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2001年5月の日記

● 5月30日
 ついに梅雨に入ったらしいはっきりしない空模様です。リニア計画等で多くの彗星が見つかっていると言うのに観測になりません。今日はノルトン星図をコピーしてA3の厚紙に貼る作業をしました。捜索はどうせ12cm(双眼)か9cmコメットシーカーですから、あまり暗い星団・星雲は入ってきません。ノルトンくらいが枚数も少なく一番使いやすいのです(本田実氏の愛用した星図)。
 夜更けて天文台から帰ると暗い部屋の一角に飼い猫のロミが待っていて、すーっと足元に現れます。猫も夜は寝ていないのです。退屈だったのでしょう。雨天で星の話題のない今日、猫の写真でも見てください。
 間もなくリニア彗星C/2001 A2が暁に現れます!
[飼い猫ロミの写真]
飼い猫ロミ

● 5月27日
 天気が回復しましたがシーイングが悪くて、17等級のC/2001 K3でさえも写りませんでした。大口径は星の揺らぎが大敵です。しかし透明度は春にしては良く、天の川の中の火星の巨光が印象的でした。妖しげな赤い色の惑星に大昔から多くの人が心を惑わされたことでしょう。
[天の川の中の火星]
天の川の中の火星
105mmレンズ 2分間露出

● 5月22日
 久しぶりに芸西で発見した小惑星に下記の如く命名しました。
   (9196) 須賀川  1992年11月27日発見
   (9323) 佐藤裕久 1989年2月11日発見
 須賀川市は佐藤さんの永く住む街で、マラソンの円谷幸吉氏の出身地です。
 佐藤さんは日頃OAAのために協力してくださっている天文家で、同氏の業績をたたえると共に感謝の意を込めて命名しました。尚、命名の提案者はOAAの原田昭治さんです。
 写真は小惑星9323 Hirohisa-Sato の発見写真で60cm鏡による17.5等の明るさです。
[小惑星9323 Hirohisa Satoの写真]
小惑星(9323) 1989年2月11日(日本時間)
03時09分〜03時39分(二重露光)

● 5月19日
 お天気が良いので夜半に天文台にやって来ました。60cm反射で3時間ほど写真パトロールした後、午前2時30分から夜明けまでの約1時間東天を捜索しました。60cmに同架せる20cmR(40×)で探しましたが、巨大なテレスコープに大きく振り回されて疲れました。12cmの双眼コメットシーカーは広角(3°)で、30分もあれば東天の大半を探します。しかし薄明中の白い低空に、もしコメットらしい天体を捕らえたとしたら.......。なかなかその位置がわかりません。その点赤道儀はたとえ昼間でもデジタルで位置を表示しています。しかもいよいよ怪しいと思ったら60cmの巨砲でズドーンと一発撮影しておけば完璧です。20cmRは接眼部がレボルバーになっていて、40×から200×まで倍率の変換ができるのです。小さな重星でボーッとした天体の判別が可能です。

● 5月11日
 夜中に2階の南側の窓を開けてみると赤い火星の色に驚きました。その赤は何とも言えない落ち着きのあるしかも無気味な赤です。6月の梅雨の中に火星は地球に最も近づいていっそう赤く大きくなるに違いありません。久しぶりの大気の透明な晩に市街でも星が良く見えました。
 午前4時、目が覚めて屋上に上がってみると今度は金星です。東のようやくあけ始めた市街の空にギラギラと大きく輝いていました。
 この場所は1960年代にいくつかの彗星を発見した場所です。ネオンの光る鉄塔のすぐ上に Comet Seki(1961f) が発見されました。あれから丁度40年!夢のようです。
 今年は芸西天文台20周年にあたります。何かの催しを考えています。
[屋上から見た火星]
屋上から見た火星

[屋上から見た金星]
屋上から見た金星

● 5月10日
 月がようやく東に進み満月後の2時間、暗い谷間ができるようになりました。暗いといっても天文台の夏場は毎夜のようにナイター(草野球)があり、ご覧のように昼間のごとき夜空です。このような明るい大気の中で西空に低い本田・ムルコス・パ彗星を写真観測しました。ナイターが消えるとこの明るさは約半分になります。もともと地上の灯りも大変な光害を生んでいたのです。もう全国の天文台で1番明るい場所の汚名も当てはまるかもしれません。悪条件の中でも”やれるだけのことをする”というのが私の信条です。22時半に作業を終え帰宅の車の中から月と火星の並んだ面白い光景を目撃しました。
[芸西天文台の写真]

● 5月2日
 突然の大雨に見舞われました。中央での予報では西日本は低気圧が通るので近々強く降るところもあるとのことでしたが、まるで台風並の暴風雨でした。高知県では1時間に20ミリ以上の雨が終日降り続き、地盤の低い所では床上まで浸水し、多くの被害が出ました。
 いつもながら地方気象台では風雨が強くなりだしてから”注意報”を発令しますが、これでは予報になりません。強く降り出せば誰にでも危ないということくらい分かりますので、少なくともその何時間か前に出さないと役に立たないのです。
 私の祖母が明治時代は何の予告もなく台風が来ていたと言っていましたが、人工衛星が空から監視している時代に、もっと確かな予報が出せないものでしょうか。明日の予報さえ十分でないのに長期の予報が発表されているのはいささか不思議を感じます。

 月が明るくなって観測はひと休みです。しかし大雨の後の災害が心配ですので天文台のドームを見て来ようと思います。



Copyright (C) 2001 Tsutomu Seki. (関勉)