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2006年04月30日

明るさの競い合いをするシュワスマン・ワハマン3彗星のB核とC核

 今夜も黄砂か霞みかの非常に悪い透明度の中天文台にやって来ました。5kmくらい彼方の山が煙って空との輪郭が見えません。そんな中観測を強行しました。
 先の宇都宮省吾(うつのみや しょうご)さんのメールにもありましたように、シュワスマン・ワハマン3彗星のB核の模様が変わっています。それまで細長い尖鋭な核で、コマは非常に拡散して、ついに核の分裂という事態に追い込まれたのですが、小さないくつかの恒星状の核だけが残り、ついには消滅して行くのかと思っていたのですが、「どっこい生きているぜ」と言わんばかりに丸いコマが堂々と輝いているのです。星が天頂付近に来た25時30分には20cm60xRによる私の目測では7.9等、その時C核は逆に0.2等暗い8.1等と見ましたがいかがでしょうか。まるで明るさの競い合いをやっているようです。またしてもB核がわずかながらC核を上まわったわけですが、不思議なことにこの時刻にその現象が起ったような気がしました。本来のC核はフワッとしたB核のコマと違って非常に鋭い尖ったコマで、本来のイメージを失っていません。この日ヘルクレス座にあって、彗星のすぐ側に輝いている恒星は同星座のゼータ星(3等)です。もうそろそろこの恒星とどっこいどっこいの明るさになって欲しかったのですが、恒星の影になったせいか手持ちの双眼鏡では見えませんでした。このままで行けば5月中旬には最高で5~6等星でしょうか?
 この日カラーでも撮影しましたので、いずれこのHPの「芸西天文台通信」にてお目にかけます。

シュワスマン・ワハマン3彗星のC核とヘルクレス座のゼータ星
2006年5月1日1時13分から4分間露出
60cm F3.5反射望遠鏡
トライX 400 フィルム

2006年04月28日

ハーシェルの望遠鏡の模型完成

 芸西天文台ではこのところひどい黄砂に悩まされ、ろくに星が見える日がありません。さそり座のアンターレスが肉眼でかすかに見られるような悪い条件の日が続きます。
 そんなとき講師の岡村啓一郎(おかむら けいいちろう)さんがウィリアム・ハーシェルの作った巨大な反射望遠鏡の模型を完成させました。なんでも20分の1の大きさだそうですが、かつての現物が忠実に再現されています。イギリスの過酷な気象条件の中で、ハーシェルは妹のカロリン・ハーシェルを助手として恒星の世界に挑みました。冬の夜は記録するペンのインクも凍ったそうですが、そのような中でカロリン・ハーシェルは6個以上の彗星を発見しています。
 私が3月に岩手県のある牧場を訪ねた時、そこの天文台でヘベリウスの空気望遠鏡を作っていた人がいましたが、それは模型と言うより本物で、対物レンズも10cmF100くらいのとてつもなく長い焦点のレンズを特別に研磨させたそうです。それが観測会の時活躍したと言いますから驚きです。
 ハーシェルの模型の横に写っている鏡は、私が60cm反射望遠鏡ができるまでに、ここで活用した40cmのF5反射望遠鏡で小島鏡です。40cmはすべてが手作りでしたが、1975年頃の白鳥座の明るい新星の撮影から始まり、今接近中の「タットル・ジャコビニ・クレサック彗星」の再発見ほか複数の周期彗星の検出に活躍しました。しかし青板鏡だったのでピント出し他に苦労しました。特にN架台のガイドの悪さ....。

ウィリアム・ハーシェルの反射望遠鏡の模型
画像をクリックすると大きな画像が表示されます

2006年04月17日

シュワスマン・ワハマン3彗星のB核に変化が現れました

 モンゴルあたりからの黄砂が16日に上海の街を襲ったニュースがA新聞に出ていました。この日は非常に青く良く晴れていたのですが、その1日後の17日の夕刻から日本にもやってき始めたのか、途端に空は一面の薄雲にでも覆われたかのごとく曇り始め、天文台では西に落ち行く夕日が、まるで白昼見る満月の如くうっすらと山並みにかかっていました。今年は冬型の気候が続いているためか、全く時期外れの黄砂です。夜に入っても同じで1等星がうっすらとして力なく輝いていました。しかしこのような晩でただ1つ良い事はシーイングが抜群に良い事です。ガイド星は針の如く小さな点像となって微動だにしません。惑星の観測にはもってこいの気象条件だろうと思いました。

 さて成り行きが注目されているシュワスマン・ワハマン3彗星ですが、分裂核のB核が、これまで一番明るく本命とされてきたC核より明るくなっていたのですが、やはり崩れ始めたようで、この夜の観測では、約0.5等暗くなっていました。C核の方は20cmで8.3等星として、しっかりと見えていたなですが、B核の方はかすかな8.8等星で核がぼやけて、しかも進行方向に長く伸び、大変見難くなっていました。今、正に分裂しつつあるのかもしれません。薄いですがコマの周りにはガスがボーッと広く取り巻いているようです。つまり芯がなく拡散を始めたのだと思います。写真はほぼ同じ条件で撮ったB核とC核です。C核の丸いしっかりした様子に注目してください。

シュワスマン・ワハマン3彗星のB核
73P-B/Schwassmann-Wachmann 3
2006年4月17日 21時27分から3分間露出
60cm F3.5反射望遠鏡 Acros 100フィルム



シュワスマン・ワハマン3彗星のC核
73P-C/Schwassmann-Wachmann 3
2006年4月17日 21時33分から2分間露出
60cm F3.5反射望遠鏡 Acros 100フィルム

 天文台のドームは先日来、岡村講師とすずめの巣を取り除き、やっと電動で閉まるようになりました。治ってホット一息入れて見上げていましたら、早くも待ちかねたように2羽の雀がスーッと飛んできて、ドームのふところに入りました。私はこのとき「権兵衛が
種まきゃカラスがほぜくる、、、、、」という、昔のことわざを思い出しておかしくなりました。

2006年04月01日

桜が満開です

 桜の満開の季節を迎えました。過去、美しい桜を見た記憶はいくつかあります。
 20年余り前のことでしょうか。3月の終わりでした。中国地方を旅したとき、徳山市の宿の周辺で見た一面の桜の美しさは忘れられません。
 幼い頃のかすかな思い出として、高知公園の夜桜を母と見に行った記憶があります。高知城の下のすべり山という小高い丘で桜祭りをやっていたのですが、赤いぼんぼりが無数に燈されて、その下で踊っているのを見物したかすかな記憶があります。帰りには鬱蒼とした公園の森林の下の細い道を、母と手をつないで歩きました。片方には白い長い監獄の塀が続いています。あたりは闇に閉ざされ全く人影はありません。恐ろしいほどの闇と静寂の中に、盛んに虫の音が聞こえました。足元の公園側の狭い溝のなかで泣いているキリギスという虫らしいです。あの時の寂しく怖かったことは今でも忘れられません。キリギスは3月から4月の初めにかけて鳴く虫で、余り姿を見せないそうです。最近同じ場所に行ってみましたが、今は全く鳴き声を聞くことが出来ませんでした。
 桜の名所は遠くに行かなくとも、すぐ近くにあります。坂本竜馬が少年のころ通った剣道塾があった築屋敷町(つきやしきちょう)には毎年今ごろには鏡川の土手にそって長い桜の行列ができます。昔山内一豊(やまうちかずとよ)公の行列がこの付近を通ったとき草原で休みました。そのことがあって、この付近を「お旅所」と呼んでいました。あまりの美しさにポケットから携帯ならぬミノックスカメラを取り出して撮影しました。

鏡川畔の桜(1)


鏡川畔の桜(2)