ホームページへジャンプ

| 星日記へ戻る |

2003年5月の日記

● 5月29日
 夕方天文台へ何回も出かけながら晴れず、天文台の近くから引き返してくることが多くなりました。もう四国では梅雨に入ったといってもおかしくない雨天続きです。しかも台風4号が北上中で明日には荒れそうです。
 ところで、先日東北で地震があり震源に近かった方々にはお見舞申し上げます。私は1946年12月の南海大震災にあっており、地震の恐ろしさはイヤというほど知っております。高知市の東部は水没し、ボートで中学に通ったことも懐かしい思い出です。そして地震の前夜、隆起して海水がなくなった浦戸湾の河口付近で川魚を捕っていたことも。なんとその3時間後におそってきたのです。
 地震発生の午前4時頃、やや曇った明け空にぼーっと1つの明るいホウキ星が輝いていた!?それは今から思えば戦時中の1945年5
月、白昼太陽のそばに見えた光る物体と同様、金星だったと思うのですが、はたして1946年12月26日の午前4時、金星は太陽のどちら側にあったのでしょうか?

● 5月22日
 元東京天文台の冨田弘一郎さんから土佐の山内家にある天体望遠鏡についての問い合わせがあり、数点の写真を送りました。この写真(写真1)はその中の1枚で、土佐天文史研究家の岡村啓一郎氏といっしょに写っています。
 望遠鏡は今から約200年ほど昔の土佐藩最後の殿様、山内容堂公の時代に入手したもののようです。天文の機器としてほかに多くの渾天儀(こんてんぎ)が残されています。このドイツ(シュナイダー光学)製の天体望遠鏡は口径80mm F15で、天体用の3個のアイピースとサングラス。それに地上用の正立のアイピースも付いており、1987年にあのマースデン博士も見学しました。その頃いったい誰が何の目的でこれを入手し、天体を見たのか?それは容堂公自身なのか、それとも常に時代を先取りした坂本竜馬なのか。竜馬は大宇宙を見ることによって広大な宇宙を知り、鎖国的な日本から全世界に羽ばたく彼の思想が生まれたと考えるのは早計でしょうか?ハレー彗星の頭上に輝く1835年11月15日に生まれた彼は、奔竜天馬の如く空を行くホウキ星がヒントとなって”竜馬”の名を得たのです。竜馬が覗いたかもしれないこの天体望遠鏡で私は1986年3月、ハレー彗星を見ました。あの美しい光景は忘れられません。
 写真2は坂本竜馬の銅像の前に立つマースデン博士(向かって左)と関です。

(写真1) 山内家の望遠鏡と岡村啓一郎氏


(写真2) マースデン博士と関

● 5月20日
もう梅雨を思わせる様な天も地も水っぽい季節です。
夕空のパトロールのため芸西の天文台にやって来ました。暮れて間もなく一匹のホタルがドームの高さを飛んで光りました。山の土地に住むクロマドホタルは草むらの中に時々見かけますが、空を飛ぶ清流のホタルは芸西では珍しいものでおそらく5年くらいに一度の目撃です。大きい緑色の火をつけたホタルは空高く飛んで折りしも東北天に姿を見せたこと座の中に入りました。まるでヴェガと美しさを競っている様です。ここで初めて野尻抱影(のじり ほうえい)さんの句の意味が分かったような気がしました。どちらが星の光なのか蛍の光なのか、実に良く似た美しい情景でした。

● 5月1日
 夜遅く天文台にやってきました。草むらで光るクロマドホタルを探しましたが、先日の虫はどこへ行ったのかまったく姿が見えません。天界には星の光ばかりです。野尻抱影氏の句にこんなのがあったことを思い出しました。
草に見る星座ホタルの香に青き
 写真(1)は野尻抱影さん。今から30年ほど前にNHKのTVで放送されたときのもの。この時オリオン座の東の方に「”オリオン霊園”をこしらえてある」と話していました。”オリオン霊園”とはいかにも美しい名前です。野尻さんはこの星空の霊園で今は静かに眠られていることでしょう。

 もう夏が近いですね。天の川はとりわけきれいで、南の夜空にくっきりと浮かんでいます。暁になって東天を捜索。超低空で昨日は見えなかったM31の近くのM32が今朝はかろうじて見えました。35年ほど前、5月1日の朝、5人が同時に彗星を発見すると言う発見騒動がありました(ダゴ・ホンダ・ヤマモト彗星)。
 写真(2)はM31です。C/1968H1(Tago-Honda-Yamamoto)はこのM31の近くに6等級で発見されました。
[野尻抱影さんの写真]
写真(1) 野尻抱影さん


写真(2) 見え出したM31
2003年5月1日 午前4時
ε210  2分間露出



Copyright (C) 2003 Tsutomu Seki. (関勉)