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2001年6月の日記

● 6月30日
 今日は輪抜け様のお祭りの日です。梅雨のさ中でもあり、この日は必ず雨が降ると言われています。実際過半世紀の間でも雨の降らなかった日は5日ほど記録に残るだけ。しかし今日は午後から快晴に向かい天文台行きを計画しています。
 30年近く昔、長女(聡子)が生まれた日、幼い長男を連れて近くの氏神様にお参りに行きました。鏡川を南に渡って遠くに氏神様の森が見え出すとたんぼの中では盛んにかえるが鳴き、神社からお祭りの囃子の音が聞こえてきたものです。その頃の夏祭りは昔懐かしいガス灯がともり珍しい走馬灯が無数に回って、ゆかた姿のお客さんを楽しませてくれたものです。しかし今は名物の角力(すもう)大会もなくガス灯の臭いもしない、何となくただ日頃の売店が並ぶだけの風情のないお祭りとなってしまいました。帰りの暗いあぜ道を通る時聞いた、あの妖怪の鳴き声がなつかしい。丁度1970年の”鈴木・佐藤・関彗星”を発見した年で私の家から見てこの石立八幡宮の森の上に発見しました。

● 6月26日
 雲が多く流れましたが午前2時頃から12cmコメットシーカーで東北天を少時パトロールしました。さんかく座のM33が地平線の山にくっついて驚くほど大きく見え、白い雲片かと思いました。ペルセウス座の二重星団も目が覚めるよう!だから彗星の捜索は収穫が無くても楽しい。時々飛び込んでくる流星の痕の物凄さ。コメットハンターのみの知る天文のすばらしさです。余り成果にこだわりすぎると、リニア計画がどうのこうの言ってやめなくてはならなくなります。昔から真に星を愛する人にのみ女神は微笑んできたようです。
 午前3時、東南の地平線から C/2001 A2 が昇ってきました。8cmのファインダーの中で丸く煌々と光っています。尾は幽かに1°。コマは10'余りで3等星でしょうか?北半球の空に堂々のお出ましです。まだ地平高度が10°以下ですが7月に入ると高くなって1983年3月に地球に接近したアイラス・荒貴・オルコック彗星(3.5等)に似た輝きを見せるのではないでしょうか。カラー写真は530mmF3.3反射望遠で約8分の露出です。モノクロの60cmによるクローズアップ写真は『芸西天文台通信』に掲載してあります。
[北上してきたリニア彗星のカラー写真]
北上してきたリニア彗星 C/2001 A2

● 6月25日
 久しぶりで太陽がのぞきました。日中は33℃の猛暑です。天文台へ行きましたがドームの中はまるで蒸し風呂。実に湿度の高い不快な1日でした。
 22日の接近を過ぎた火星は逆行中で再び赤い巨星アンタレスに近づいています。芸西で見る火星は赤というより真鋳のような色です。これは市外より大気が良いせいで私の住む高知市内ではいつも酒に酔ったような赤です。写真にとってみても、今はアンタレスよりはるかに明るく写っています。
[天の川と火星とアンタレスの写真]
天の川と火星とアンタレス
6月25日23時ころ撮影
カメラ:Nikon F2  レンズ:35mm F2  フィルム:ISO 200

● 6月23日
 なかなか晴れません。今日も終日霖雨です。星の話題もなく退屈な毎日です。
 これから夏本番に向かって怪談が幅をきかせるシーズンですが私たちが子供の頃、田舎ではよく”人魂”という短い尾を持った小さな彗星状の化け物?が出没したものです。高知市でも北山を見ていると青い火の玉(きつね火)が見えることがあり、夏の夕方は家の前の道路に”涼み台”を出して近所の人たちが浴衣姿で集まり、老人の昔話に耳を傾けたものです。話をしている間に北山の中腹にポツンと青い怪火がともります。そして間もなくスーッと飛んで別の山肌にくっついてポッツリと消えます。消えると元の場所にまた別の火がともり山肌を走るのです。きつね火の鬼ごっこでしょうか。
 しかし怪火の見られた北山(正蓮寺)は道路が出来、家が多くなりゴルフ場に開拓されたりしてきつね火もどこかへ逃げて行ってしまいました。
 昔は私の住む上町も人家が淋しく近くに沼地なんかもあって、雨のしとしとと降る夏の晩には妖怪が出たものです。昔のどこからともなく聞こえてきた妖怪たちの鳴き声が懐かしいです。
 さて明日は芸西村天文台の怪物のお話をしましょう。

● 6月18日
 物凄い豪雨が高知県の東部、馬路村と芸西村でありました。天文台では地元の芸西小学校3年生の生徒とその父兄約40人を対象に、主に星のお話と幻灯の会となりました。
 主任の岡村さんは子供たちに星の伝説や宇宙人の話を面白くしました。会が終わっても豪雨は止まず、私たちは傘をさしてもずぶぬれになりながら天文台から下の駐車場に下りたのですが、私が先に帰ってから岡村さんは天文台の戸締りが気になってもう1回山へ上りました。そうすると誰も居ないはずの草むらに丸い光がボーッと黄色くついています。岡村さんは(おかしいな?さては先刻子供たちにお話した宇宙人の眼の光?!)。そう思いながら恐るおそる近づいてみると、何とそれは私が落としていったペンライトだったのです。後から岡村さんから電話がかかってきましたが、幽霊が出るといわれる天文台での一寸した夏の夜のミステリーでした。
 芸西村では1時間に50ミリほどの雨が降ったのに約40Km西の高知市ではほとんど降っていませんでした。
[天文台に集まった子供たちと村岡啓一郎氏]
天文台に集まった子供たちと村岡啓一郎氏

● 6月16日
 このところ天気が大変悪いです。気象台の予報では1昨日の14日、雨の降っている中「15日は午後から晴れ」と発表しました。しかし晴れるどころか、朝からぐずついたお天気は午後雨になってしまいました。今日16日も「晴れ」の予報でしたが日が少しさしたのは午前中の早い時刻で午後も星マークの夜も暗雲に閉ざされてしまいました。
 ひまわりの画像で見ると、今日は西日本全体が大きな晴天域に入っているのですが、四国地方はしめった空気が南方から侵入し局部的に低い雲を発生し四国山脈へぶつかって雨になるらしいです。
 昔から老人たちが雲が登る(北に向かっている)と雨になり出る(南に流れる)と晴れると言っていましたが、これは明治時代の天気予報の充実してない頃の予報術で、私もいつも雲の流れる向きから明日の天気を判断しているのです。
 「晴れ」と言われた昨日は皮肉にも雲はゆるやかに北に登っており、遂に雨天となりました。近代の科学に支えられたはずの予報がいにしえの予報術に勝てなかったのです。高知県に限らず昔から日本では漁師なんかによって風の向きや雲の流れから高い確率でお天気が予知されていたのです。そうしたいにしえの人たちの智恵も今はほとんど受け継がれず消えて行ってしまいました。

● 6月13日
 鏡面作りの名手苗村敬夫さんが名古屋のNHKの撮影スタッフと一緒に来られました。苗村さんはご存知のように、私の9cmコメットシーカーを磨かれたた人で、1965年9月にこのコメットシーカーを使って発見したイケヤ・セキ彗星の写真をバックに歴史的な会見?の記念写真を撮りました。苗村さんのテレビ放送は7月7日の衛星放送で放映されます。
 苗村さんは大変几帳面な方で、約40年前の私の2つの屈折と1つの反射鏡を研磨されたときのフーコーテストを記録されたノートを持っておられ、苗村鏡の優秀さもこんなところにあるのだという感慨を新たにしました。
[苗村敬夫さんと共に]
苗村敬夫さん(左)と共に

● 6月9日
 山口県に住む友人池上栄一さんから、私が生まれて初めて出版した本『未知の星を求めて』が送られてきました。彼は大昔からの私のファンで、私宅にも2度ほど来たことがあります。この本が1966年に出版された時、第1番に買って今日まで大切に保存していたものです。今は本家本元の私のところにもこの本はありませんので全く幻の本で、もし古本屋で見つけたらそれは奇跡です。この初版本を捜している多くの人が居ることを私も知っています。1966年5月、東京の千鳥ヶ淵のヘアモンドホテルでこの本の出版記念会をやったとき、できたばかりのこの本を握り締めた感が今大きな感激をこめて伝わってきました。人生のバイブルの如くこの本を愛してくださった当時の若い人々に感謝します。
[書籍-未知の星を求めて]

● 6月8日
 午前0時、2階書斎の窓から南天を見ると明月(16夜)がちょうど南中し、その少し西に火星が光っていました。少し薄雲がかかっているものの良く見えました。今月の22日に火星は最も地球に近づきますが、空のもっと良い芸西で見れば赤さが凄いと思います。
 今日午後は高知市の公民館へ行って「女性学校」の生徒に話をしました。折から接近中の火星の話が中心になりましたが、成人の場合は小〜中学生と違って落ち着いた態度でよく聞いてくれるので話が白熱します。講師から良い話を引き出すのもこうした聴衆のマナーにかかっているのです。
 今日は朝から見事な快晴でした。梅雨入りの宣言が早すぎたのか?梅雨の中晴れにしてはおかしいです。リニア彗星 C/2001 A2 が見え出した頃(下旬)にもこの調子で晴れて欲しいですね。
[月と火星]
月と火星

● 6月7日
 とうとう梅雨に入りました。3日くらい雨模様のすっきりしない天気でしたが昨夜は回復に向かいかけ、満月が厚い雲の間から時々顔を出しました。しかし今日は朝からの晴天で6月の晴れた日には森や山が格別に美しい様です。
 午後春野町の運動公園に行きましたが、ここはあじさいの花の名所。ブルーの目の醒めるような色がとても印象に残りました。
 プールでは今日初めて屋外の長水路(50m)に入り600米ほど泳ぎました。水温は10℃くらい。さすがに冷たさが身にしみました。C/2001 A2はどうなっているのだろう。IAUの予報通り6月中旬の暁天で4等星になるのだろうか?泳いでいても空模様が気になって、すぐ上向きの背泳になってしまいます。



Copyright (C) 2001 Tsutomu Seki. (関勉)