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2005年09月28日

 第一発見者の佐藤裕

 第一発見者の佐藤裕久さんが送信して下さったSWAN彗星(C/2005 P3)の画像を初めて見ました。さすが良く映っています。たしかに拡散状ですね。これでは測定の精度が上がらないでしょう。
 26日には芸西に行きましたが、この彗星が沈んだころ晴れました。夏のこの位置はいつも雲がかかっていて観測になりません。この日の観測はO-Cを参考に僅かに改良した値をMPCに送りました。
 今日は曇り、明日あたりC/2005 R4を狙ってみます。いま60cm反射望遠鏡のコンソールの位置表示が時間で狂っており、出鱈目でよく1時間違えて写したりします。分のオーダーは合っています。10月に五藤光学が来るでしょう。

 昨日Yさんという方から初めての電話がありました。CBの発行を始めた30年前、20歳代の若いハンターでしたが、いまでは50歳代となり、いまだ発見の夢を捨てず時々観測をやっているそうで、快活で愉快な会話を30分も続けました。なんでも藤川・デニング彗星発見の時、極く近くまで見ていたそうです。この日古い横浜の会員の西山峰雄氏からも電話があり、最近音沙汰が無かったので心配してお問い合わせのハガキを出してあったのです。氏は私より先輩のはずですが、心配するどころかトライアスロン?の世界大会で1500mを泳いだそうです。氏は古橋、橋爪時代の日本的な水泳選手であったはずです。私は9月18日のマスターズ全国大会(高知)で100mのブレストを泳ぎました。西山さんは昔、神田茂さんの下で小惑星の円軌道を計算するメンバーの一人であったことを知る人は少ないでしょう。大石さん、森さん、富田さん、竹内さん、それに私他でした。ガウスの5桁対数表、にバフシンゲルの天文表なんかを神田の古本屋に探しに言った事なんか懐かしいですね。そして買った本にM,Yなんて昔の大先生の名がサインしてあったり、、、、。あの頃の学生は参考書をも売る貧しい時代でした。1955年頃、ガウスの対数表を探していたら長谷川一郎さんが「高知大正門前の”池上書店”に行ってみなさい。」と言われるので、小津町の今は無い古本屋に行ってみると正にそのとおりありました。どうして長谷川氏が知っていたのか会ったら聞いてみようと思いながら遂に何度も忘れてしまいました。古い机の上は対数表とノートと鉛筆だけという質素な時代が懐かしいですね。そして夜の捜索は野外で小さなコメットシーカーとスケッチブックと赤い懐中電灯だけ、襲いくる寒さと戦いながら、計算と観測に奮闘したすがすがしい20歳でした。

2005年09月21日

’野口英世’さんが小惑星に命名されました

 昨日の夕、天文台に行きました。目的は先の台風13号による被害の修理と夕空の満月後初の観測でしたが、あいにく雲が多くて観測になりませんでした。60cm反射望遠鏡は故障から後、リモコンが使えたり使えなかったりしています。これはどうやらスイッチのあるリモコンボックスの中の接触不良が原因らしいですがはっきりした事は分かりません。昨晩は正常に働いていました。いつ故障が起こるかも知れぬと言う何か爆発物の処理でもしているような、ヒヤヒヤものです。とくに大事な観測中はいつガイドが不可能になるかも知れないという不安が大きくのしかかっています。
 今朝福島県の佐藤裕久さんからのFAXで、かねてからIAUに申請してあった野口英世さんの名が芸西で発見した小惑星(9964)に命名されたことを知りました。ただしアメリカ人には日本人の名は難しいのか、HideyoがHideoになっていました。早速訂正を申しいれたのですが。
軌道計算ではマースデン氏の先輩に当たる廣瀬秀雄さん(元東京天文台台長)が居られ、その名に馴染みがあったのかもしれません。外国では日本人の名を良く間違えるらしく、その廣瀬先生の談によると、往年盛んに軌道計算をやっておられた日本の長谷川一郎氏と古川麒一郎氏のご両人が同一人物になっていたそうです。お二人の名前をローマ字で並べてみると、なるほどと思わせられます。
 Itirou Haswgawa
 Kiitirou Hurukawa
ざっと見ると大変良くにています。古川さんは頭文字を"F"ではなく"H"を使われましたので余計雰囲気が似てしまったのです。ご両人とも世界的な軌道の研究者であられることは周知の通りです。
 いずれにしても私が小学生のころから尊敬し愛していた苦難の大医学者、野口さんの名が星空に永遠に輝くことになったことに大きな喜びを感じます。

2005年09月19日

スカイ&テレスコープ誌に記事が載るようです

 水泳大会が終ってホッとしましたが、妙に疲れて眠れませんでした。
「もう黎明かな?」と思って時計を見ると、夜光の針は午前4時10分を指していました。咄嗟にハッとして半身をおこしました。そうです!
あれから40年目の「イケヤ・セキ彗星」発見の時刻だったのです!!
この時、口径9cmのコメットシーカーの筒は正しく東南、高度15度の上空を指して静止していたのです。あの日は快晴で下弦の月が輝いていました。今夜も快晴ですが、満月に近い月光です。3階の屋上に上がって見ると東南筆山のそらに、あのウミヘビが横たわり何事も無かったように月光が降り注いでいました。台風通過後の海鳴りの音は、さすが今日は聞こえませんでした。
 アメリカの「スカイ&テレスコープ誌」が「イケヤ・セキ彗星」40周年を記念して特集の記事を書くらしくて、あの有名なコメットハンターD.レビーさんがオーストラリアの加藤英ニさんを通じて質問状を送って来られました。加藤さんのお手を煩わして多くの質問に答え発見者の一人としての色々な意見や感想を述べさせて戴きました。それには今まで一度も語ったことの無い感想や秘密があり、私自信としても12月号の発刊に期待を寄せています。

2005年09月18日

マスターズ水泳大会の全国大会に出場しました

 今日は恒例のマスターズ水泳大会の全国大会が高知県の東部運動公園の室内プールであって、昨年に続いて参加しました。
 25m平泳ぎが21秒、100m平泳ぎが1分52秒もかかりました。年々タイムが落ちます。県外から来た知らない選手から「彗星はやっていますか?」と声をかけられました。
 本来水泳は健康のため、そして観測を長く続けるためにやっている事で、「ヨーイ、ドン」は例外です。しかしいつの間にか大会へ出始めて30年がたちました。40歳の時、25mが19秒。30年経って2秒遅くなったわけです。普段は長い距離を背泳や平で泳ぎながら脳裏にはいつも「如何にして彗星を発見するか?」を考えつづけています。「1つのことを成就するには、そればかり考え続けなさい。」という恩師の言葉がいつも重くのしかかっています。そしてそれは習慣になりました。

2005年09月05日

佐藤裕久さん他がSWANの画像から新彗星を発見しました。

 村岡健治さんが新しい機器を持って、故障している私のパソコンを治しにきてくれました。これで再び彗星の位置測定が出来るようになりました。あとは依然として動かなくなっている芸西天文台の60cm反射望遠鏡の修理回復を待つのみです。
 先日OAA(東亜天文学会)の佐藤裕久さん他がSWANの画像から、新彗星を発見され、誠に天晴れでした。天文学に熱中し、普段熱心に研究している賜物だと思います。リニア計画を知っただけでひるんで、折角の捜索も観測もやめていった人がありますが良い対照です。この5年間往年のコメットハンターたちによって多くの眼視的彗星が発見されて来ましたが、要するに熱心にやれば成果は挙がると言うことです。
 台風14号の接近する中、高知市春野の長水路屋外プールに泳ぎに行きました。やや冷たい水面に雨が叩きつける中、平泳ぎで500m、背泳で200m泳いできました。また午前中は芸西の天文台に行って60cm反射望遠鏡にかっぱをかぶせてきました。6mドームのスリットが完全に閉まり切らなくなって、雨漏りが心配されたからです。台風が完全に抜けるのは7日ごろでしょうか。晴れてくれば初秋の空を心行くまで捜索します。
 夜になって雨脚の音が一段と高くなりました。