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2003年9月の日記

● 9月27日
 昨夜はシーイングが落ち着いていたものの透明度が暗く火星もどんよりと小さく光っていました。しかし今夜の星の美しさと空の暗さは!
今秋2回目のなぞの光芒(黄道光)がペガソスとくじら座の暗い星域に、かなりはっきりと輝いていました。
 例によって60cmで写真捜天、そして今発見されたばかりの P/2003 S1、P/2003 S2 などの微光彗星を観測。2P/Enckeも16等級まで明るくなっていることを確かめました。午前4時には丘の上に登って東方から昇ってくるしし座付近を立ったまま捜索、苗村氏の9cm名鏡は40年昔と同じ発見の星域の星々を今も変わらず美しく映し出してくれました。
 しし座に木星が明けの明星を思わす強い光輝で上ってきました。南の森の上では大犬座が盛んに吠えています。薄明の迫る4時30分、観測を終えて私は恍惚と冬の星座に見とれていました。

● 9月25日
 NHKでテレビドラマ化されている宮本武蔵。その武蔵が佐々木小次郎と試合をしたときの長刀(木製の刀)の正確な写しが私の家にあります。第148号の木刀の証明書は、松井家第13代当主の松井明之(はるゆき)氏が発行したものです。武蔵は一刀流で構えるとき、野球のバッターがバットを立てて構えるようなポーズを良くとった。小次郎の長刀に対抗するために急遽作った長い木刀ですが、じっと手にして正眼に構えると、重い木刀から遠い巌流島での試合の模様が頭に浮かんできます。あの日は晴れていたのか、曇っていたのか。渚に打ち寄せる波の音が、ふと聞こえるような気がしました。
 このころ外国ではガリレオなどが小さな天体望遠鏡を構えて宇宙に挑んでいた頃でしょうか。

宮本武蔵の木刀


松井家発行の証明書

● 9月21日 【天文台・大捜索】
 台風15号が南方を通過中の天文台では強風が吹いていました。しかし、透明度は抜群で夜半にはくじら座の少し北に対日照が見え、しかも黄道が細い筋となって光っていました。
 M31の大光芒は探すともなく発見、そして三角座のM33は幽かな光斑として私の眼に映じました。まだ視力は大丈夫!?
 さてシーイングが悪く60cmでの暗い星の観測は敬遠して夜半の天頂ふきんから黄道に沿っておうし座付近まで小惑星をパトロールし、一方21cmイプシロンでも東方のしし座付近を平行して掃天。そして眼視ではクロイツ属の巣から獅子の大鎌付近を丹念に探し、かなりの低空でNGC2903(m=9.5)を捕らえました。全天の星は大きな呼吸をしていましたが、眼視では見事な空。1940年9月の岡林・本田彗星もこんな暗い星空に発見されたのでしょう。
 ああ美しきは芸西の空よ!

ふたご座のM35散開星団
望遠鏡:ε210
2003年9月22日 午前4時から10分露出


オリオンが昇ってきた!
望遠鏡:ε210
2003年9月22日 10分露出

● 9月18日
 38年昔、台風がやってきたのが9月18日。その夜遅く、イケヤ・セキ彗星を発見したのでした。
 今日は市立公民館で県私立幼稚園PTA連合会の総会で、記念講演を行いました。「星を見つめて」というテーマでしたが、38年昔を思い出し、あの台風の中でもし起きて観測をやっていなかったら、私はこうして演台に立っていることはなかっただろうと思いました。その後の私の人生を変えたイケヤ・セキ彗星との出逢い。人生というものはわずかなチャンスで変わるものです。約500人の聴衆は皆涙目して私の話を聞いて下さり、私自身が感激しました。

● 9月13日
 終戦直後の廃墟の町の空に輝いたホンダ彗星。その多くの彗星を発見した”星尋ね人”(ほしたづねびと)本田実さんは一般に良く知られていませんが、星の詩人でもありました。
 本田さんが生前天体観測の合間にノートしていた詩や俳句を編集し、倉敷天文台を管理していた監物邦男(けんもつくにお)さんがこのほど出版されました。出版と言ってもごく限られた人にだけ贈る非売品で簡易製本ですが、内容は星を愛し続けた本田さんの知らなかった一面が感じ取られ、観測への限りなき情熱が伝わってきます。
 発行された監物さんは終戦直後の1947年11月に発見されたホンダ彗星を倉敷天文台の31cmカルバー鏡で見た人で、この彗星は発見後急速に南下したため、北半球では本田さん1人しか観測していませんでした。監物さんはその頃たまたま中学校の修学旅行の途中に天文台を訪れ、本田さんに見せてもらうという幸運に浴したわけです。その頃、私も星の好きな一中学生でした。
 ああ、秋冷の空に輝いたホンダ彗星!
 敗戦後の多くの若人たちに夢を与え生きる希望をもたらした偉大な先人、本田実氏は今や亡し。

本田実氏の詩集
(裏表紙の写真は1982年に
芸西天文台を訪れた時の本田実氏です)




● 9月11日
 鹿児島港を出発したS氏の潜水艦は東シナ海で台風に遭いました。しかし船名が『荒天号』(こうてんごう)と名乗るほどに少々の暴風はものともせず、南洋に向かって航海を続けていきました。南の島の海底で果たして海賊の残した宝物は発見されたでしょうか。70歳の生涯を限りなき夢と猟奇に生きたS氏の船は今も名勝桂浜の一角にでんと坐り、夢を見続けているようです。
 今夜は仲秋の名月です。私が初めてS氏と出会ったのは今から55年も昔の仲秋名月の夜でした。それはOAA高知支部主催の『名月鑑賞会』でした。夜空には戦後初のホンダ彗星が輝く頃でした。

桂浜に展示されている潜水艦「荒天号」
● 9月8日
 天文台で一般公開がありました。定員40名の学習館に約50名の見学者が訪れました。暑い、雲の多い夕べでしたが、暗くなる頃には13夜の月が冴え、そのすぐ東に並ぶ火星が明るさを増してきました。観客は親子で来られた人が多かったのですが、みんな熱心で学習の態度も立派で、今の子供たちがみんな星が好きになってくれたら将来の日本は住みやすいすばらしい国家になるだろうと一人余計なことを考えながら、3〜4歳の幼児から中学生そして大人に至るまでアイピースのそばに立って一人一人懇切に指導しました。
 火星は少し小さくなった南極冠が300Xで良く見えました。
 月が沈む頃東南の空におおいぬ座が見えてきました。このα星とβ星を東に伸ばすと、その約5倍の延長線上に、あの太陽をかすめるグループのクロイツ組の巣があります。今年あたりその大物が出現しそうな予感がしますがどうでしょうか。イケヤ・セキ彗星の発見から今年で38年です。

昇る大犬座
Nikon F3 50mm
5分間露出

● 9月5日
 3階の屋上から竜馬記念館が完成している様子がよくわかります。木造の2階建てで、瓦の裏側には住民からの竜馬へのメッセージが刻まれています。私も『小惑星2835 Ryoma』と書きました。竜馬の星が空を飛んでいることは地元の高知県ではほとんどの人が知りません。高知県はスポーツや政治、そしてギャンブルには力を入れるが、こと科学となると関心が低いのです。もちろん高知市にも科学施設はありません。

完成が近い竜馬記念館
● 9月4日
 毎日炎天続きです。今朝は久々に夜明け前の東天を捜索しました。入ってくる星団星雲はほとんど無い所で、過去長年にわたる頭の中の星図と比べながら捜索しました。午前4時には早くもシリウスの白い光が踊りながら昇ってきます。クロイツ群の巣もまもなく見え出すことでしょう。
 捜索の秋よ早く来い!

昇るシリウス
2003年9月4日 午前4時
● 9月1日
 火星の観測会で約50人が集いました。天気が良く火星も天の川も大変よく見えました。ドームの中は、多くの人で40度近くまで昇り、脱水症状となりました。
 人が帰った後、60cm反射望遠鏡で多くの彗星やパトロールにがんばりました。人が見れば巨大な大砲を操る疲れ果てた砲兵のようにみえたことでしょう。そういえば父が砲兵でした。
 夜明け前は、曇りましたが早くもシリウスの巨光が昇り始め、絢爛たる冬の星座にみとれました。おお、なつかしいオリオンよ!



Copyright (C) 2003 Tsutomu Seki. (関勉)