2015年06月30日

ポン・ウィンネッケ流星群の思い出

 先に珍しいポン・ウィンネッケ流星群の火球を目撃した話をしましたが、この群は昔は良く出現していたようです。ポン・ウィンネッケとは彗星の名です(Comet 7P/Pons-Winnecke)。
 古い話ですが、1927年6月、日本では梅雨期にあたっていたため、京都大学の山本一清博士は、それを観測するために当時の満州国に渡りました。そして奉天の市内で口径10cmの屈折赤道儀を構えて観測していたのです。すると突然パッとあたりが光り、しばらく昼間のような明るさとなりました。「だれだ!」山本博士は何者かが写真撮影のフラッシュを焚いたものと思い込みあたりを見回しました。しかし人の姿もありません。空を見ると明るい流星痕が長々と横たわっていたのです。明らかに大火球です。あとで写真版を現像すると、そこにマイナス等級の大流星が写っていたのです。これは明らかに全盛期のポン・ウィンネッケ群の流星でした。この写真は山本博士の天文台に長く飾ってありました。1954年8月、日本での最初の彗星会議が滋賀県の山本天文台で開かれたとき、私はその写真を初めて見ました。
 1927年にこの流星群がかなり活動したために、翌年の6月にも出現すると見込んで多くの観測者が見張りました。しかし結果はゼロでした。しかし京都大学で助手を務めていた中村要氏のみが沢山の流星を報告してきました。多くの観測者が1個の流星も見なかったのになぜ?という疑問が生じました。これについて山本博士は「この年は鋭眼の中村氏にしか見えないような微光の流星群だった」と結論して当時の書物に発表しています。
 1998年6月、私は71年振りの大出現に遭遇したのですが、確かに微光の流星が多く、特徴として、るで人口衛星かと思うくらいスローなスピードでしたが、中には1等星以上の明るい火球も多く出現して、「中村氏にしか見えないような微光の流星群であった」と言う記述にはいささかの疑問を感じました。

2015年06月28日

ポン・ウィンネッケ流星群の火球?

 懐かしく珍しい名称の流星群です。いまは「うしかい座群」と呼ぶでしょうか。6月22日午前1時。空の様子をうかがっていたら、突然うしかい座から東北天にかけて火球が飛びました。オレンジ色の球形でマイナス1等。非常にゆっくりと飛行機と間違えそうなスピードで約4秒間光りました。
 もうかれこれ20年にもなるでしょうか。芸西の天文台が公開日で、それまで予想もしなかった流星雨に出会いました。インターネットで情報が世界を回りました。藪さんも「知らない群である」と報じられました。
 はくちょう座の中を、同時に3つの微光の流星が極めてスローに流れたりしました。と思うと、あたりが明るくなるほどの火球です。そうです、この群は途絶えて100年! 世間から忘れられていたのです。私が撮影した沢山の火球が、当時のOAAの「天界」誌に載りました。
 今回の流星はたった1個。活動の停滞した群れの貴重な輝きだったのでしょうか!?

2013年02月23日

2012 DA14の撮影

 久しぶりのアポロ型小惑星の接近です。余りにもスピードが速いので高橋製作所のε210 F3.0で挑戦してみました。フイルム撮影で感度は1600です。小惑星のモーションは赤緯方向に大きいので、赤経は固定して、赤緯の方ばかり予報に合わせて北に送っていきました。露出は10秒ですが大変に忙しい追跡でした。撮影時刻は午前5時ごろでしょうか、しし座の明るい銀河M65とM66が写っています。撮影中7cmのファインダーをのぞきましたがそれらしいものは見えませんでした。
 10年ほど前の2002年8月に2002 NY40というのが接近して60cm反射で撮ったことがあります。モーションが遅かったので撮影はもっと簡単で、位置の測定もできました。
 今回は、たまたま前後して、ロシア(ウラル地方チェリャビンスク州)に隕石が落下して、いやがうえにも小惑星の熱で盛り上がりました。
 去る2月17日には、天文台で観測会があり、お客さんに、1947年にロシアに落ちた隕石を見ていただきました。シホテアリン(Shihote-Alin)隕石です。



2012 DA14の写真
2013年2月16日午前5時ころ撮影


2009年11月18日

しし座流星群の観測です

 18日の午前0時、まさにしし座流星群の活動を開始するとき奇跡的に晴れてきました。天文台では他の観測を行いながらドームの中や、時には野外に出て、監視しました。午前4時半ごろ最も多く見られたような気がします。1時間に平均20~30個くらいは出現したようです。その間、2台のカメラを構えて4時間近くに渡って撮り続けましたが、明るい火球は少なく、1等星の流星を僅かに1個写し止めたに過ぎませんでした。改めて流星を撮影することの難しさを知りました。
 彗星を発見する前の1950年代は私は流星の観測者でした。彗星を捜索する傍らに、当時和歌山県に居られた小槙孝二郎氏と連絡を取りながら観測に没頭しました。まだ多くが眼視観測の時代で、観測した流星は、専用の星図にその経路を記入して報告しました。その後写真観測に入りましたが、当時の感度の低いフィルムと、粗末な暗いレンズとの組み合わせでは、撮影に成功する事は奇跡でした。今回やっと1枚の撮影に成功して、ふと当時の苦闘を思い出しました。当時写真観測に成功した人として、小槇さんは天文誌に吉井耕一氏、坂本鉄馬氏、そして私の名を挙げてくれました。日本での流星観測の先駆者的な小槇さんは1962年ごろ私の家を訪ねてくださいました。「関・ラインズ彗星」の出現した頃で、天文冒険家の池幸一氏を交え、歓談したことは今も良く覚えています。

[しし座流星群の写真]
流星(しし座流星群)
2009年11月18日 4時30分
アサヒペンタックスSP タクマー24mm F3.5
ISO-1600フィルム 固定撮影

2008年08月15日

ペルセウス群の火球を見ました

 8月も中旬を迎えましたが、まだ夏たけなわです。
 11日から、ペルセウス座流星群に注目していましたが、ピークは何時だったのでしょうか、それほど顕著な出現に接するこたは出来ませんでした。
 8月14日の遅くから観測を始めて、翌15日の午前3時30分ごろ、北天にマイナス6等級の火球を目撃しました。わずか0.7秒ほどでしたが、あたりが明るくなるほどでした。
 思えば私が初めて彗星の捜索を始めた1950年8月13日の朝、物凄い同群の火球を目撃しました。まるで半月が現れた感じで、自分の影が地面にくっきりと映りました。まともに見ていたらさぞかし壮観だったでしょう。南天に魚のうろこ状の痕が、しばらくの間、克明に残り、異様な感じでした。これからの彗星捜索の前途の、波乱のようなものを予感しましたが、確かにそれから10年余、波乱と紆余曲折に富んだ捜索生活が始まったのでした。
 さて北の天の川は銀の砂をまいたように輝き、アンドロメダの銀河も肉眼でありありと眺められます。地上は夏でも天界はもう秋たけなわのような感じです。
 午前4時前にはまだ8月というのに秋の黄道光がほんのりと東天を細長く白く染めていました。神秘的な光芒は、まだ芸西の空に健在です。

ペルセウス座群の火球
2008年8月15日 3時30分
Nikon FM 28mm F2.8  Plest film

2006年05月02日

大火球を見ました!

 今までの黄砂を一変に吹き飛ばすような見事な快晴に恵まれました。これこそ本当の初夏の空の蒼さです。すこし遅く出発して芸西付近には22時半ごろ到着しました。
 問題のシュワスマン・ワハマン3彗星はそろそろ天心に近くなる時刻です。
 いつもは山の入り口のコンビニに寄るのですが、今日は素通りして天文台への北向きの山道を登り始めた時、西北の低空に閃光が走りました。半月前の月が落ちかかっていましたが、突然現れた光ものに、月が二つ輝いたかと思いました。22時26分頃でした。緑色の綺麗な火の球がゆっくりと落下して4~5秒で消えました。明るさはマイナス5等級でした。位置は双子座の遥か北で西北天です。恐らく愛媛県や本州の広島県あたりでは、目撃者が多いことと思います。
 今夜の天の川も見事でした。バックが墨のように暗く、その光芒が克明に立体感をもって浮かびました。もう夏ですね。
 一連の60cmによる彗星の位置観測を終え、夜明け前の30分を久々に捜索しました。5時間ほどでしたが、充実した観測でした。明け空に低く金星が明るいですね。

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夏の天の川
35mm F2.8 ISO 800 フィルム 20分露出

2005年11月03日

 毎年高い確率で晴れ

 毎年高い確率で晴れることの多い今日、文化の日が珍しく曇天となり細かい雨さえ降りました。
 10月の終わりごろから盛んに流星が活動していたのですが、これはエンケ彗星に伴う「おうし座流星群」でしょうか。1950年代に火球が恐ろしいほど飛んだ記憶がありますが、あれは山本一清氏の始められた第2回目の彗星会議が高槻市であった年でしたから、1954年のことでした。そのとき会った小槙孝二郎氏が、「今年のエンケ属は火球が多かった」と言っておられた事を思い出しました。
 一昨日、私の知り合いの人が朝5時に起きて宇宙からの光とエネルギーを呼吸していたら、空に巨大な花火が炸裂して辺りが昼間になったそうです。恐らくこれは大火球だったものと思われます。

2004年07月22日

隕石落下か?高知市揺らぐ

 あまりに異常な音だったので、びっくりしました。
 7月22日午前1時15分~17分頃、天地に何か異変が起こったような、大気の引き裂けるような音響とかすかな振動が走りました。その時私は3階の書斎でパソコンを操作していました。咄嗟に東の窓から外を見ましたが、深夜の空はただ暗く何も異常に気がつきませんでした。後で知ったのですが、その時妻は下(二階)でTVを見ていたそうですが、やはり音響に気づき、なにかが倒れたかと思ったそうです。
 さて事の次第が判明したのは、安芸市の漁港にいた横山 恵さん(ほか一人)の目撃情報です。私は音を聞いたとき、もしかしたら隕石の落下ではないかと思ったのですが、やはり横山さんらは、1時15分頃西方(高知市は安芸市から西方に約50Km)に3回ほどスパークしながら落ちて行く大火球を目撃し、その約1分後にズシーンと、地鳴りのような音響を聞いたそうです。まさか大流星とも思わず、横山さんは、「これはただ事ではない」と、怖かったそうです。以上の事から火球である事には99パーセント間違いないと思います。問題は、はたして隕石として落ちたかどうかと言うことでしょう。目撃談によれば、地上で花火のように散り暗くなったそうですが、地上で消えたのか、あるいは暗いまま地表または海に達したのか、その辺は判然しません。
 10年ほど前でした。芸西天文台の60cm反射望遠鏡の観測所ドームで観測中、突然ドームの中が昼間のように明るくなり、何分か後でゴーンという海鳴りのような不気味な音を聞いたことがあります。それは後で大火球であった事が判明しました。隕石とすれば、恐らく天文台の上を北から南に通過して、海に(天文台の2Km南は海)落ちたものと思われます。
 今回は深夜のでき事で目撃情報は少ないと思いますが、何か入りましたら続編でお届けします。