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2007年09月24日

仲秋の名月が見えました

 いつも仲秋の明月がやってくる9月から10月初めごろはお天気がわるく、滅多に名月が見えた事はありません。晴れても”月にむら雲”と言った情景が多く、ゆったりと明月を楽しんだことはありません。
 月の名所桂浜も、私が20代の若い頃一度行ったきりで、その後足を運んだことがないのです。とにかく大勢の人と酒の匂いで、静かに明月を鑑賞する風情はありません。今夜の明月は珍しく晴れたので、自宅の庭で、鑑賞しました。月は南の低い屋根の上にあって、14夜ですか、少しまん丸から欠けた月でした。何時でしたか、仲秋明月と皆既月食が重なって、赤い月になったことがありましたが、夏の月は湿っぽい大気の影響か、やや赤く見えるようです。
 このとき奇妙なことが起こりました。狭い庭の木立による、錯落たる影を見ているとき、そこに一輪の美しい花が咲いているのを発見しました。「月下美人」です! 数日前小さな蕾が青い葉っぱから出ているのを発見していたのですが、まさかこんなに早く咲こうとは、、、、。しかも夜空の明月に向かって、まるで、ひそかにその美しい姿を見せるかのように、咲いたのです。7月に咲いたのも確か満月に近い13夜でした。そして今夜も14夜の月。月下美人はその名のとおり明月の夜を選らんで咲くに違いありません。そして、わずか数時間咲いただけでしぼんでしまうのです。ああ、なんと言う美しくも淋しい光景でしょう。昔、ある小学校に講演に行ったとき、後で生徒たちが植えた鉢を、お礼に持って来てくれたのですが、その花が今になって咲き始めたのです。もし、今度も明月の晩に咲いたとしたら、、、、。それは決して偶然ではありません。月下美人は夜半に訪れる明月に見られるために咲いているのです。

2007年09月18日

対日照が見えました

 良く晴れた初秋の夜です。秋といっても叢で虫が盛んにすだくのみで、気温はまだ夏真っ盛りです。
 嬉しかったのは久しぶりにあの対日照がありありと眺められたことです。夏の天の川は西に傾き、その東側はバックの暗い星空です。そして、更に少し目を東に移動させていると、再び天の川に似た光芒に行き当たります。これが太陽と正確に反対側の空を白く染める「対日照」です。丁度夜半に天頂に輝くペガススの四角形と、ずーっと南方に独り輝くフォーマルハウトの中間の天空で、直径30度以上もあろうかと思われる大きな淡い光です。明るさは冬の天の川の暗い部分のさらに半分以下の光で、無論日本列島でも最高に空の良い土地でないと見られません。観測される皆さんも自分の場所で確かめてみてください。大正時代に京都で、中村要(なかむらかなめ)さんが見たのが、日本での最初の記録だったそうですが、その頃には、私の住む高知市でもきっとみえたことでしょう。昭和の始め頃には、広島県の瀬戸村に黄道光の観測所があって、本田実さんが、対日照も同時に観測して居られました。本田さんの最初の彗星発見の場所でもありました。今は、近くを高速道が走っているはずで、昔の名星空も見る影もありません。その点芸西はこうしてまだ黄道光はもとより、対日照も、見られる日があることは嬉しい限りです。これからだんだんと東に移って獅子座やおとめ座が背景にくる晩秋から冬にかけては、ますます良く輝くようになるでしょう。
 さて60cm反射望遠鏡による一連の彗星観測を終えてから、15cmのコメットシーカーで東天を捜索しました。今夜は小さいながらも経緯台で位置の割り出せるナビゲーターを使用しました。
 そうだった!
 42年前の今日は「イケヤ・セキ彗星」を発見した日でした。
 視野がクロイツ族のやってくる大犬座の東に向かったとき、特に入念に見ました。発見位置付近にNGC 2506の球状星団が入ってきました。あの時は機器が9cmと、小さかったので、恒星に分離できなかったけど、今回は双眼鏡でもあり、鮮やかに微光星に分解してみえました。ナビは正確にその位置を表示しています。無論「クロイツ組」はやってきません。一生に一度出会えることですら大変なのに、クロイツ族の彗星に二度も出会ったら大事です!。そのようなことを考えながら、視野はいつの間にか薄明の始まりかけた獅子座の方向に向かっていました。
 最大光輝の金星の明るさには驚かされました。そして懐かしいオリオンの星座にシリウスの輝きです。こうして暑くとも季節は確実に秋に向かっていることを感じました。


昇るプレセペと金星
2007年9月19日午前4時
ISO400フィルム 50mmF2

2007年09月16日

川平(かひら)の海にやってきました

 石垣島は人口数万の小さな町だそうですが、車で回る島はとても広く雄大に感じました。熱帯の珊瑚礁を思わす夢のような青と、やや黄ばんだ非常に小さな、まるで埃のような砂浜が印象的でした。有名な川平(かひら)の海では、遊覧船に乗って海の浅い底の、色とりどりの珊瑚や熱帯魚の群れを楽しみました。観光は天文台の副台長の宮地竹史さんと、高知新聞社から派遣された岡部記者の3人でした。
 午後は町の公民館で天文講演会をもちました。聴衆のほとんどは一般の人で、期待していた若い学生たちの多くは運動会等の行事と重なって、参加出来ない人が多かったようです。また台風がやってくる9月16日。この日は42年前、「池谷・関彗星」を発見した3日前です。あの時も大きな台風に見舞われたのですが、話題は必然的に池谷・関彗星発見の話に向かいました。台風一過後の、奇跡的な晴天。わずか9cmのレンズと、手作りによるおんぼろの筒。月光下で、しかも薄明が迫りくるわずか15分間の捜索での出会い。すべてが奇跡ずくめの発見でした。そして発見から1ヶ月後の太陽突入。奇跡の生還。そして天体観測によって得られた人生観等、、、、、。
 この日も市内の同じホテルに泊まりましたが、夜は地元の天文同好会の方々と普段の溜まり場で、有意義なミーティングを持つことができました。
 翌17日はまたも迫り来る台風11号の大雨の中、今度は台風から逃げるように、石垣島の空港を飛び立ちました。こうして天文台の宮地さんや、八重山天文同好会の方々の親切を思い出しながら帰宅しました。


石垣島の海を背景に宮地竹史副台長(右)と共に


川平(かひら)の浜辺にて

2007年09月15日

石垣島天文台に来ました

 芸西で発見した小惑星に石垣島天文台の105cmの反射鏡のニックネーム「ムリカブシ」と命名したことから、憧れていた石垣島にやってきました。丁度行き抜けた台風を追う形での訪問となったわけです。同じ飛行機で高知新聞社の岡部記者も同行しました。
 小さな飛行場では国立天文台の宮地竹史氏の出迎えを受けて、早速に海を見下ろす小高い山に立っている天文台に向かいました。この白いドームは飛行機が着陸する少し前から遠くに光って見えていました。
 折から南の長い一日の夕闇が迫り、山から俯瞰する壮大な海や街の灯が美しく眺められました。天文台に配慮してナトリウム灯が多いそうで、街明かりはそれほど気になりませんでした。20時には木星が丁度南中し、さそり座や射手座が驚くほど高く眺められました。ここは北緯24度。芸西とは10度近くも低いのです。南十字は水平線上2度以上に一番南のアルファ星が見えるそうです。
 105cmのカセグレンによるナスミス焦点で、有効最低倍率に近い約200xを使って木星を覗かせてもらいました。口径が大きいので、もろにシーイングの影響を受けますが、木星の表面が明るすぎるほどに強く輝き、空気が澄んだ瞬間には、表面が絵に描いたように詳しく眺められました。東の町の光害も比較的少なく、小惑星を専門に観測している天文台の研究員によると、CCDによって20等星までは写るそうで、21等にはまだ挑戦していないとのお話でした。ガリレオ衛星も良く見えました。しかしそれは点像に近く、むかし20cmで衛星の模様を見た人が居たそうですが、105cmで覗く限りそれは至難の業のように思えました。惑星のスケッチというのは、その人の主観や錯覚に影響されるので、私は余り好きではありません。
 南の天の川が良く見えるので、島で新星や彗星を探す人が現れたら面白いと思いました。幸いこの天文台は国立といえども民間に開放し、お互いに協力して運営されています。現にこの日も多くの見学者が、夜の観測に訪れていました。民間の中で委託された人が、その説明に当たっているようでした。天文台の指導によって、いずれは発見に貢献する人が現れるに違いない。明日の私の講演では、南の空の観測に有利なことを強調し、この地で発見に努める人が輩出する様な興味ある話にしたい、と思いました。
 見学終了後、南天の星空をバックに入れて、3人で記念写真を撮りました。南からかすかに伝わってくる潮騒の響きに、何時の日にかハレー彗星を追って南方へ行った日のことを、ふと思い出しました。ああ、ここは日本列島も南の果てです。


石垣島空港にて
左から宮地副台長、関、八重山星の会のメンバー