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2001年10月の日記

● 10月30日
 午前4時4分ジャスト、ドームの中で観測していたらオリオン座の方向からぎょしゃ座の方向(東北方面)に長い流星が飛びました。色はオレンジで最大マイナス3等。継続時間は7〜8秒。久し振りに見る火球でした。
 秋が深くなって夜明けが遅くなり、4時半頃から約30分東天を捜索しました。しし座にホルベス・山崎彗星(後のクロムメリン彗星)が発見されたのが1928年の10月28日。場所はしし座の黄道に近いχ(カイ)星付近で10等級。この付近はよくホウキ星の出るところで大いに注意して捜索しました。ニコンの12cm双眼は30年余り使ってレンズ系の光の透過が悪くなっていますが、それでも10等星くらいまでの彗星なら見えます。今はあまり暗いものを狙わず9等以上の明るいホウキ星との突然の出会いに期待しているのです。
 では、大きくなった C/2000 WM1 リニア彗星の雄姿をご覧下さい。
[C/2000 WM1 リニア彗星の写真]
C/2000 WM1 (リニア彗星)
2001年10月30日 午前4時17分から6分間露出
芸西天文台 60cm反射
撮影:関 勉

● 10月18日
 C/2000 WM1 が少しずつ明るくなってきています。今は20cm屈折で幽かに見える11.9等星で、60cmの写真では見事な尾を引いています。小口径でも写りやすく静岡県の中村正光さんが10cmF4のカメラで30秒の露出(CCD)した写真ですが、小さいイメージながらコマや尾が良く写っています。1月頃には6〜7等星ですが、尾がかなり見事な彗星として君臨するでしょう(双眼鏡的大彗星?)。
 明けて午前4時から東天を捜索しました。40年昔の今頃は Comet Seki (1961f) の発見で大騒ぎしていた頃で、今日は急遽上京して NHK のTVに出た日でした。正に私の人生の転機となった年でした。
 午前5時、かすかな薄明の中にしし座のβ星が浮かんで来ました。この星のすぐ西に見つかったのです。空が悪くなったものの近くのM65/M66がかすかに視野に映じました。12cm20×ですからあまり暗い彗星の発見は無理で、9等以上の明るい星との出会いに期待をもっているのです。すっかり明るくなってから金星が現れました。すがすがしい捜索後の朝です。
[C/2000 WM1(LINEAR)の写真]
C/2000 WM1(LINEAR)
2001年10月14日 0時12分
PENTAX 10cm F=400mm
撮影 中村正光氏

● 10月7日
 恒例の”星を見る夕”が仁淀村の長者で開かれました。天気予報は下り坂で後雨と言うことでしたので星のスライドをたくさん持っていきましたが、開始30分後くらいで星が見え始め、ついに快晴の下での星見となりました。対象は村の親子で約100人。いくつかのホウキ星を発見した9cmのコメットシーカーを立て十分に星空を楽しみました。
 長者のいつもの古い宿に一泊して翌朝、石鎚山や瓶ヶ森に代表される四国中央山地の標高1500m以上の縦走路を車で走りました。四国山脈はこの他、笹ヶ峰や寒風山等、私が最近小惑星に命名した山々がずらりと連なっていました。
 途中発見した”神鳴らし池”(かんならしいけ)は、大昔轟音と共に池ができたそうで、東西に多少長い窪地(昔は水があった)に私は隕石のクレーターを想像しました。この付近は四国一の大河吉野川の源点です。
[かんならし池の写真]
かんならし池(10月8日)

● 10月1日
 仲秋の明月です。いつもこの頃はむらぐもが騒ぎ折角の名月も曇ってしまうことが多いのですが、まあなんと良く晴れたことでしょう。真円に近い黄金色の月が影絵となった筆山の上にぽっかりと浮かび、星は普通の闇夜よりももっとたくさん輝いています!空気が実に透明なのです。ベートーベンのソナタ(月光)の第1楽章アダーショの演奏が聞こえてくる。そのピアノの三連音符の音はどこからか。空耳か、それとも月の名勝桂浜でのショーの音が南の山を越して伝わってくるのだろうか。時刻が経つに従って月は益々冴え空全体が黄金色となって雁の群れがきれいな山形を組んで北へと渡って行きました。



Copyright (C) 2001 Tsutomu Seki. (関勉)