ホームページへジャンプ

| 星日記へ戻る |

1999年5月の日記

●5月27日
 徳島県の那賀川町の天文台(口径113cm反射所有)で会議があるため、朝、高知市の自宅を発って室戸岬回りで同町に出発しました。風の強い日で、関東地方で風速40mの突風が吹いたそうですが、風の強い所で有名な室戸岬でも最大瞬間39.5mも吹きました。そのため、海は大荒れで岬の灯台の上を雲が物凄い勢いで南に流れているのが怖い様でした。
 しかし私が室戸岬の国道55号線を走った頃(正午ごろ)には大分落ち着き、波涛の荒い海岸が土佐の海らしい豪快さを呈していました。岬を回り、丸山海岸というところで車を止め、美しい海景に見とれていますと、道路のすぐ下の海岸に碑が建っているのが見えました。それは何と第二次大戦中の昭和19年、室戸沖で米潜水艦の攻撃を受け、沈没した『滋賀丸』の犠牲者の鎮魂碑でした。石に刻まれた数十人の人の名に『蒲原靖雄(14才)』の名を発見したとき、私は呆然としました。私の中学2年生の時の同級生で、親友でもありました。
 滋賀丸(高知-大阪の定期船)が沈んだ日、海は荒れていたのか、凪いでいたのか。波が激しく砕けて高く舞い上がる岩場の海のかなたに、学生服を着たK君のにこやかな姿が浮かんでは消えていきました。それは55年も昔の悲しい思い出です。(ああ無情!)私は海に向かって、静かに手を合わせて冥福を祈りました。

●5月26日
 連日の観測で疲労したのか突然背中が痛くなりました。大昔一度経験した神経病です。今日は、午後、近くの市営プールへ行って800mほど泳ぎ体調を整えました。私の過酷な労働(深夜の観測)を支えているのは週3日の水泳とアムウェイの栄養補強食トリプルXです。
 生涯現役!これを全うするのは強い精神力と健康です。

●5月19日
 まるで暴風雨の様な悪天でした。5月19日は一応上がって夜は星がちらちら見え始め、天気予報は『明日は晴れ』とのことでしたので天文台へ向かいました。しかし芸西に着く頃から雲が多く流れ始め、丘の上でしばらく空を見ていましたが、晴れる気配がなくなりましたので、ドームには入らず30分で引き返しました。
 最近アメリカのリンカーン天文台が、黄道のある南から捜索域を北に拡張したのか、良く北天で見つかります。C/1999J3は北極星に近い、こぐま座の発見で18等。スピードが1日に30'ほどの速さで、メトカーフ法ガイドでてこずりました。
 私がまだかけ出しの1952年の6月、有名なアメリカのペルチャー氏が北天こぐま座に10等級の彗星を発見し、悪天候の中必死になって追跡し、手柄を立てたことを思い出しました。
 彗星の発見というものは技術もさることながら、必要なのはファイトです。馬力です!そして、ちょっとしたチャンスからその人の運命が開けていくものです。後は忍耐です。
 星の好きな若者よ、この宇宙に自分の名の付く星を見つけようではないか!この世に生まれたからには何かの業績を、輝きを残そうではないか !!

●5月10日
 春独特のボーッとかすみのかかったような日で、星がかすかにうるんでいました。しかし大事な仕事がありましたので、天文台にやってきました。
 高知市から東方に低く眺める火星はやけに赤く光っていましたが、天文台に着いて南天に見る火星は不思議と白く見えることがあります。火星の敵と言われるさそりのアンターレスは最近とても暗く感じるのですが、気のせいでしょうか。
 夜半の60cm反射鏡を必要とする作業が終わってから午前3時から久々に12cm双眼式コメットシーカーで東天を捜索しました。そのころから空の透明度が高くなりましたが、しかし月光もあって余り良く見えません。3時半頃、突然アンドロメダの大星雲が視野に入ってきたとき、一瞬ハッとしました。思い出が甦ります。
 1968年の5月1日でした。早朝の東天に突然6等級の新彗星が出現し、『多胡・本田・山本彗星』と命名されました。実はその朝、私も高知市の自宅で捜索していましたが寝過ぎたため視野が達していませんでした。この3人の他にも更に3人の発見者があって、早い人は4月25日に発見していましたが、名前が付きませんでした。実は3月22日付の星日記で紹介した中学教師のIさんもこの独立発見者の一人だったのです。要するに確認のため報告が遅れたのです。当時の3人の発見者で今も星に親しまれている方は津山市の多胡さん一人です。

●5月5日
 子供の日ですが連休最後の日で、天文台への国道55号線は混んでいませんでした。
 天文台では23時過ぎからC/1999H3の彗星を撮影し、月光の明るい中、東天を捜索しました。60cmに同架してある20cm屈折にエルフレ50mmアイピースを取り付け48×、視野は1°です。夜明け前の東天を5°×20°の範囲を捜索しました。特に収穫なし。赤道儀ですから今見ている位置の赤経・赤緯が傍らの操作盤にデジタルで表示されるのは良い。彗星捜索で怪しい天体を見つけたとき、その正しい位置を知るのが極めて困難なのです。



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)