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2007年05月19日

奇妙な赤い星

 5月19日の夜から20日の明け方にかけて観測しました。
 いま眼視で見えている彗星は夕空の北空を西進中のC/2007 E2 (Lovejoy)と朝方東天に高い96P/Machholzくらいのものでしょうか。Lovejoyの方は20cm屈折望遠鏡で覗くと11.5等位のかすかな光斑で、60cm反射望遠鏡での写真では15等くらいの鋭い核があります。間もなく眼視では見えなくなるでしょう。一方太陽に接近して明るくなったマックホルツ彗星ですが、この日全光度としては12等位ですが、モーションが早いので60cmで10分位の露出を行うと鋭い恒星状の線を引きます。極めて淡い光芒が大きく拡がっているようです。これはFの暗い反射鏡の写真では残念ながら写りません。

96P/Machholz
2007年5月20日 2時30分(J.S.T)から10分露出
芸西天文台 60cm F3.5反射望遠鏡
TX400フィルム

 さてドームの中での一連の観測を終えてから、夜明けまでの1時間余り、スライドルーフの小屋に移動して捜索を行いました。アンドロメダのM31やM32が驚くほどの明るさで入ってきました。空の透明度は非常に良いようです。つい先刻から気が付いていましたが、アンドロメダのガンマー星の5度ほど西に珍しく赤い熟れたほおずきのような色をした2等星が輝いています。15cm25xで視ると明らかの30"くらいの丸い円盤体で、視野に入った瞬間「火星だ!」と思いました。接近中の火星のイメージそっくりだったのです。しかし良く考えてみると、このように黄道から北に大きく外れた位置に惑星が存在するはずがありません。完全に静止した2等星です。しかも夜明けまで30分以上も輝いていたのです。「一体この星はなんだろう?」と思いながら視野をはずしてしまったのです。そのとき実はまだ火星としての認識が高かったのです。
 帰宅してから大いに疑問が残りました。詳しい位置は分かりません。しかし経緯台には幸いなことにナビをセットしてあり、それで観測した位置を野帳の片隅にメモしてあったのです。
5月19日27時30分(20日3時30分)
赤経 1時38分
赤緯 +44度30分(但し分点は2007.5)
光度2等
肉眼で見た光景でも、青いガンマーと並んで、ほぼ同じ明るさで真紅に輝く恒星の姿は異常でした。
 先の5月16日に、中国の紫金山天文台で2.7等の星が発見され、その後消息を絶つ事件がありましたが、今回の場合も、もしこのまま消えたとすればミステリーですね。アンターレスよりも赤いあの星の正体は一体なんでしょうか? 早くも夏空の怪談です!!

2007年05月15日

「月刊天文ガイド」が取材にきました

 5月14日~15日と「月刊天文ガイド」の佐々木夏記者と漫画家でライターのえびなみつるさんほかが取材にやってきました。もっともこのことは先に新潟県で「彗星会議」があったとき、参加していたお二人から申し込まれていたことでした。漫画家のえびなさんは1965年10月に「イケヤ・セキ彗星」に出会ったこと(中学生のとき)がきっかけで天文の道に入ったそうです。このとき彼が長崎県江迎町で撮った彗星のモノクロ写真は見事で私のホームページの「思い出の彗星」に使わせてもらっています。
 取材では私が高校生の時「ホンダ彗星」に出逢って彗星捜索にあこがれたことや、発見までの人の知らない苦労談についても話しました。芸西の天文台では、旧式ながら今なお現役の60cm反射赤道儀と共に写真を撮りました。重さが5トンもある巨大な鏡筒を電気系統の故障のため体で動かしている様子は、まるで重量挙げそのもの、昔日本軍が旅順の二零三高地を攻めたとき、砲兵が40センチ砲を懸命に操作している姿に見えたようで爆笑を買いました。(内緒にしていましたが重い望遠鏡を動かすための体力作りに今ジムに通ってトレーニングを積んでいるのです!?)
 60cmは故障のまま一年近くも手動で動かしているのです。しかし天体の位置はデジタルできちんと表示しますから、観測には差し障りありません。巨体の中にミクロの精度が同居しているのが天体望遠鏡です。
 この望遠鏡が出来たとき、「この器械と討ち死にするつもりでがんばる。」と心に誓ったことが今現実となって迫ってきているようです。
 このような一途な私の姿をうまく写真と文で表現していただきたい、と願っています。雑誌には7月号(6月5日は発売)にのせるそうで、ほかのコメットハンターの方にも取材が行くそうです。

2007年05月07日

あれは国際宇宙船でした

 一雨あってまた長い晴天が続きそうです。
 先日の日記で明るい人工衛星を見たことを書きましたが、福島県の佐藤裕久さんが早速に調査して下さり、これは国際宇宙ステーションであることが判明しました。時刻も明るさも予報と良く一致しておりましたから、間違いありません。
 さて雨上がりの晴天を利用していま明るい2つの彗星(C/2007 E1とC/2007 E2)を観測しました。夕空のE1の方は眼視では見えず、60cm反射望遠鏡の写真では15~16等の明るさで中心核が比較的はっきりとしていました。一方明け方に見えていたC/2007 E2(Lovejoy)の方は急速に北上して夜半前には東北の空に見えるようになりました。20cm屈折60xですと、かなりボーゥと拡散して4分角のコマが見え9.6~9.7等、尾は見えません。写真では13等くらいの恒星状の鋭い核が写っています。これからますます北上して遂には周極星となりますが、この程度の彗星が眼視で確認できるでしょうか。適当なコメットシーカーで観測できたら捜索者としてかなり有望ではないでしょうか。私は見た瞬間1978年に一度現れて姿を消した「デニング・藤川彗星」を思い起こしました。明るさも形状も良く似ていました。無論彗星は別物で関係ありません。

2007年05月03日

唐人駄馬にやって来ました

 連休中の5月3日、久しぶりに足摺岬にやってきました。
国道を車で走っていると、いつも目にする絶景、それは足摺半島も付け根に近い大岐(おうき)の海岸です。遥か足摺岬に連なる蒼茫たる海と白砂青松の海岸は全く人を寄せ付けないかの様に夢のごとくにかすんでいるのですが、今日は海水浴を楽しむ小さい無数の人影がまるで蟻のごとく浜に海に点在していました。海の魅力に誘われて浜に降りようとしましたが、国道脇の駐車場はあいにくと溢れんばかりの満車でついに諦めて先に向かいました。いつも人影のない、寂しくも美しい海岸の人影は意外でした。

大岐ノ浜
 四万十市(旧、中村市)を通り抜け高知市を出発してから約4時間で目標の遺跡、唐人駄馬(とうじんだば)に到着しました。今から2000年もの昔、唐人の遺品が発掘されたとかいう場所で、それは足摺スカイラインのすぐそばにありました。鬱蒼とした樹海の中に奇妙な形をした巨大の石が、まるでイースタ島のモアイのようににょきにょきと屹立しています。その大きいものはたたみ6畳はあるでしょうか。中には「亀石」と言って亀そっくりの奇岩があったり、剃刀の刃のごとく鋭く研ぎ澄まされて、険しいアルプスの峰の如くに、天に向かってそそり立っているものもあります。そして巨大な岩で出来た洞穴の中に小さな祠が祭ってあって、そこから怪しげな霊気が漂っています。ここには私たちの知らない遠い昔の歴史があるようでした。

唐人石巨石群
 思い出しました。5年あまり昔でした。天文台の岡村、川添両講師と3人でこの付近を探検?したことがあります。そのとき片岡さんとか言うふるい農家のお宅の見事な庭園を見物したことがありました。築山にはここにも奇岩があって、その築山の洞穴を夏至の日に限って太陽の光が抜けるとかで、見に行きました。その日は確か初夏の夏至の日だったように思います。夏とはいえ築山には花いっぱいで鶯の澄んだ泣き声が清らかな高原の風にこだましていました。
 駄馬の遺跡からは広い緑の牧場を越えて遥か足摺の海が見えていました。岬先端の白い灯台が小さくかすみ、その遥か沖を行く白い汽船がまるでおもちゃの如く浮かんでいました。

足摺半島南端の海
 夜になれば頭上にはどのような星空が展開するだろう、と思いながら高原を後にしました。足摺半島には多くのロマンとナゾがある....。まるで桃源郷にでもさかのぼったようなな楽しい一日でした。