2016年09月11日

竜串が星になりました

 高知県も西部の足摺半島に近い海岸「竜串(たつくし)」が芸西天文台で発見された小惑星に命名されました。即ち(12335) Tatsukushi = 1992 WJ3 です。足摺の美しい海に突き出た巨大な奇岩が印象的で海中展望塔もあり、この辺の海に住む色とりどりの熱帯魚も海中でガラス窓越しに見ることが出来ます。私は30年ぶりにこの地を訪れ、感動を新たにするとともにその景観を宇宙でも輝かせてもらうことにしました。
 1986年には、この近くの海岸でハレー彗星の観測会も開かれました。多くの人を感動させ、青い海の彼方に消えて行った彗星がふと昨日のことの様に思い出されました。遠い水平線を見つめていると、死んだ友人が詠んだこんな詩を思い出しました。
(彗星)
永遠の瞬間を旅する者の事
何もかも青い海の彼方に泳いでいったよ
ボロボロの貝殻を渚に残して


竜串の海岸

2016年08月13日

天文台の珍客

 夏になって、じめじめとする気候になると決まってお化けや怪談が幅を利かせます。ここ芸西天文台でも夏の妖怪はいまや常識となりましたが、そんな架空のものではなく現実に恐ろしい動物が時々天文台に来訪します。
 いまから20年近く昔ですが、私は天文台で観測していて熊を目撃しました。つい最近お隣の安芸市で熊が現れ、新聞で話題になりましたが、芸西はもっと田舎ですから熊が現れても不思議は在りません。いつも天文台に来るとき、東のけものみちの森に光るふたつの大きな目を見ます。これぞ森の主と思うのですが、その正体は不明です。犬や猫の目は夜光るのですが、それとはスケールが違う大きな目の玉です。
 実は今日は親戚の者が帰ってきて、小学生ですからその宿題に星を見に天文台にやって来ました。あいにくの曇り空で、上弦過ぎの月がやっと見られたのですが、早々に引き上げて、天文台から100mほど下の駐車場まで降りていました。ところが暗闇の道路いっぱいに異様な動物の群れを発見したのです。その群れは私たちの道をいっぱいになってふさいでいます。「すわ!クマがでた!?」と思って恐る恐る電燈を照らすと、なんとそこにはイノシシの一家が道路を渡ろうとしていたのです。親イノシシが先頭に。後ろに2頭。その間に無数の子供たちがよちよちと歩いているのです。イノシシは1頭くらいは時々見かけますすがこんな大勢は初めて。
 10年ほど前に、この辺りでニホンカモシカの一家らしい数頭が谷に下って行く光景をみました。やはり芸西は田舎中の大田舎です。どうやら近くの山中にこうした動物の巣があるらしく、近く探険してみましょうか。夜、観測中に谷底から得体の知れない動物たちの異様な鳴き声が聞こえます。


芸西天文台からの下り道に現れたイノシシの子連れ
写真撮影 清水記行氏

2016年01月26日

池谷・村上彗星の再来


 2010年に日本で眼視的に発見された彗星が帰ってきました。
 再観測の事情は、このホームページの「新天体発見情報」に出ています。
 いま19等星ですが、芸西天文学習館でも観測しました。核がAとB、2つに分かれており、B核が主核であると言われています。写真は芸西の70cm反射望遠鏡によるもので、下元繁男さんによって画像処理さたものです。短い曲がった尾に注目してください。今回の出現は最大でも18等位にしか明るくならないようで、アマチュアには困難な対象となっています。
 然し2010年には静岡県の池谷薫さんと新潟県の村上茂樹さんによって眼視的に発見されました。この年は彗星の標準光度が特に明るかったのでしょうか?池谷さんは25㎝反射望遠鏡で、また村上さんは46cmのドブソニアン望遠鏡で発見しました。それが周期約5年の短周期彗星であることが判明したのです。今回の検出は記念すべき最初の出現でありました。
 2007年に新潟県で「彗星会議」があった時、今回の彗星の発見前の村上さんに会いました。彼は会場に46cmの反射鏡を鞄に入れて持って来ました。観測に出かける時には経緯台と共に車に積んで出かけるそうです。そして現地で組み立てて観測に入ります。夕方、西の空を捜索して、もし月のない闇夜なら、車の中で寝て今度は明け方の東天を捜索するそうです。
 こうした移動観測者は昔から沢山いました。アメリカのスイフトは新彗星(13個)と沢山の銀河の発見に成功した人ですが、彼は家から1kmほど離れた工場の屋根の上を捜索の場所に選んでいました。屋根は3つの階段を登りつめるのですが、冬の寒い朝なんか瓦が凍っていて、這うようにして移動したそうです。氷点下の気温の中で、暖は全く取らず、夜明けと共に体も凍てついたと言います。こうした努力を踏み台にしてあの輝かしい成果があったのです。
(参考までに)
 彼の発見した周期130年のスイフト・タットル彗星は夏のペルセウス座流星群の母彗星になっています。

[P/2010 V1 = 2015 Y2 (Ikeya-Murakami)]
P/2010 V1 = 2015 Y2 (Ikeya-Murakami)

[P/2010 V1-B = 2015 Y2 (Ikeya-Murakami)]
P/2010 V1-B

2015年12月08日

芸西望遠鏡の改造

 高知県芸西天文学習館の70㎝反射望遠鏡の一部改造の工事が行われました。70cmの反射鏡はF10ですが、天体を撮像するためにF7の簡易なレデューサが取り付けられていました。最近、これがメーカーによって本格的な5枚構成のレデューサーに交換され、合成の焦点距離はF5(3500mm)となりました。
 12月8日の夜には芸西チームによるテスト撮影が行われ、中でも接近中のC/2013 X1(PANSTARRS)彗星が見事な迫力のある姿に捉えられました。写真は下元さんによって画像処理された同彗星の雄姿で、7等級と8等級の上下2つの輝星に挟まれた絢爛たる写真となりました。彗星はきたる2016年4月の近日点に向かって、これからますます明るく大きくなって行くことでしょう。


C/2013 X1 (PANSTARRS)
2015年12月8日21時57分(J.S.T)から3分露出
70cm F5反射 + CCD

2015年09月27日

東亜天文学会の年会(松山)


 去る9月5日から6日にかけて愛媛大学でOAA(東亜天文学会)の年会が開かれました。OAAは大正年代からの古い歴史を持つ学会で多くの会員が活動しています。
 第1日目は、愛媛大学教授の谷口義明先生による記念講演があり、2日目には、元国立天文台の香西洋樹氏による講演や、会員による研究発表もありました。
 日本での、彗星の眼視発見の全盛のころ、天文台の「天体掃索部」に居て、電話や電報のやり取りをされたのは香西氏でした。中にはとんでもない誤報も有ったりして、苦労されたと思います。40年ほど前、高知県に来られ、一緒に「龍河洞」を"探検"したのも、懐かしい思い出です。今は鳥取県の佐治天文台の台長をされています。


谷口氏(左)と香西氏(右)


歓談する会員たち

2015年08月18日

8月16日の怪

 太平洋戦争の終った1945年8月15日の翌日、奇妙な事件が起こりました。
 高知市の自宅から芸西の天文台に向かう途中に「住吉」と言う美しい海岸があるのですが、実はここに戦時中、特攻隊の基地がありました。その名も「震洋隊」です。特攻隊と言っても飛行機ではなく、二人乗りの小さな舟艇に爆弾を積んで、敵の艦艇に突撃するもので、全国に沢山の基地があったと推定されます。
 戦争は終わったはずの1945年8月16日の夕刻、待機する基地に一通の怪電報が飛び込んできました。
「ダイ119シンヨウタイ タダチニシュツゲキセヨ」と。
 高知県の震洋隊の本部は今の須崎市に有りました。この怪電報は恐らくここから発信されたもので、隊員はそれを信用して、出撃の準備を始めたのです。海岸の林の中の倉庫に隠してあった爆弾を約200名の隊員は22隻の舟艇に運び始めました。ところがどうしたはずみか1個の爆弾が暴発し、22隻の舟艇は次々に大爆発を起こし、111名の隊員が犠牲になりました。
 高知県でも最も美しい青い海岸は一瞬にして赤く悍ましい修羅場と化したのです。近くの目撃者の話によると、何人かの兵士がまるで凧のように、空高く舞い上がっていく姿が見られたそうです。


震洋隊殉国慰霊塔

 10年ほど前になるでしょうか。私はこの現場を初めて訪れました。夕暮れでした。林の中には当時爆弾を運んだと思われる国防色に塗装された車両が大破したまま残されていました。暮れなずむ海は静かでした。何事も無かったかのように青い波が白浜に打ち寄せていました。
 海を背にして帰ろうとすると、ふと後ろからの引く力を感じました。犠牲になられた多くの英霊の魂でしょうか。隊員は高知県と言うより県外の兵士が多かった筈です。故郷に帰りたかったでしょう。私は薄闇の中に海鳴りが聞かれる海岸に向かって静かに合掌をしました。


住吉の海岸

2015年07月14日

冥王星への想い

 いまNASAの無人探査機が接近中の準惑星「冥王星(めいおうせい)」は私が生まれた1930年に発見された関係で、私には特別な思いがありました。
 発見した当初はいて座であったという事ですが、その冥王星は現在同じいて座にいることに気づき、芸西天文台の70cm反射望遠鏡で撮影を試みました。下元(しももと)さんの調査では天の川の微光星の多い中に14等星として写っています(矢印)。約1時間後に2度目の撮影を行いましたが、遠いので2枚の写真を見比べても移動がわかりづらいです。しかし、2枚の写真を交互に表示させてみると、移動している様子がよくわかります(3つ目の写真)。

 私はかねてから疾患のあった心臓部の手術から退院後の2日目の観測行ですが、少し無謀かな、と自分でも反省しました。


冥王星
2015年7月15日0時頃
芸西天文台 70cm F7反射望遠鏡 + Nikon D700


冥王星周辺を拡大


1時間後に撮った画像と交互に表示
(中央で移動している天体が冥王星)

 1930年、冥王星を発見したトンボー氏について1970年代に取材に来たBBC放送のトーマスプロデユーサーは、「宇宙の驚異」と言う番組を製作するにあたって、世界中の有名な天文台を訪ね取材しました。まだ芸西天文台が無かった頃で、私の家にも来てロケを行いました。この取材の様子はイギリスの作家によって本になり、私も所持しています。
 冥王星は1930年トンボーが、ローウェル天文台2代目スライファーの指導の下、火星の運河説で有名な初代ローウェルによって始められた第9番目の惑星の捜索中に発見されました。
 BBCのトーマスさんはローウェル天文台でトンボー氏に会ったとき、彼はUFO(未確認飛行物体)を信じるただ一人の天文学者で、冥王星発見の話の他に余談として、謎の飛行物体の話を聞かされたそうです。「砂漠の中の天文台の上に良く訪れて旋廻する」と言ったそうですが、冗談なのか本気なのか判断できなかったそうです。
 天文の映画は日本では放送されませんでしたが、それを見たスミソニアンの故マースデン博士が「私もいずれ高知を訪ねたい」と言ってきました。彼の思いはハレー彗星の去った翌年の1987年に実現しました。

2015年07月05日

病床の窓

 心臓病があって高知市の赤十字病院に入院しました。手術を経て10日くらいで退院する予定です。若いころから病気ひとつせずに天文観測に携わってきましたので、我が生涯の特別な期間になりそうです。
 高知市の中央から、やや北東寄りの6階の病室から、北の山並みが見えます。この低い連山のすぐ向こうが四国山脈になります。


病棟から北を望む

 真北の山(正蓮寺高原)は標高350~400mで、高知県で最も早くゴルフ場のできた山です。思えば1965年9月、かの”イケヤ・セキ彗星”を追っかけ、暁の空に無事な彗星の全景と対面したのも、この山でした。雲と木立にかかった白い曲がった尾、懐かしいですね。
 そう!イケヤ・セキ彗星の発見から、今年の9月で満50周年になるのです。
 遠い美しい夜景を眺めていると、南国市の点々たる町明かりの上の彗星の姿が思い出されます。この彗星の発見は世界中の多くの人との友情のつながりができました。


病床からの夜景

 私は自分の名刺に、この彗星が太陽コロナの中を通過中の写真を印刷してあります。この小さな写真を見るだけで、私が何者であるのか、何よりも分かってくれるのです。
 いまはプロの掃天によって、たくさんの微光の彗星が発見されますが、彗星の発見は何と言っても眼視発見が華ですね。
 ああ夢よもう一度!!

2015年06月30日

ポン・ウィンネッケ流星群の思い出

 先に珍しいポン・ウィンネッケ流星群の火球を目撃した話をしましたが、この群は昔は良く出現していたようです。ポン・ウィンネッケとは彗星の名です(Comet 7P/Pons-Winnecke)。
 古い話ですが、1927年6月、日本では梅雨期にあたっていたため、京都大学の山本一清博士は、それを観測するために当時の満州国に渡りました。そして奉天の市内で口径10cmの屈折赤道儀を構えて観測していたのです。すると突然パッとあたりが光り、しばらく昼間のような明るさとなりました。「だれだ!」山本博士は何者かが写真撮影のフラッシュを焚いたものと思い込みあたりを見回しました。しかし人の姿もありません。空を見ると明るい流星痕が長々と横たわっていたのです。明らかに大火球です。あとで写真版を現像すると、そこにマイナス等級の大流星が写っていたのです。これは明らかに全盛期のポン・ウィンネッケ群の流星でした。この写真は山本博士の天文台に長く飾ってありました。1954年8月、日本での最初の彗星会議が滋賀県の山本天文台で開かれたとき、私はその写真を初めて見ました。
 1927年にこの流星群がかなり活動したために、翌年の6月にも出現すると見込んで多くの観測者が見張りました。しかし結果はゼロでした。しかし京都大学で助手を務めていた中村要氏のみが沢山の流星を報告してきました。多くの観測者が1個の流星も見なかったのになぜ?という疑問が生じました。これについて山本博士は「この年は鋭眼の中村氏にしか見えないような微光の流星群だった」と結論して当時の書物に発表しています。
 1998年6月、私は71年振りの大出現に遭遇したのですが、確かに微光の流星が多く、特徴として、るで人口衛星かと思うくらいスローなスピードでしたが、中には1等星以上の明るい火球も多く出現して、「中村氏にしか見えないような微光の流星群であった」と言う記述にはいささかの疑問を感じました。

2015年06月28日

ポン・ウィンネッケ流星群の火球?

 懐かしく珍しい名称の流星群です。いまは「うしかい座群」と呼ぶでしょうか。6月22日午前1時。空の様子をうかがっていたら、突然うしかい座から東北天にかけて火球が飛びました。オレンジ色の球形でマイナス1等。非常にゆっくりと飛行機と間違えそうなスピードで約4秒間光りました。
 もうかれこれ20年にもなるでしょうか。芸西の天文台が公開日で、それまで予想もしなかった流星雨に出会いました。インターネットで情報が世界を回りました。藪さんも「知らない群である」と報じられました。
 はくちょう座の中を、同時に3つの微光の流星が極めてスローに流れたりしました。と思うと、あたりが明るくなるほどの火球です。そうです、この群は途絶えて100年! 世間から忘れられていたのです。私が撮影した沢山の火球が、当時のOAAの「天界」誌に載りました。
 今回の流星はたった1個。活動の停滞した群れの貴重な輝きだったのでしょうか!?