« 2009年11月 | メイン | 2010年01月 »

2009年12月28日

小島鏡の思い出

 今日12月28日は「第二池谷・関彗星」を発見した日です。
 1967年の年末に近い寒波の襲来した寒い日、夜明け前の東南の空に発見しました。この彗星は、その後長く見え続け、私が写真観測を始めるきっかけとなった彗星ですが、其の頃、池谷さんの親友であった愛知県一色町の小島信久さんと知り合い、口径21cmの反射鏡を研磨して頂きました。この21cm F5の鏡は良く出来たパラボラ面で、西村製の赤道儀に載せ彗星や小惑星の観測に活躍しました。その後、観測所が芸西村に移転した矢先、”フィンレー周期彗星”を検出したことは忘れられません。その後間もなく、鏡は同じく小島さんの好意で、一回り大きな40cm F5の反射鏡となり、鏡筒部は全自作で、空の良い芸西の星空の下で活躍しました。この40cmは5個の周期彗星の発見に貢献しましたが、中でも大爆発によって一旦消えた?と目された”タトル・ジャコビニ・クレサク彗星”を1978年秋に検出したことは忘れられません。この年の観測は芸西だけしか無かった貴重な資料となりました。
 1976年には、あの歴史に残る大ウェスト彗星を迎え、観測しました。ピントが良く合ったときの40cm鏡は素晴らしい映像の切れを見せてくれました。其の頃写真感材として、カーリングしやすいフィルムではなく、コダック社のガラス乾板を使用していました。従って平面性は完璧で、本来のレンズの性能は乾板によって初めてその実力が発揮できたのです。このウェスト彗星の写真は、新装となった東亜天文学会の機関紙「天界」の2010年1月号の表紙を飾りました。
 数々の天体を観測し貢献したこの「小島鏡」はその後の60cmの台頭によって引退し、いま芸西天文学習館の教室に展示されています。メッキは白く濁っていますが、その光の中には、過去の数々の名場面が映し出されているのです。


学習館に展示されている40cm小島鏡と斜鏡

2009年12月06日

高砂市で講演しました

 小惑星「高砂」が実現したことで12月6日、当地の高砂市で命名の記念行事があり、同時に、「星を見つめて」と題して講演を行いました。非常に熱心な聴衆で、私自身が夢中で星の世界にのめり込んで行きました。多くは一般の成人でしたが、星をやっている方たちも目につき、後で有志が集まって、楽しい歓談のひと時を持ちました。
 OAA会長の長谷川一郎氏夫妻、同じく地元で御世話をしてくださった大西道一氏ご夫妻、河野健三氏、「スガノ・サイグサ・フジカワ彗星」の発見者である菅野松男氏や姫路市の桑原昭二氏等のお顔も見え懐かしく思いました。
 講演会を開いたとき、会場の中で意外な人と出会うことがあるものですが、今回もその例に漏れず、何人かの方が訪ねてく下さって、色紙にサインしたり、また昔の出来事を話し合いました。40年も前、東京で私に手紙を下さった魚住仁さんは当時の私の拙著「未知の星を求めて」と私の手紙を大事に取ってあって見せて下さいました。また地元のある女性は、今は珍しくなって希少価値の高い「イケヤ・セキ彗星写真特集」をプレゼントして下さり、今は遠くなった懐かしい時代を回顧しました。
 写真は「イケヤ・セキ彗星写真集」と、1966年1月号の「天文ガイド」誌。上は当日高砂市の市長から戴いた感謝状です。



2009年12月04日

越前岬と大岐ノ浜が命名されました

越前岬と大岐ノ浜が命名されました。即ち、
 (65716)Ohkinohama
 (65894)Echizenmisaki
です。
 いずれも芸西の旧60cm時代に発見した小惑星で暗い星です。

 10年余り前だったでしょうか。私が福井県に講演に訪れた際、観光で見た越前岬あたりの荒海の情景が忘れられずに今度の命名となりました。

 また「大岐ノ浜」は足摺半島の余りにも対照的な明るい南国的な海です。
 命名するにあたってこんなエピソードがあります。

 「東京の新宿に住む青山神春は美しい心を持った少女でした。ある日、南の青年が新しい彗星を発見した、というニュースを見て、独り星の世界に憧れました。そして3日にあげず青年に手紙を書きました。それは美しい散文詩でした。かみはるは大都会の汚れた空気のなかで、必死に美しいものを求めて生きようとしていました。そして宇宙という、これまでに考えたことの無かった世界が開けたのです。汚れを知らず、宇宙に一つの光を求めて生きる青年の姿に感動し、そして何時の間にか恋していたのです。それは神春が勝手に描いた理想の人間像であり偶像だったのです。
 そんなある日私は夢を見ました。かみはると共に海を歩いていました。昼なのか夜なのか、あたりは暗く、私たちの歩くかなたに長い渚が月光に生えて、ただ白く光っていました。夢からさめてこれは一体どこの海岸だったろう、と思いました。
 何年かたって足摺方面に向っていたとき大岐ノ浜を発見しました。それは土佐清水市の海岸でした。長い松林に沿ってややカーブしながら2キロに渉って伸びる海岸線は、正に夢に見た海そっくりでした。
 大宇宙を愛し、詩を愛し、そして世の中に美しいものを見つめて生きようとした、けなげな少女神春を偲んでこの浜を命名したのです。」

 天国へいった神春の魂は今もこの海を歩いています。


大岐ノ浜