器械ではなかったかと想像されます。余談ですが1961年10月私が1961f彗星を発見した時オルコックさんのその器械による視野が3度ばかりのところに迫っていたそうです。
 夜更けて東からしし座が昇ってきました。もう春ですね。1961f彗星を発見したベータ星附近も見えてきます。思えばもう44年も昔のことです。あの時の発見者が今ここにいる。そういえば私の立っているこの場所が発見の場所だった!。半世紀近い昔のあの時の出来事が暫く頭のなかに展開していました。