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2006年08月21日

スイフト・タットル彗星の思い出

 8月15日の終戦の日が過ぎ、夏の高校野球が終わる頃には、お天気も安定し、そろそろ秋の兆しが見えてくるものです。暑い屋根瓦に染み込む蝉の声も心なしか静かで、威勢の良いつくつくぼうしの声が混ざるようになります。
 今年のペルセウス座流星はお月様もあった関係で眼視では余り見ることが出来ませんでした。
 この流星群の母彗星は「スイフト・タットル彗星」と言って130年ほどの周期を持っていますが、この彗星が最初120年の周期と見られていたのですから、1960年代から多くのコメットハンターによる捜索が試みられました。芸西でも60cm反射望遠鏡が完成する前の1980年には、写真的に相当探したようで103a-Oのプレートを使った掃天写真が24枚見つかりました。無論正規の位置から外れていますが、当時1枚が800円近くもした高価なコダックのガラス乾板をふんだんに使ったことを見てもいかにこの捕り物が大掛かりでその発見が価値高いものであったかがわかるでしょう。
 一旦現れたら肉眼的な大彗星です。そして大きな軌道はこの彗星を何ヶ月にも渉ってみせてくれます。しかし最初の周期(120年)を5年ほど過ぎて見つからないとみると気の早い学者が「もう既に通り過ぎてしまったのだ」と言い始めました。しかし眼視的な明るい彗星がやってきて何ヶ月も天空上にある時、今の多くのコメットハンター達が見落とすことは万に一つもないと考えます。この様な事は観測をやらない人の考えです。私は当時OAAの「天界」等で「必ず現れるから熱心に捜索するよう」と盛んに宣伝していました。
 そして最初の予報から遅れること約10年、スイフト・タットル彗星は予測どおり悠々と現れ、暫くのあいだ”夜空の女神”の名を欲しいままにしたのです。先にバーナード2彗星が100年越しにリニアによって確認されましたが、これはスイフト・タットル彗星に比べると大変に暗い小さな天体でした。もしリニアが引っ掛けていなくとも眼視捜索者の誰かの目に止ったと思います。この彗星は最大9等級に達し7x50の双眼鏡で見えたと言う報告もあります。
 彗星が約10年遅れて現れたお陰で芸西では60cmの完成に間にあい、尾を引いた美しい姿を撮影する事ができました。

2006年08月14日

ポケットの中の蛇

 夏の甲子園の野球大会が始まり、そして8月15日の終戦の日が近づいてくると、暑いながらもどことなく秋の気配を感じるようになります。芸西村の天文台では季節を先取りして、早くもつくつくぼうしが鳴いています。草木は長い夏の倦怠からか力なく萎れ、秋風が幽かにそれを撫でています。
 天文台のメインの60cm反射望遠鏡は致命的な故障で7月から稼動しておらず、どうやらメーカーの「ゴトー」も匙を投げたようです。然し見学者は依然多く、暑い中、星の研究に熱気が溢れています。
 いま話題の小惑星「おるき」が近づいています。パソコンの上ではみずかめ座にあって19等。間もなく衝に来て明るくなろうとしています。このままでは恐らくキャッチすることが不可能で、予定されていた10月の「おるきを見る会」もおじやんになりそうです。

 さて夏の怪談シリーズの最終回ですが、前に述べた午前3時になるとドームの窓に映る”黒い影”の正体も結局分からないまま時が経ってしまいました。天文台の近くの古池にはかっぱ(河童)が住んでいるとか、昔、人が飛び込んで、その怨霊が徘徊するとか、聞いただけでもゾーッとする噂がありましたが、所詮それは現実味のない怪談に過ぎないと思います。かっぱの子孫がえんこうと言われ、土佐には昔、川に住んでいたそうです。大変泳ぎの上手な動物で、近くには「えんこう様」を祭った神社もあります。そして水泳のクラブに「えんこう会」と言うのがあって、実は私もそれに所属しています。釣りが好きだった高知県佐川町出身の推理作家「森下雨村」氏の最期の作品に「えんこう川に死す」というのがあり、えんこうは結構有名な存在です。20年余り前、天文台の入り口の近くに、得体の知れない動物の死骸がありましたが、もしかすると、これが”池の主”であったかも知れないと思っています。


京都市伏見区の酒蔵で見たかっぱの図

 さて最後に登場するはいとも珍奇なお話です。今からかれこれ10年にもなりましょうか、晩秋の丁度しし座流星群の見られる時期でした。例によって天文台にやって来た私は、60cm鏡で天体のパトロール撮影をやりながら、スリットの上に展開するしし座の流星をじっと数えていました。
 11月の中旬とはいえ、冬を思わす寒い晩で、私はドームの中の壁に掛けてあった1年越しの古いオーバコートを引っ掛け、ポケットに両手を入れて空を見ていたのです。流れ星を数えながら無意識に右の手でポケットの中の紐のようなものをモミモミしていたのです。「アッ 火球が飛んだ!!」と夢中になって尚もそのつるつるする感じの良い紐を揉んでいたのです。
 その”ひも”が何であったか、今思い出してもゾーッとします。 突然その紐はぬるぬると動いたのです!「紐なんか入れてなかったはずだ」と思って引き出してみると、私の右手にぶら下がったものは、何と冬眠中の1匹の蛇だったのです。突然のことで蛇も吃驚したでしょう、床に落ちた蛇は体を大きくくねらす様にして床の隅の方へと逃げて行きました。どうやらこれは体長50cmほどの青大将だったようで、もしまむしだったらと思うと、今思い出しても恐怖は去りません。

 天文台が雲って星が見られない晩には、星座のお話や、時々そのような怪談をしてお客さんに楽しんでもらっています。
 そうそう、矢野絢子(やの じゅんこ)さんの「おるきの歌」もCDで聞いてもらっています。

2006年08月10日

まだらの紐

 コナン・ドイルの作品の中に「まだらの紐」という怪奇小説があります。
 終戦直後の1946年頃この作品が海野十三(うんの じゅうざ)の訳による放送劇でNHKで数夜に渉って放送され、そのスリルとサスペンスは今でも私の体の中に沁み込んで離れません。何でも寝室のベッドの丁度顔の上に天井から紐がぶら下がっていて、これはどうやら隣の部屋と連絡するための引き紐だったようですが、夜中の3時になるとこの紐を伝って毒蛇が降りて来るという設定です。蛇に食われた人はこれをまさか蛇とは思わず「天井からまだらの紐が、、、、、」と言って息が絶えるという恐ろしい下りです。
 私もこれに似た経験を持ちます。
 天文台のある芸西村は昔から毒蛇の一種である「マムシ」の産地で、室戸岬に通ずるこの山脈にはたくさんのまむしが居ると恐れられています。そのくせこの20年間天文台附近では1回もまむしを見かけたことは有りませんが、しかし恐ろしい事件は1998年の夏から秋にかけて起りました。
 それは蒸し暑い8月の夏の晩の出来事です。いつもの通り天文台にやってきた私はドームのドアをあけて暗い室内に入りました。そうして60cm反射望遠鏡を操作しながら徹夜の観測を始めたのです。目標は夜半の南天の小惑星の探索です。南に少し傾いた鏡筒を操っている時、白いドームの天井に何か黒い影が映っていることに気付いていました。しかし別に気にするわけでも無く、その下で3時間にわたって作業を続けました。無論その間、何回かドームを回して天窓の位置を変えました。作業が一段落して、今度は彗星の観測に移る時、何気なく空を仰ぎました。その時見ました! 1匹の黒い大きな蛇が天井にぴったりとくっついて、頭を下の方に下げているではありませんか。「もし落ちてきたら、、、、」そのときの恐ろしさもさることながら、蛇の下で一晩中作業を続けたことにぞっとする戦慄を感じました。体長1メートル半にも達するこの黒い蛇は何と言う種類でしょうか? 蛇の目的は恐らく天井のスリットの隙間に巣を作っている雀を襲うのだったと思います。
 いつかのNHKの海外での洞窟を探検する番組で、蝙蝠が一匹も居ない洞窟があり、不思議に思って暫く中を調べている時、暗い洞穴の奥のほうからジリジリという得体の知れない足音?が近づいてきます。カメラマンの強烈なライトに浮かび上がったものは口を大きくあけ、今にも襲い掛かってこようとする赤いまだらの大蛇だったのです。 
 さて次回は、これも蛇にまつわる怪談ですが、世にも珍奇な事件です。今でも思い出すたびに背筋を寒いものが走ります。