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2000年11月の日記

● 11月26日
 2〜3日前からようやく秋らしい空が輝くようになりました。しかし日中はまだ暑く、日光の差し込む私の2階の書斎は午後2時で27℃。室内ではユニホームで、冷房をかける時すらあります。夜の天文台でもそれほど寒くなく、昨夜は13℃くらいで60cmのピントの目盛りを合わせました。ピントの位置は温度と目盛りが一種の相関関係にあって、ノートしてある温度と目盛りの対照表で合わしているのです。
 黄道光と冬の銀河の見える空は美しく、久しぶりに東天を20分ほど捜索しました。
 からす座が安芸市の光害の中にほのかに浮かんでおり、今から53年前の11月15日に広島県の本田さんが1947n彗星をヒドラ座に発見されたことを思い出しました。15cm23Xの木辺鏡は良く見えたことでしょう。
 あの時代の夜空の暗さが想像できますか!

● 11月21日
 雲が少し残っているものの、良く晴れました。22時頃から60cmを使って観測を始め翌日の午前4時30分に終わりました。その間しし座の流星を3つほどと早くもふたご座群の速い流星を1つ見ました。
 午前3時から12cmの双眼式コメットシーカーで東天を捜索しましたが月光と雲に邪魔されました。有名なタトル・ジャコビニ・クレサク彗星は60cmで16等星として小さく写っていました。まだ暖かく本格的な秋〜冬のシーズンではありません。

● 11月17日
 天文台の公開がありました。高知市内団体(16人)と安芸市の母子2人が参加され、雲の多い中天体発見物語りのスライドを見たり、21時になってようやく見えてきた木星や土星を眺めました。シーイングも良く惑星は実に美しく迫力がありました。
 相変わらず冬型の雲の飛ぶ中、しし座群の流星に注目しましたが、23時30分の月の出までには1個も目撃できませんでした。今年は少ないのかな?と思い乍ら帰途につきました。18日にもし晴れたら注目してみましょう。それにしても11月17日は3年連続して悪天です。

● 11月16日
 東京朝日の丸山記者が取材に来られました。同道して昔からの天文ファンの大阪の十河秀敏さんと長野県の金井賢一さんが来られ、芸西天文台ではイケヤ・セキ彗星を発見した9cmのコメットシーカーを囲んで昔話に花が咲きました。丸山さんは取材の写真撮影に熱中され同行のお二人は私の古い著書を持ち出されサインをしました。
 彗星発見は天文人口を作る大きなブームとなりましたが、発見の時出版した本が多くの人に愛読され、今もって親しみの情を持ち続けて居られることに頭の下がる思いでした。当夜の取材は12月中旬に東京朝日新聞「きほんのき」に掲載されます。

● 11月3日
 ”文化の日は必ず晴れる”のジンクスが破れて朝からの曇天。しかし夜はおそく晴れてきましたので天文台へ向かいました。約半月振りです。しかし夜半過ぎまでは星がきれいでしたが、なぜか夜露が異常に多く空も白っぽくて冬の銀河がかすか。黄道光も極めて淡い光でした。
 60cmでいくつかの彗星を写し、後は12cm20Xのコメットシーカーで東天を探りました。透明度が低く、しし座のM星雲がかろうじて見えました。
 コートも要らない暖かさで20℃。天気が悪くすっきりしないのは本格的な秋ではないからでしょう。



Copyright (C) 2000 Tsutomu Seki. (関勉)