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2002年2月の日記

● 2月15日
 よく晴れました。池谷・張彗星は明るくなり、6.3等で尾も1°弱東に流れているようです。しかし西の高知市方向にあり、写真ではカブリのため良く出ません。それでも辛うじてわかるでしょう。
 今夜はこの他、フィンレー周期彗星も観測しました。ちょうど天頂のスバルが美しいのでε160でカラー写真を撮っていたら大きな飛行機が横切っていきました。天文台は高知空港の近くで大阪方面への発進のコース上にあります。
C/2002 C1 を写した写真も2駒飛行機が入っていました。20時頃までは空は飛行機の光跡で絢爛たるものです。飛行機が通った後は20cm300×のガイドスコープ内の星が大きく揺れます。大気が乱れて一瞬シーイングが悪くなるのです。
(写真は中央部を拡大しています)
[池谷・張彗星の写真]
池谷・張彗星と飛行機の光跡

[スバルと飛行機の光跡]
スバルと飛行機の光跡

● 2月12日
 夕刻早い目に天文台の丘にやってきて、西南150kmの遥か足摺岬を遠望しました。夕陽の沈む海は赤一色でまるでおとぎの国の様。
 ドームの天窓の色が藍色になった頃、西空に低いフィンレー彗星(15P)と池谷・張彗星(C/2002 C1)に向けました。フィンレーは30分以内の勝負。C/2002 C1は1時間足らずで地平線にくっついてしまいます。
 今夜はナイターもなく美しい星月夜で、先夜見た夜光現象は全く感じられませんでした。夜空がある程度暗いと都会でCCDを使って観測している人と違って宇宙の微妙な変化に気付きやすいものです。対日照が見える様な見えない様な。
 ウーム、20年前には凄かったが!ハレー彗星のやってきた晩には天体用乾板103a-oの高感度(相反不軌なし)と暗い空で40分の露出をして20等半まで写しました!今の6415はコダックより解像力は高いが感度で1等級劣る様です。しかし安い。コダックのガラスは6×7判で1枚800円くらいしました。それから間もなく3倍ほどに跳ね上がりました!1枚写せば必ずモノにする。それが当時の精神でした。今も当時のプレートホルダー20個が棚に虚しく残されています。
 あの頃はドームの中で苦闘しました。今生きているのが不思議な位。高知-芸西(40km)を自転車で走ったというのはどうですか。費用の使い過ぎがそんな所に跳ね返ってきました。当時の自転車(芸西号)は今も庭の片隅に動かないまま眠っています。

● 2月10日
 池谷・張彗星は夕空ですからなかなか観測のチャンスがありません。
 今夜は自宅教室でのギターレッスンが終わって来客があり、23時頃芸西の天文台に向かいました。寒波が来襲した夜半にはドームの中は氷を割ったような寒さとなりました。南天で暗い新彗星C/2002 B2を1時間かけて2枚メトカーフ法で追跡しましたが18等星で-28°の低空。それに冬のシーイングの悪さもあって写ったかどうか?
 翌日の4時になって急に北から雪雲がやってきて小雪となり道路が凍結寸前の中帰宅しました。
 しかし今夜の夜空の明るさは異常でした。光害にしてはひどすぎる。全天がまるで半月くらいの月光に照らされているように青白く、しかも時刻によって僅かに輝度が変化している!太陽活動による一種の夜光現象か?(オーロラの類似現象)こんなことは高知市に於ける1956年に1度。芸西に来て10年余り昔に2度ほど経験しています。2月10日に何か太陽面で爆発があったのか。まるで巨大なローソクの炎の中に居る様な一夜でした。

● 2月1日
 土佐の春は早く、如月に入ると早春の気配さえ感じます。今日は夕刻家を出発して天文台に向かいました。途中35分ほど走ったところで手結山にさしかかり落日となりました。国道55号線から南に200mほど走って手結湾に沈む夕日を見ました。太陽は足摺岬の方角ですが、時々有名なだるま太陽が見られます。昔はここで蜃気楼も見えたとか。何もかも紅一色の夢のように美しい夕景です。
[夕暮れ]
 天文台では西に近いフィンレー彗星の目的がありましたが、ちょうどこの頃池谷さんが C/2002 C1 を発見していました。
 60cm反射望遠鏡が入っているドームの中から見た西空の光害をご覧ください。手前は野球のナイター。遠くは国道55号線の車(ヘッドライト)の列です。芸西自慢の園芸(ビニールハウス)の灯はまだ灯っていません。この20年で日本一暗い天文台が一番明るい天文台へと一転しました。
[天文台からの明るい夜景]



Copyright (C) 2002 Tsutomu Seki. (関勉)