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2005年11月18日

土佐には立派な暦学者がいました。

 いま高知県文学館で「天文と暦」という催しをやっていますので見てきました。江戸時代の天体望遠鏡と渾天儀(こんてんぎ)、それに当時の暦に関する日記のような資料が展示しされていました。
 説明には、天体望遠鏡は作者不明とありましたが、これは今から200年ほど前のドイツのシュナイダー社の作品で同時に有名なフランホワーの刻印もあり、両者の合作とも考えられます。スタイルは地上用の様にも見えますが、アメリカサイズのアイピースやサングラスも付いている事は立派な天体用です。恐らく山内容堂(やまうち ようどう)公の時代に、先見の明を誇った殿様や侍が使ったものでしょう。
 この望遠鏡で実際に星を見たらどのように見えるでしょうか? 誰しも大変な興味を抱くことでしょう。ところが実際に覗いた男がいたのです!そして事もあろうに、その望遠鏡を密かにお蔵から持ち出して、あの大ハレー彗星を観測したのです。それは一体誰なのか、そして1986年のハレーはどのようなイメージでこの山内家秘蔵のレンズに写ったのか。後にも先にもこれでハレー彗星を見るなんて皆無のことでしょう。その話はまたいつかこのページでお話しましょう。
 さて渾天儀に移りましょう。これは1760年頃の土佐の暦学者「川谷薊山(かわたに けいざん)」の作品です。真鍮を使って実に美しく見事にできています。当時はこうした機械で天測が行なわれていたのでしょう。そしてあの日食予報の元となったのかもしれません。即ち宝暦12年、薊山はその年幕府が発表した暦に9月1日の日食がもれている、と主張したのです。しかし幕府の天文方は反論し話題となりました。
 薊山の計算は正しかったのです。かれは宝暦12年9月1日の正午、高知市の比島山で実際に日食の起こるのを確認し、会心の笑みを浮かべたのです。
 それから150年余りたった1945年8月15日(終戦の日)私は比島山に立っていました。山の頂上に無人の神社があって沢山の絵馬が掛けられていました。その中にどうも普通の風景とは異なる模様の分からない絵が掛けられていました。今思うとどうも日食を描いたものではなかったか、と思ったりするのですが、わかりません。裏の暗い洞穴の入り口に、古い石碑が立っていたのですが、もしかすると日食観測地を記念した碑であったかもしれません。比島山はその後山崩れの災害を起こしてすべて姿を消しました。
 土佐には薊山の先輩に谷秦山のような天文暦学者も輩出しており、日本でも早くから天文学が発展したのですがそれは昔のこと。今では科学に関してはもっとも遅れたお国となってしまいました。

川谷薊山の作った渾天儀(山内家所蔵)


口径80mm屈折望遠鏡(山内家所蔵)

2005年11月13日

ALMAに関連する天文の講演会が催されました。

 今日は予定どおり国立天文台から3人の講師が来られ、高知市大津の高知県教育センターでALMAに関連する天文の講演会が催されました。高知市を中心に非常に熱心な天文ファンが来られて、会は成功に終わりました。ただ高校生を中心とする学生が少なかったことは意外で、学生たちの科学離れの象徴か、今後一考を要する問題だと思いました。
 いつもこうした講演会が行われると意外な人に会うものです。20年ほど前に四日市市で講演会をもったとき30歳くらいのご婦人が後で小学生の子供を連れて控え室にやってきて「先生、お久し振りです。昔ギターを習っていたMです。今日は図らずもお目にかかれて嬉しく存知ます。」と挨拶されました。思い出しました。1966年、あのイケヤ・セキ彗星を発見したあと、”少年サンデー”が取材に来てノンフィクション作家の佐伯誠一氏等が取材したのですが、その時ギターレッスンをやっている風景の写真のモデルになってくれたのが当時女子大生の彼女でした。「先生は何にも言われなかったのですが、あの時私は密かにお慕い申し上げていました、、、、」と言う大胆な言葉はやはり人の親となった落ち着きでしょうか。芸西村出身という彼女はいつの日にか子供と天文台を見学したいと言っていました。
 そして今回の講演会も例外ではありませんでした。私の話が終ったとき、前の方に座っていた一人の紳士がつかつかと歩み出て、「関さん、片岡です。実に53年ぶりです」とおっしゃるのです。いただいた名刺の肩書きを見ると”越知町教育長”と書いてあります。同時に同町の博物館の館長も勤めておられます。思い出は一瞬1952年に遡りました。わたしがOAAに入会して観測を始めたばかりの頃、越知町の小学生で、精巧な天球儀を作り何かの催しで入選して高知新聞に大きく取り上げられたことがあります。その記事を見た私は感動のあまり彼に賞賛と激励の手紙を差し上げたのです。それから4年、私がクロムメリン彗星を発見して報道された時、それを見て中学生になった彼から逆に祝いの手紙をいただいたのでした。しかしその後、一回も会うチャンスが無く、遂に今回がはじめての面会となったのでした。彼は天文の道に進むことは無かったのですが、私からの激励の一本の手紙がきっと彼のその後に良い影響を与えたのではないかと思います。かって私も本田大先生から激励の手紙をいただいたことがあります。
 いまは若い人たちで携帯電話を使った便利なやり取りが盛んになって、手紙の文面に感動したり、或いは涙する事も無くなったのですが、私は今更のように一本の手紙の重さを痛感するのです。私の人生を変えたのも先輩からの一本の手紙でした。

片岡重敦(かたおか しげあつ)氏(左)とともに

2005年11月07日

 いま芸西の天文台は

 いま芸西の天文台は「火星観測週間」で連日沢山の観測者で賑わっています。今日も良く晴れ安芸(Aki)市の赤野(Akano)小学校の生徒と引率の先生でドームの中は割れんばかりでした。半月前の月が輝いていましたが空気は良く澄んで美しい星空が展開されました。
 21時前に公開が終って60cm反射望遠鏡と21cmのイプシロンを使っての例によっての二刀流の観測を始めました。2つの観測所は約30m離れており、この両者を20回ほど往復しました。無論写真観測ですが、60cmは自動ガイドが良いので大いに助かります。実際15分放っておいても1″もずれないことが多く、その間に21cmを弄くったり、或いは眼視捜索するゆとりがあるのです。
 60cmは今夜P/2005 U1をはじめ、最近発見された19~20等クラスの微光彗星も狙いましたが、写ったかどうか。夕方の5時に来て朝まで頑張ると流石つかれます。最後は夜明け前の東天を捜索しました。片方では21cmの反射が露出中です。
 タイムを気にしながらしし座付近を見ました。4時半ごろしし座の南の端にNGC3521を引っ掛けました。これは1961fを発見した頃からおなじみでしたが、確かに古い記憶にありました。(私の頭の中の星図帖)。練習に、と思って久し振りに視野のスケッチをやってみました。なかなか難しいですね。あとで星図と同定するために、星図とのスケールを同じにしておくと便利だと思いました。たとえば1度が2cmの星図ならニコンの12cmは3度の視野ですから円の直径は6cmになります。長い間の極道でこのよう初歩的なことまで忘れかけていました。
 暇さえあれば白地のノートを買ってきてコンパスで丸を描いています。おかげげ観測台の机の上も引き出しの中も”丸”だらけです。それを見るたびに捜索への執念は色褪せていないことを感じます。大きい60cmを操りながらも「私はコメットハンターなのだ」と言う意識を自覚しているのです。

2005年11月03日

 毎年高い確率で晴れ

 毎年高い確率で晴れることの多い今日、文化の日が珍しく曇天となり細かい雨さえ降りました。
 10月の終わりごろから盛んに流星が活動していたのですが、これはエンケ彗星に伴う「おうし座流星群」でしょうか。1950年代に火球が恐ろしいほど飛んだ記憶がありますが、あれは山本一清氏の始められた第2回目の彗星会議が高槻市であった年でしたから、1954年のことでした。そのとき会った小槙孝二郎氏が、「今年のエンケ属は火球が多かった」と言っておられた事を思い出しました。
 一昨日、私の知り合いの人が朝5時に起きて宇宙からの光とエネルギーを呼吸していたら、空に巨大な花火が炸裂して辺りが昼間になったそうです。恐らくこれは大火球だったものと思われます。

2005年11月01日

 晩秋らしい高い青空

 晩秋らしい高い青空が輝くようになりました。
 40年前の今ごろは高知市周辺の山や海に「池谷・関彗星」を求めて正に東奔西走の毎日でした。秋冷の明け空に細長い尾を引いた美しい彗星の姿は今も眼の中に焼きついています。
 実はこの頃キューバのハバナ市に住む「ホセ・カレヨ」さんという作曲家から「Ikeya-Seki」と言う楽譜がとどけられたのですが、彼は手書きの楽譜の表紙に
 『イケヤ・セキ彗星発見のニュースを聞き即興的に作曲した。これを発見した二人の日本人に贈る。いつの日にかこの曲が演奏された時、空には再び彗星が輝くであろう。』
 と言う意味の言葉が綴られています。あの日から40年も経って、しまい込んであった当時の楽譜が発見されました。発見者もまだ聞いた事の無いこの曲を誰か演奏してくれないだろうか。そして夜空に輝くのはどの彗星だろうか。激しいリズムに乗ったおたまじゃくしのひとつ一つが、発見当時のあの感動を思い起こさしてくれます。
 ああ、イケヤ・セキ彗星の思い出はいつまでも消えません。

(クリックすると大きく表示されます)

「イケヤ・セキ彗星」の曲
ハバナ市在住のホセ・カレヨ氏作曲(1965年10月)