2010年01月15日

部分日食が観えました

 高知県で部分日食の見える日、芸西天文台で一般公開がありました。多くが学校の先生方で、お話の後、外に出て、折から始まった日食を観測しました。夕日の日食で、西の洋上に落ちていく夕日を肉眼でながめ、日食の進行して行く様子をありありと観察しました。西の足摺岬あたりでは欠けたままのだるま(・・・)夕日が見えるかも知れないと、想像していました。
 夕日の日食は私には初めての珍しい現象でした。
 写真は天文台の林の中に見た太陽を標準レンズで捉えました。午後4時50分ごろの映像です。


部分日食のまま沈む夕日
2010年1月15日16時50分頃
芸西天文台にて

2009年07月23日

部分蝕は雲間に見えました

 7月23日の日食の日、芸西天文台では一般に公開しました。
 夏休みに入ったばかりの子供たちや、その保護者、それに県下のマスコミ関係の人たち50人余りが、小高い丘の上の天文台周辺に集まり、この珍しい天文現象を見守りました。天文台の講師は5人で、めいめいいろんな方法で観測に挑戦しました。
 食甚の少し手前の10時55分、三日月状の太陽が雲間に一瞬顔を出し、あちこちでどっと歓声が挙がりました。薄い雲が適当に太陽の光を弱めて、その現象は肉眼で綺麗に眺められました。歓声を挙げたのは、人間ばかりではなく、気象の異常に気が付いたのか、傍らの林の中で、鶯が盛んに鳴き始めました。
 日食が終わりに近づく頃から、天候は回復に向かい始めました。
 写真は200mmの望遠で撮った部分食と、それを見上げる人たちです。


部分日食 2009年7月22日10時55分ころ
芸西天文学習館 関勉撮影



日食を見上げる参加者
芸西天文学習館にて

2005年11月07日

 いま芸西の天文台は

 いま芸西の天文台は「火星観測週間」で連日沢山の観測者で賑わっています。今日も良く晴れ安芸(Aki)市の赤野(Akano)小学校の生徒と引率の先生でドームの中は割れんばかりでした。半月前の月が輝いていましたが空気は良く澄んで美しい星空が展開されました。
 21時前に公開が終って60cm反射望遠鏡と21cmのイプシロンを使っての例によっての二刀流の観測を始めました。2つの観測所は約30m離れており、この両者を20回ほど往復しました。無論写真観測ですが、60cmは自動ガイドが良いので大いに助かります。実際15分放っておいても1″もずれないことが多く、その間に21cmを弄くったり、或いは眼視捜索するゆとりがあるのです。
 60cmは今夜P/2005 U1をはじめ、最近発見された19~20等クラスの微光彗星も狙いましたが、写ったかどうか。夕方の5時に来て朝まで頑張ると流石つかれます。最後は夜明け前の東天を捜索しました。片方では21cmの反射が露出中です。
 タイムを気にしながらしし座付近を見ました。4時半ごろしし座の南の端にNGC3521を引っ掛けました。これは1961fを発見した頃からおなじみでしたが、確かに古い記憶にありました。(私の頭の中の星図帖)。練習に、と思って久し振りに視野のスケッチをやってみました。なかなか難しいですね。あとで星図と同定するために、星図とのスケールを同じにしておくと便利だと思いました。たとえば1度が2cmの星図ならニコンの12cmは3度の視野ですから円の直径は6cmになります。長い間の極道でこのよう初歩的なことまで忘れかけていました。
 暇さえあれば白地のノートを買ってきてコンパスで丸を描いています。おかげげ観測台の机の上も引き出しの中も”丸”だらけです。それを見るたびに捜索への執念は色褪せていないことを感じます。大きい60cmを操りながらも「私はコメットハンターなのだ」と言う意識を自覚しているのです。

2005年10月01日

火星の異常な赤さが印象的です

 秋の長雨のシーズンで晴れた日は滅多にありません。然し晴れてみると、火星がすぐ近くにやって来ていてびっくりしました。異常な赤さが印象的です。スバルと共に東の地平線を上がって来る姿がいいですね。
 今月の29日は芸西天文台で「秋の天文教室」が開かれます。火星観測の特集で、私は「火星兵団」のお話をしょうと思っています。参加希望者は高知県文教協会(電話088-824-5451)まで申し込む必要があります。”火星兵団”とは1930年台、まだ火星に人が居ると思われていた頃、海野十三(うんのじゅうざ)が書いた科学空想小説で、この本の面白さはあれから半世紀以上もたった今も忘れていません。もしかすると私が星が好きになった最大の動機かもしれません。地球に衝突する「モーロー彗星」を月の摂動で回避さす下りなんか、科学者としての海野なればこその発想です。ガガーリンより早く「地球は青かった」と言ったのは海野だったそうです。1946年、NHKの連続ラジオ劇場で放送された「まだらの紐」のスリルとサスペンスは筆舌に尽くせぬものがありました。もっともこれは外国のクリスティーあたりの原作だったそうですが。

天文台ドームの上の火星とスバル
2005年10月1日 21時30分
85mm F2 5分露出 ISO400フィルム

2005年07月18日

親子天文教室が始まりました。

 朝から良いお天気です。今日は恒例の「親子天文教室」で全3日間の第1日です。初回は主に岡村講師の指導で、簡単なケプラー式の天体望遠鏡の製作に励みました。
 自分で作った望遠鏡で実際に星を見る喜びを子供たちは感受したわけで、いつも大きい望遠鏡で大人から見せてもらっているのですが、今日はそれとは違った感動と喜びを感じたことでしょう。
 子供と親が一つの工作に熱中している姿は美しいもので、これからの子供たちがこうして科学に興味をもち、そして健全な遊びに熱中してほしいと心の中で願わずにはいられませんでした。
 幸い空は晴れて月や木星を見ました。「クレーターが見える」とか、「木星の衛星が3つ見えた」とか、遅くまで興味は尽きませんでした。

 ところで60cm反射望遠鏡の故障ですが、いま高知県生涯学習課の中内さんが五藤光学と掛け合い早急な修理について検討しているところです。どうやらメインのパルスモーターがいかれたらしく、五藤によると新しく作れば約2ヶ月かかるそうで、最悪の場合にはその間精密な天体観測はお休みになります。しかし見学者の多い時期で一般の観望や学習は予定どおり行われることになっています(写真は室内で工作し、外に持ち出して観測している風景です)。

望遠鏡を製作する親子
親子天文教室(芸西天文学習館)


手作り望遠鏡で観望を楽しむ

2005年07月17日

Retina Ⅲcでカシオペア座付近の銀河を撮りました。

 今日は天文台の公開日で梅雨明けの暑い日30人ほどの人が集まりました。
 最初に大庭講師によるパソコンからのプラネタリウムに投影があり、のち60cm反射望遠鏡のドームに入っての月のクレーターや木星の模様の観察を行いました。しかし60cmの赤道儀が不調で観測の途中で遂にモーターが停止しました。今までの故障とは少し違った様子で、20年回り続けた機械もついに終焉を迎えたかな、という寂しさを感じました。これはかなり重大なことで、芸西の観測はしばらくとだえます。
 梅雨明けのクリアーな空には入道雲が高く湧いて空の色は濃い蒼です。夜の星も北の天の川の輝きにふと秋を感じました。
 21cmのイプシロンに50年昔の名機「レチナ」(Retina Ⅲc)を載せてカシオペア座付近の銀河を撮りました。レンズは風景に特別な味のある深い描写をする「ヘリゴン 50mm F2」(Rodenstock-Heligon 50mm F2)、これが初めて星空に挑戦しました。この名レンズの細緻な映像をご覧ください。

カシオペア座付近の天の川
2005年7月18日 2時10分から10分露出
Retina Ⅲc + Rodenstock-Heligon 50mm F2
TM400フィルム

2004年09月19日

 9月1

 9月18日、天文台で一般への公開があって、大庭講師と二人で担当しました。来台者は高知市の小学校の生徒40名とその父兄や先生で講義室は満員にふくれあがりました。天候は今一つで星が見え隠れしましたが、曇っているあいだ、丁度39年前の今日のことを、傍らにおいてある9cmコメットシーカーを見せながら、お話しました。

芸西天文台公開風景
2004年9月18日

 そうです、台風24号のやって来た”イケヤ・セキ彗星”発見の前夜のことです。あの時、もし台風襲来!と言うことで寝ていたら、私の人生はまた変わっていたかも知れません。ちょっとした出逢いによって、その人の運命は大きく変わることがありますが、あのとき台風下の日本列島で悪天の中、観測の準備をしていた人が二人いたわけです。まさに運命の奇遇とでも申しましょうか。
 
発見した場所で撮った池谷・関彗星
1965年11月4日撮影


彗星太陽大接近の日、観測の準備をする池幸一氏(左)と関(中央)
1965年10月21日撮影

 今日9月19日はマスターズの水泳全国大会があって、私は50mと100mの平泳ぎに出ました。その会場で二人の人から「今朝NHKのラジオでやっていましたね」と言われました。実はその約1ヶ月後の10月21日はイケヤ・セキ彗星の太陽接近の日で、こちらの方がもっと大きいニュースになったのですが、それはやりません。なぜなら昭和19年の同じ10月21日、神宮外苑における学徒出陣式という大きな出来事があったからです。
 ところが昔あの古橋選手と競泳をやったというその人は、あのとき小雨のそぼ降る神宮のスタンドにいて東条主席の演説を聞きながら、出陣学徒を見送ったといいます。あれからもう60年!その往年の名選手は今も現役で泳いでいることに深い感銘をおぼえました。ニュース映画で見たあの時のシーンは今も深い悲しみをもって甦ります。あの時集まった数千の学徒達はその I さんによると、殆どの方が沖縄の戦線で玉砕されたそうです。
 確率は低いと思いますが、晴れたらクロイツ群のコースを捜索してみましょうか。あの時の9cmの苗村レンズは今もあの時と同じ光沢を保っています。
 そして心の光沢は? こちらが大事!