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2015年02月06日

関・ラインズ彗星発見の思い出

 今日2月4日は立春です。
 立春と言えば「関・ラインズ彗星」の発見を思い起こします。
 当時は、深夜はりまや橋の仕事先「音楽教室」から電車に乗って、坂本竜馬の誕生地の「上町一丁目」で降り、家までの300メートルを歩いて帰りました。
 南の鷲尾山の上には、おおいぬ座のシリウスが、冬の荒い大気に揺さぶられて猛烈に明滅し、壮麗な天の川が頭上に低く迫っていました。そうです!このころの高知市の空には、まだ美しい星座が残っていたのです。
 自宅の門をくぐると「ただいま!」もいわないで、中庭の物干し台に上がりました。桟敷の中央に据えられた9cmの手製のコメットシーカーにすがるようにして南に低い天の川の中を探索し始めたのです。
 そして夜中の23時半、マイナス38度という超低空に異常な天体を発見しました。それがのち大きくなって4月1日に近日点を通過した「関・ラインズ彗星」の発見だったのです。全くの"無欲"の発見でした。

 この物干し兼観測台は、後の「イケヤ・セキ彗星」発見の時にも使用されたのですが、実はこの取り壊されたはずの観測台に昨日上ったのです!そこには実に50年ぶりに見る当時の四角い白い筒のコメットシーカーがありました!
 私は、思わずコメットシーカーのハンドルを握って捜索を始めました。
 これは夢でしょうか?!いや立派な現実です。


再現された物干し観測台

 当時の観測台がいま「高知市子ども科学図書館」に、そっくりに再現されたのです。そして、ここで長いこと使用してきた9cmのコメットシーカーの高知市への譲渡の式典が繰り広げられ、市長や教育長、芸西村の天文台を管理する文教協会の理事長らが出席されました。
 会場には80点に上る天体写真や発見のメダル。関勉のゆかりの品々が展示されています。また芸西で発見命名した223点の小惑星の番号と軌道図がパネルに貼られて、ひときわ目立っていました。大変な作業です。


223個の小惑星のパネル

 1個の小惑星が発見されて無事小惑星センターから確定番号がもらえるまで、少なくとも1年から数年はかかります。その多くは次に帰って来た時の観測を芸西で行いました。
 223個の小惑星が確定させるまで、一体どのくらいの時間を要したのだろうと自分でも恐ろしくさえなりました。

 来る2月8日にはこの上に立って講演会を催します。きっと「池谷・関彗星」が現れた夜のことを、いやがうえにも思い出させてくれることでしょう。