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2002年10月の日記

● 10月31日
 今日は曇り空の下、高知市から西に90kmの大方町の海岸にある「あかつき館」の漂流物展を見に行ってきました。ケースに入ったダイヤの指輪や鬼の面、椰子の実。中にはアメリカの東海岸から故意に流したブライアン少年(当時11歳)のビンに入った手紙もこの入野海岸に流れ着きました。大方町から返信を出したとき、少年は16才になっていました。果てしない海原を旅して何処の国の海岸に流れ着くのか。
 ペライン・ムルコス彗星も大宇宙の中を飄々と旅しつづけ、誰かの発見を待っているのでしょうか!?ブライアン少年の手紙が入野海岸に流れ着いたのが奇跡のように、ペライン・ムルコス彗星が再発見されるのは奇跡かもしれません。今日も漁に行きます。ホウキ星が芸西の海岸に流れ着いてくれることを願って。

● 10月17日
 月が大きくなりました。午前3時から5時までの間、目下接近中のペライン・ムルコス彗星の光跡を追って2時間21cm鏡で写真撮影しました。34年間の放浪の旅で位置はセンターからかなりずれているはずです。今回は最も検出の確率の高いセンターから±5日をカバーしました。
 しかし....。なんという手落ち!慣れない望遠鏡ゆえ、鏡のふたをしたままフィルム1本(10枚撮)を写し終えたのです。気が付いたのは最後の1枚をウィルタネン彗星に向けて露出中のことで、その時は99%作業が終わり東に薄明が来たときでした。10年に1度の失敗!?こんな時に限って問題の18D/Perrine-Mrkosは発見されるものですが、不運は何時も付きもの。不運の積み重ねあっての発見とあきらめました。
 さて、天界はどうでしょうか。ペライン・ムルコスはどっかで見つかった?

 60cm反射望遠鏡は精密な観測ができなくなっています。赤緯のクランプをゆるめて筒にぶらさがり体重で重い鏡筒を北に動かします。観測会の時はこうやってサーカスです。ただし、覗くのは20cm屈折のみです。
[望遠鏡にぶらさがる筆者]
望遠鏡にぶら下がる筆者

● 10月7日
 天気が悪い(予報でも)と思ってゆっくり寝て午前5時20分、急に目が醒め2階の東の窓から覗くと、夜明け前の薄明のわずかな時間帯に晴れたのか獅子座が街の屋根に大きく体を乗り出していました。低いベータ星も見えています。近年高知市の空でこんなに美しい星座が見えたことはありません。
 (あの時だった!)41年も昔の10月11日の朝Comet Seki(1961f)を発見した時の感興が思わず湧いてきました。そして1956年の10月6日の朝5時、同じ獅子座にクロムメリン彗星を発見したことも脳裏にはっきりと刻まれています。
 すでに明け始めた星空を私はしばし眺め、遠い日の思い出に耽っていました。

● 10月3日
 ついにちゃがまる時がやってきました。
9月29日から3日間五藤光学が来て60cmの修理を試みましたが、コンソールの電子回路のスパークらしく、重要な部品を外して工場に持って帰りました。しかし製造年代が25年余り昔で、丁度今の高級カメラが10年位を経ると修理が不可能となる様に、直らない可能性が高く、根本的に作りかえない限り60cmによる精密観測は不可能となります。時代遅れの60cmを改造する1つのチャンスですが、その様な余裕もなく「372」は今後しばらく消えることになります。
 天文台公開は11月8日までお休みです。しかし20余年間良くがんばったね!と60cmを誉めてやりたい気分です。

   老化した 器械にすだく 秋の虫



Copyright (C) 2002 Tsutomu Seki. (関勉)