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1999年9月の日記

● 9月24日
 台風18号一過後の名月となりました。あまりにも台風の災害を気にして名月のことなんか忘れていましたが、台風が逸れ、夕闇に月が浮かぶと急に思い出してしまいました。
 やや薄雲がかかっていたものの、影絵となった筆山の上にまん丸い月が照るのは良い光景です。仲秋の名月のころは、いつも天気が悪く近年満足に見られたことはありません。
 桂浜は月の名所ですが、きっと大荒れの波の上の月見となったことでしょう。年ごとに街は喧噪を増し人々の心も月を見るような落ち着いた気分が失われていくのは淋しいことです。

● 9月23日
 台風18号の北上が気になります。雨が降ったり止んだりの空模様の中、早朝から市営プールに出かけました。この日マスターズの全国大会があって出場することになっていたのです。1995年以来実に4年振りです。水泳は日課として週に2回は泳いでいたのですが、競技から遠ざかっていたのでダッシュがきくか心配でした。
 25m平泳ぎでは0.6秒、50m平泳ぎでは1.3秒遅くなっていました。4年間にそれだけ落ちたのですからまあまあ我慢と言うところ。
 プールサイドでやれやれと休んでいましたら、岡山県から来た星の人が訪ねて来て驚きました。35才くらい?美星天文台のすぐ近くにドームを持って天文を研究しているとのことでした。今天文をやっている人で往年の水泳の名選手も何人か居られます。今回の大会では1940年代にあの古橋選手と名勝負をしたI氏も出て元気に泳ぎました。

● 9月19日
 池谷・関彗星の34回目の発見記念日。晴れたら・・・と思っていたのですが、残念くもり空。この日はあの時と同じ日曜日だったのです。あの時の腕時計の針をじっと見つめていました。
 午前4時15分。私のレンズに8等級で3'ほどの像が映ったのでした。半月の光を受けてかすかに。この彗星の”第3の男”発見者が外国に居たことは案外知られていません。僅か15年の天文生活で周期約1000年の彗星と出会えたことは正に奇跡です。

● 9月16日
 朝5時に起きて国道32号線をひた走り、徳島大学総合化学部に行きました。学生の聴講生は150人。主に彗星と小惑星の成因と発見について語りました。

● 9月14日
 夏の連続した豪雨もようやく9月に入ってから落ちついてきた様子。しかし9月は台風のシーズンです。油断はなりません。
 鏡川の中州も見えるようになり、犬も泳いでいって上陸し遊んでいます。しかし四羽のアヒルは依然として行方が不明で、いつもの仲良しだった白鷺(しらさぎ)が一羽岸辺で淋しそうにたたずんでいました。アヒルは飛べないので夜の濁流で海へ流されたのでしょうか。8月上旬の夕方、もう暗くなった中州で段々水かさが増す中、四羽がよりそって座っていた痛ましい姿が目に浮かびます。
[しらさぎの写真]

● 9月12日
 神戸市の山田義弘氏と高松市の福島氏が来られ、地元の岡村氏、村岡氏らを交えて天文放談の花を咲かせました。
 山田氏から今話題の天文台の話。村岡氏から軌道計算に関する話。そして、岡村氏は海援隊の竜馬らが乗った”夕顔丸”の見事な模型を披露されました。同じ頃瀬戸内海に沈没した”イロハ丸”の原形を探している由。

● 9月9日
 高知県仁淀村長者の”星ヶ窪”で天体観測会があって出かけました。標高700mの山上に池があり、大昔星が落ちてきて出来た池という伝説があります。晴れたら恐らく日本一星空の美しい場所という私の折紙付きです。北方は四国山脈で星の世界に登って行くかと思うほど険しい所です。しかしあいにくの雨天。やむを得ず下の長者小学校でお話の会となりました。
 イケヤ・セキ彗星を発見した9cmのコメットシーカーをステージにでんと立て、約2時間、当時のスライドを見たりしながら熱演しました。
 1965年9月19日手前4時15分。発見の時刻を記録した手巻きの腕時計が、この時もしっかりと私の腕にくっついていました。耳にあてると幽かな時の音が、あの時の感動を伝えてくれているようでした。

● 9月8日
 天気予報では夜から9日の日中にかけて雨マークが出ていましたが、夜から奇跡的に晴れ9日の日中も晴に恵まれました。
 今、曉の東北天に見えているリー彗星は7〜8等と明るく、9日の朝も太陽に向うアンチテイルが見えました。それは地球が9月6日頃彗星の軌道面を通過しているためで、軌道面でのチリやガスの拡がりが水平方向から見ると、ジェットの様に見えている訳です。
 夜明け前の30分を例によって12cmNikonの双眼鏡で捜索しました。プレセペが見えて来ました。東南の海の上に、うみへび座が長々と横たわって33年前の”イケヤ・セキ彗星”発見の感動を想起しました。そろそろ収穫の秋です!
 1965年9月19日午前4時、あの発見のとき私の腕で時刻を刻んでいた時計が今も日時の通過を告げ続けています。



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)