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2005年08月15日

 第二次大戦終結60

 第二次大戦終結60年目の記念日です。夏真っ盛りの暑い1日でしたが、各地で終戦の記念行事があり、日本列島はそれにも増しての熱気の1日となりました。あれから60年、思い出は茫々としてかすんだのですが、60年前のこの日、そしてこのとき私は高知市の比島山に居てその事を知りました。当時中学の低学年だった私は本土防衛のための勤労奉仕の一環として関東軍の指揮下にあって、軍人とともに作業していたのです。比島山とは当時の高知市の東北部にある低い山で、字の通り昔は太平洋に浮かぶ小島。江戸時代に川谷ケイ山という暦学者が居て宝暦9年9月1日、当時の暦にない日食が起こることを指摘し自ら観測で確かめたのがこの比島山でした。
 山の頂上には無人のお寺があり、その裏山に誰が掘ったのか、不思議な洞穴があリました。遊び盛りの私たちは昼休みのひと時、探検と称して雑草に埋もれた真っ暗な穴に入ったのです。ところが意外と洞窟は長く続き好奇心と半ば恐怖に襲われながら凡そ50mも進むと急にあたりが明るくなり外に出ました。そこは美しい原っぱになっており、眼下に空襲で焦土となった高知市が海の如く拡がっていました。空は美しく晴れ、はるばると続く市街の廃墟は、まるで一幅の絵を見るように何の変化も起こりませんでした。真夏の太陽は容赦なく照り付け、空には何事もなかったように赤とんぼが舞っていました。このとき私の心には「国敗れて山河あり」の言葉がふと浮かんできました。

 さて現実に返ってこの15日、夜は天文台に行きました。故障した60cm反射望遠鏡のその後の調子を見るためですが、空が素晴らしいので結局朝まで残って観測しました。ドーム周囲の叢では早くも秋の虫たちが盛んに合奏しています。とりわけ「チンチロリン」と鳴く松虫の声が可愛く澄んで赴きを添えていました。60cmは微動のガイドが出来ませんが、ともかくくじら座を運行中の新惑星の可能性がある「2003 UB313」に向けてみました。撮ると言うよりガイドできない60cmの追尾の調子を確かめたかったのです。30分で3″もずれません。追尾は満点です。しかし気温の高い夏は20等以下の微光天体は無理でしょう。いま冥王星が太陽系最遠の惑星になっていますが、発見当初もし今のようにカイパーベルト上の天体が知られていたらどのようになったのでしょうか。
 忙しいプログラムをこなしながら3時から東の空をコメットシーカーで捜索しました。面倒なのでナビはセットしませんでした。M1を久々に見ました。そして4時には懐かしいオリオンのM42が視野を訪れました。ぎょしゃ座の無数の散開星団の美しさには心が洗われます。そして終って黎明を迎える時のすがすがしさ。捜索は収獲が無くとも真の星の美を探究できる素晴らしい作業です。心に人間らしい美しさとゆとりを与えてくれます。誰も知らないコメットシーカーの中の星の世界!
それを満喫するだけでも素晴らしいではありませんか!!

2005年08月12日

60cm反射望遠鏡はまだ故障中です。

 恒例の「アストロ教室」の第3日目です。何とかお天気に恵まれ芸西では、早くもツクツクボウシが鳴いています。しかし暑さは真っ盛りです。
 2日前まで五藤光学のサービスが来て、2人がかりで60cm反射望遠鏡の修理を行い、なんとかモーターが回転するようになりましたが、肝心のリモコンが作動せず精密観測ができません。赤経のデジタル表示も怪しいようです。モータードライブは非常に良い追尾をしますが彗星のモーシヨンに合わせた細かいガイド観測ができません。したがって暗い天体の撮影が困難です。
 この日はシーイングが大変良く木星の表面のディテールが見事でした。

 教室が終った後、彗星捜索用の双眼鏡に位置を知るためのナビゲーターを取り付けてみました。予め2つの恒星の位置を記憶させてから捜索中に現れる彗星様の天体の位置(赤経・赤緯)を知るものですが、慣れないのでセッティングが大変です。急いだときはナビなしで観測しそうです。但し双眼鏡の水平度が完全でないので誤差は15分角出ました。しかしこの表示された位置にすべて頼るのではなく、1度以内の誤差ならOKで、あとは視野のスケッチに頼ります。ですから初めての試みとしては成功です。昔は方位角と高度から赤経・赤緯に換算して誤差も5′以内に押さえていましたが、今回は双眼望遠鏡を固定していませんので、これ以上の精度は無理のようです。ナビの赤いデジタルの位置表示は小さくしかもつぶれて大変見難いですが、しかし薄明の明るい中で彗星らしい天体を捕らえたような場合、これほど力になるものはないでしょう。赤道儀で観測しているようなものです。
捜索の秋がかすかな足音をたててやって来ているようです。