« 2004年11月 | メイン | 2005年01月 »

2004年12月30日

 寒くなりました。今

 寒くなりました。今朝初めて西方の高い山が真っ白に雪化粧しているのを見ました。
 もう暮れも押し迫ったので、2ヶ月ずぼらしていた散髪に行きました。老舗の初めて行く床屋さんですが、大変話好きで思わぬ珍しい話を聞きました。何でも1週間ほど前の午前5時半、自転車で町を走っている時頭上を火の玉が追い越して行ったそうです。空は晴れて星が出ていたが、高圧線より少し高い位置ですぐ消えたので、星ではなく人魂と思ったそうです。色はオレンジで卵型をしていたと言います。火玉を見るのは遠い昔の田舎で1度あったそうですが、真冬に人魂なんて出るかしら、、、?私は火球が低く見えたのではないかと思いますが、やはり錯覚でしょう。
 そういえば話好きだった祖父が若いころ(明治の終わりごろ)夕方お使いに行っていて、火玉に会ったそうです。それは紛れも無い人魂で、後ろから頭をこするように飛んで、向こうの松の木に掛かってパッチンと消えたそうです。色は青白で西瓜の大きさ、少し尾を引いていたと言います。
 昔は夏の夜、近所の人々が集まって涼み台で涼みがてら、お年よりからその様な面白い昔話を聞いたものですが、最近はその様なチャンスが無くなりましたね。

2004年12月23日

 はやクリスマスがや

 はやクリスマスがやって来ましたが、私のような風来坊は暮れも正月もなく呑気に天文台に通っています。今は特に芸西の夜は暗く、巨大な60cmの下でうごめき作業していますが、いつも午前2時になるとドームのドアのガラスにクリスマスツリーのような黒い影が映ります。何であるか分からず、また怖いのでドアはあけません。
 先日は久しぶりに暁天を捜索しました。しかし星団、雲の位置の良く分かっている東北天を中心に探しました。M13の明るいことには、今更おどろきました。今は東南天が大事なことは分かっているのですが、この方向は星雲が多いので厄介です。段段と昔の勘を取り戻し、スピーディに捜索が出来るように頑張りたいと思っています。
 今年も残り少なくなりました。今夜は今年最後の捜索に向かいます。

2004年12月05日

 発達した低気圧の通

 発達した低気圧の通過で4日の夜から台風並に吹き荒れました。しかし今日は一転して初冬らしい青空の好天に恵まれました。
 芸西の天文台は「高知竜馬空港」を発着したり、あるいは東京から九州方面に向かう飛行機の進路に位置していますから、天文台の上空は沢山の飛行機が飛びます。とくに高い空を短い飛行雲を引いて飛んでいる姿はホウキ星の形に似てハッとすることがあります。四国から夕暮れの九州上空に差し掛かったころの高空の飛行機は殆ど動かない状態で彗星のしっぽのような白い雲を漂わすものですから、太陽に接近したホウキ星を連想してしまうのです。
 この夕焼けに漂う小さな飛行雲が、まるで日周運動で天体が地平線に沈んで行くように極めてスローに移動していくのを見ているとき、私は今から50年以上も昔、彗星か流星痕かの怪しい天体として、日本天文研究会の神田茂(かんだしげる)氏に報告した事を思い出しました。と言うのも研究会の機関紙に同じ日、香川県での目撃談が出ており、私の見たものと大変似ていましたので、約1ヶ月遅れて報告した訳です。
 しかし今思えばその頃(1953年頃)には大変珍しかったジェット機の飛行雲ではなかったか?と思い、実に半世紀振りにそのナゾが解けた思いでした。当時この様な報告は案外沢山あった様に思います。当時は南北朝鮮の動乱が終ったばかりの頃で、ジェット機の旅客機は無く、おそらくアメリカの軍用機ではなかったかと思います。

 懐かしい写真が出てきました。1962年東京上野の科学博物館で行われた日本天文研究会の5月の例会で、向こう側の右端が神田茂会長で、左へ3人目の方が坂上務(さかのうえつとむ)氏、写っていませんが研究発表をしている人が大阪から参加した佐藤明達(さとうあきさと)氏だと思います。
 上野公園は春たけなわで百花爛漫の美しい光景でした。その中を闊歩する私は希望に満ちた32歳。そうです”セキ・ラインズ彗星”を発見したすぐ後でした。
[日本天文研究会例会の写真]
日本天文研究会の例会
右端に会長の神田茂氏。左へ3人目が坂上務氏
1962年5月

[長谷川一郎氏との写真]
長谷川一郎氏(右)と関
1962年5月 須磨にて