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1999年6月の日記

●6月30日
 6月30日は輪抜け様のお祭りです。この日は統計的に言って必ず雨の降る日。好天のようでも夕方ザーッと雨が来る日が多いのです。
 しかし今日は何というすばらしい晴天でしょうか!夕方には底知れぬ藍色の空に東方最大離角度のころの金星が落ち着いた白色に輝き、南天には巡行中の火星が赤く松明(たいまつ)を燃やした様。そして織女星の高さに七夕が近いことを知らされます。
 犬を連れて南堤に出ると、満月を過ぎた明月が筆山の上にかかって朧げな光景です。中国では蘆山の月というのが有名ですが、ここ筆山の月もいいな、と思ってしばし見とれていました。
 川をはさんだ遠くの森から氏神様の賑やかなお祭りの囃子が聞こえてきました。この時南天に流星が一つ赤尾を引いて飛びました。去年の6月、盛んだったウインネッケ流星群はどうなっているだろうか?と、ふと思い出しました。

●6月29日
 最近の天気予報は気まぐれな梅雨前線の動きに翻弄されている様です。6月29日は台風並のものすごい豪雨と風に見舞われ、ここ高知市でも浸水の被害を出しました。注意報は前日出ていたかも知れませんが、私が実際に発令を知ったのは当日の午前9時半。その相当前の早朝から大地が割れるかと思われる集中雨があり、午後には風も吹き荒れました。そして翌30日は”雨のち曇り”という予報が、早朝からカンカン照りの晴天。梅雨前線の雲が予想外に南に下ったのが予報の外れた原因でしょう。
 いつも思うことですが、注意報というのは早く出さないと意味がない。降り出したら誰だって危ないと思うのです。明治時代には何も分からずに突然の災害(台風等)に襲われていたそうですが、それ以来永い歴史を持つ気象学ですから災害の起こる前(少なくとも半日以上)雲の流れや西方での気象状況の変化からこうした風雨が予測できたらすばらしいと思います。だって今は人工衛星が地球を見張っている時代なのです!
 それに比べて同じ人工衛星(ハッブル望遠鏡)で観測を続ける天文学の進展はすばらしい。今や130億光年の映像を捉え、宇宙は解明されつつある。日食にしても、或は月による星のかくれんぼ(オッカルテーション)にしても秒単位の正確さで予報し、ハレー彗星を代表する彗星の回帰にしてもフィルムの中のミクロの世界で正しく測定されているのです。

●6月25日
 少し風邪気味なのか。体が何となくだるい上に、大昔大阪の読売新聞社の階段から転んで打った腰がひどく痛んで、今日は2時間ほど昼寝しました。毎日夏は寝不足なのです。こんなときは泳いで治すに限ると、夕刻市営のプールに行って1000メートルほど泳ぎました。
 本格的な梅雨となって夜に入っても蕭々として降り続きます。雲の上では天の川が美しいだろう。もしかするとその流域に新星が出現しているのではないかと独り考えて心がときめきます。そして最近はSOHO によるクロイツ組の彗星発見が続きます。
 ほとんどが太陽の中に落ち込んで消えて行きますが、中に大きいかけらがあればコロナの中で異常な明るさとなって長い尾を引くようになります。大体数十年に1つの割合で大きい彗星が出現しています。クロイツ組の現れるのは毎年9月。今年あたり何か出そうな予感がするのですが・・・。

●6月23日
 とうとう本格的な梅雨空となった。6月上旬に入ったものの、ほとんど梅雨らしい日はなく、1日降っても次の日は晴れた。6月17日は雨天という予報だったが、意外と夜星が見え出して、天文台に走った。そう言えば去年の6月も良く天文台へ行けた。6月28日にはウインネッケ流星群が更に71年振りに大出現を見せ、私はたまたま頭上に降り掛かる流星雨を目撃した。今年はあいにく月があるが、どんなものだろうか?北天、りゅう座から落ちる流星群に注目したいものだ。ウインネッケ群は火球もあるが大部分が4〜5等星と暗くしかも人工天体と見間違うほどにスピードが遅い。

●6月12日
 昨夜からの続きです。こうして夜を徹して作業することも珍しくないのです。早曉になると夜明け前の30分を12cmの双眼鏡による彗星の捜索です。アンドロメダM31の東から東北の低空にかけて入念に捜索しました。1948年の6月上旬、本田実さんがペルセウス座に4等級の新彗星を肉眼で発見されたことを思い出し、全身に緊張が走りました。火球が1つ南に向かって飛びました。下の暗い池の方から牛蛙がボーウボーウと連呼を始めました。天文台の東側の谷間の深い池は、昔何者かが身を投げたところ。その人の魂の叫びが地の底から響いてくる様な無気味な唸り声でした。
 谷間にかすかなレイ明が射し始めて観測を終了しました。キョキョキョキョッと今度はヨタカの鳴声です。

●6月11日
 天気予報ではくもりのち雨でしたが、朝から晴れ、夕刻には快晴となって、天文台に向いました。天気予報も良い方に外れるのは大歓迎です。梅雨入りにしては前線が南に下っておかしい気圧配置です。高知県では6月10日の”時の記念日”が梅雨入りの目安です。10日を過ぎるとそろそろ長雨の覚悟をするのが、長い間の習慣です。
 夕刻、天文台に着くと60cm鏡のピント合わせです。しかし明るい中は星で合わせることができませんので、気温とピントの位置(目盛)の関係を長い間の観測から次の実験式を得ております。

   y=-0.467x+28.2

 この一次式のXにその時の気温を代入して解くと、yの価が、則ちピントの目盛の値なのです。後は気温の刻々の変化に伴ってピントの目盛を移動していくだけです。
 C/1999H1(Lee)は薄明の夕空にどんどんと低くなっていきます。20cm屈折で覗くと7’くらいある大きな光芒で20時30分には6.9等、東に向かってかすかな尾があるかな?
続いて3月に北極点を掠めたC/1998M5(LINEAR)を捕らえました。60cmの写真で14等くらい。もう相当低くてこれが最後かな、と思いました。

●6月8日
 6月3日頃梅雨入りの宣言となりましたが好天が続きます。昔から土佐は、6月10日またはその少し後に入って、7月20日過ぎまでの約40日間降ることが多かったのです。6月初めの梅雨入りは早すぎるような気がします。
 今日8日は夜に入って晴れ、天文台に向かいました。このところリニア計画の掃天で彗星の発見が多く、その観測が大変です。今日C/1999 F2が発表されました。午前4時、下弦の月の北に木星が昇ってきて、東の森の中が賑やかになりました。懐かしい光です。

●6月7日
 美星天文台の研修室で講演を行いました。天文台を訪れるのは1997年の夏以来2回目ですが、研修室を埋めた熱心な受講者のマナーに心を打たれました。テーマは『ホウキ星と50年』ですが、1965年の池谷・関彗星の話を中心にして彗星発見の妙技やコメットハンター同志の友情について語りました。質問の時間を利用して、元東京天文台、天体掃索部(現佐治天文台長)のお話を聞けたのは幸いでした。我々彗星発見のときに天文台で応待して下さっていたのは香西洋樹氏だったのです。

●6月1日
 梅雨入り前の好天の日、芸西天文台の2人の台員と共に3人で土佐清水市の唐人石群という遺跡?を尋ねました。足摺半島の人里はなれた山中に、まるでイースター島のモアイを思わすような巨岩が海の見える高所に立ち並んでいる姿は奇観でした。人はほとんど訪れることはないので地元の人のみぞ知る名物です。それにしても半島の高台から見る遠い海原の美しさ。幾重にも織物を並べたような海の色の深さは土佐独特のものでしょう。サンフラワーが通っていく、かつてハレー彗星を追って西南の海岸を走った昔の日が思い出されました。冬は巨大なダルマ太陽の見られる名所でもあります。
 石に太陽の通る光路を切って、古代人たちが正午を知ったと言われていますが、唐人石というのは古くから中国人が海を渡って来て生活していたからかも知れません。巨大な石の壁に壁画を探しましたが発見できませんでした。この大自然の空でどんな星が語りかけてくるだろうか?太古からの星が今も燦然と輝いてることでしょう。

[唐人石群の写真]



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)