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2002年12月の日記

● 12月5日
 今日、高知県佐川町の『老人大学』主催の講演会に行き、『星が輝くとき』と題して星と人生の話をしました。参加者の中には40年も昔、私が同町の病院にギターを教えに行っていたときの生徒もいて大変懐かしく思いました。あのころは 1961f 発見の少し前だった様に思います。そして数年後、佐川高校の音楽部で教えているとき、イケヤ・セキ彗星の発見がありました。
 終わって今日の話題の一つとなった山崎正光氏(クロムメリン彗星の発見)の生家を訪ねました。子孫の方は県外へ移住され、ガランとした空き家になっていました。晩年の山崎氏はこの家の前の畠の中で彗星の捜索をやっていたのです。
[山崎正光氏の生家]
中央の2階のある家が山崎正光氏の生家
 続いて、南に10Kmほどはなれた虚空蔵山の「山崎記念天文台」を訪ねてみました。海抜700mほどの高地にある天文台(25cm反射)ですが、昼間でもあってガランとし、今は廃屋のように見えました。
 ハレー彗星の時には一晩に1000人も集うほど大いに盛り上がった天文台ですが、今は夜も訪れる人も少なく周辺の紅葉のみがやけに美しく見え、『国敗れて山河あり』となぜかその言葉を思い起こしました。20歳の時、友人のK君と登った虚空蔵山ですが、遊園地に開発が進んで昔の面影がなくなっていました。頂上の松ノ木の下で2人で眺めた蒼茫たる太平洋は今日は遠く煙っていました。
 − ああ、50年一瞬の如く −
[記念碑と看板の写真]
わかりにくい道をたどってようやく到着した

[ドームの写真]
建物は寂れ、ドームだけが往年の栄光を語るが如く光っていた



Copyright (C) 2002 Tsutomu Seki. (関勉)