« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月30日

 輪抜け様の日です。

 輪抜け様の日です。毎年この日は必ず雨が降ると言うジンクスがありました。実際私が気をつけていたこの30年、丁度梅雨の真ん中でもあって、雨の降らなかった記憶は1~2日あったでしょうか。ところが今日は時々青空も見えて全く降りませんでした。夕方は綺麗な星空にもなって観測しに行こうかなと思ったほどです。
 近くの氏神様の前を通ると赤い着物を着た可憐な子供たちが入り口の鳥居の下に沢山あつまっていました。そして夜店もテントを並べていました。実は私も夜祭が好きで若いころ浴衣姿でお参りに行ったものです。狭い参道は人いきれと強烈なガス灯の匂い。青いガス灯に照らされた店の土間には金魚掬いの盥(たらい)や珍しい子供のおもちゃが並べられ、軒には夢を見るような走馬灯が沢山吊るされてくるくる回って幻想の世界を描き出しています。時々聞こえてくる威勢のよい掛け声と喝采は神社の土俵で行われている草相撲のようです。こうして田園の中の神社の森は遅くまで不夜城の明かりで賑わいます。
 東京に住む友人は昔、夜祭で天体望遠鏡の組み立てキットをかって、それがきっかけで天文が好きになったアマチュアがいました。このように夜祭に行けば普段お目にかかれない珍しいものとの出会いがあって楽しかったのですが、どうもこの20年前くらい前から夜店特有の走馬灯は消え、懐かしいガス灯は普通の白色電灯になり、威勢の良い相撲も消え、テントも何処にでも普段売っている平凡な品を並べるだけとなってしまいました。
 浴衣姿で内輪を持って体の心までゾーッとするようなお化け屋敷に入ったのも遠い幼少の頃のかすかな思い出となってしまいました。夜が更けるまで遠くの神社の森から笛、太鼓の音が聞こえていたのも、今では懐かしい思い出となりました。
 いつも夏の終る頃、芸西の天文台で遠くに笛、太鼓の音を聞く事があります。どこかの氏神様のお祭りでしょうか。夜の12時を過ぎてもきこえます。田舎では昔のままのお祭りが今も行われているのでしょう。

2005年06月28日

OAA会長の長谷川一郎氏夫妻が高知市に来られました。

 雨が全く降りません。気象衛星の画像を見ると四国沖にあった梅雨前線の雲はいつの間にた衰弱し消えて、北に新しく梅雨前線の雲が発生し東北が梅雨入りした感じです。そのため南から湿った空気が入り込んで四国地方は必ずしも良いお天気ではありませんが、今夜は芸西天文台の空には見事な天の川が展開し星月夜となりました。天文台の”関予報士”の発表ではありませんが天気図を見た感じでは西日本は旱魃(かんばつ)が続きそう。もしこれで梅雨が明けて雨が降らなければ全く異常な早い梅雨明けと言う事になるでしょう。そして水不足が大変です。
 1955年ごろの8月、雨の降らない水不足が続いて当時の市長までもが参加して北山の「七つぶち神社」に水恋のお祈りに行ったことがあります。「迷信を言うわけではなく、この非常事態を放って置く訳にはいかない」と言うのが市長の言葉でしたが、お参りから帰ったとたんの夕方、大きな雷がなってどしゃ降りとなったのは単なる偶然か?
 天文台では久し振りにインパクターが当たる前のテンペル1彗星を見ました。全光度は11.9等でコマは2′です。近日点が近くなってかえって暗くなりました。20cm鏡の限界です。そしてマックホルツ彗星のコマは淡くなって見えなくなりました。
 昨27日にはOAA会長の長谷川一郎氏夫妻が高知市に来られ市在住の有志5名で歓迎の夕べを催しました。写真は下元繁男さんが携帯で撮影した会の1場面です。
[会の様子]
左から、関勉、岡村啓一郎氏、
長谷川会長ご夫妻、村岡健治氏、川添晃氏

[長谷川会長ご夫妻のアップ]
長谷川会長ご夫妻のアップ

2005年06月27日

 梅雨の最中と言うの

 梅雨の最中と言うのに雨が降りません。いわゆる空梅雨です。このような経験は戦後過去に3回ほど記憶にあります。しかし雨の降らない6月は美しい良い季節ですね。例年なら雨に閉じ込められて風景なんか余り見ないのですが、良く晴れた6月は緑が生き生きと輝き、清流「鏡川(かがみがわ)」の水は青空を映して美しい水色に光り、新緑の5月に勝るとも劣らぬ良い季節だと思います。これで夜晴れて星が見えたら最高ですが、夕方になると曇り、そして朝はいつのまにか晴れているというのがいまの気象です。
 高知市の中央を流れる鏡川は筆山(ひつざん)の影を映してよい眺めですが、「鏡川」のいわれは”鏡のように澄んだ川...”と言うのではなく、上流の方で昔の手鏡のように川が蛇行しているのでその名があります。子供の頃から水遊びに親しみ、小学では体育の時間に水泳を練習しました。北原白秋の歌に
海は荒海向こうは佐渡よ
すずめ泣け鳴けもう日がくれた
皆んな呼べ呼べお星様出たぞ
という童謡がありますが、幼少の頃は300mほど歩いて川原に遊び、一番星が出る頃に良く親が心配して迎えに来たことを覚えています。そして1945年7月4日の忌まわしいあの大空襲の晩に一家で逃走したのもこの鏡川でした。私が旧制中学の時、歌った校歌の歌詞にも、土井晩翠が
筆山吸江近くにありて
明朗われらが環境うれし
・・・・・・・・・
と鏡川を取り巻く環境の美しさを歌っています。

2005年06月19日

 発足以来20年を迎

 発足以来20年を迎える「四国天文協会」の通常総会が6月19日、高知県の芸西天文台で開かれました。参加人数は全会員の割には少なかったのですが、学会の発起人の山田義弘氏も神戸から駆けつけ、つつがなく終了しました。
 総会の終わりに関の「イケヤ・セキ彗星発見から40年」と題する記念講演があり、天文台の見学も行われました。今日19日は「イケヤ・セキ彗星」の発見の日で、しかも同じ日曜日だったのです!あの時の9cmのコメットシーカーを持ちながら発見のエピソードを話しました。そしていま近日点に近づいている「デニング・藤川彗星」も話題に上りました。計算者の村岡健治さんから、この彗星の軌道決定の難しさについて話を聞くことが出来ました。会のあと有志が40km西の関宅に移動し、遅くまで楽しく語らいました。協会に関連する施設として徳島県の那賀川町の天文台があり、そして芸西天文台があり、今後の観測面での活躍が期待されます。
 会の機関紙「アストロピア」創刊号の次には1984年の芸西での「ハレー彗星」の日本初発見の記事と写真が取り上げられています。私たちが始めてハワイのすばる望遠鏡を訪ねた時の特集もあります。創立20周年記念として、これらがまとまって発行されるそうで、大いに楽しみとしているところです。

四国天文協会第22回通常総会記念撮影
芸西天文台


芸西天文台見学風景

2005年06月09日

 梅雨入り前の9日、

 梅雨入り前の9日、最後の晴天に恵まれました。
 台風接近で曇り始めた夜半前、壮麗な天ノ川が南の太平洋の上に横たわりました。それはかってマウナケアで見たような壮大な天ノ川で、まるで中心に満月を置いたような明るさで、はるか室戸岬に連なる田野町が天ノ川の光で銀色に染められているような錯覚さえ感じました。マウナケアの頂上では天ノ川の明かりを便りに行動しました。芸西天文台の周辺は明るくなったと言いながらもまだこのような素晴らしい銀河が残っているかと感激しました。
 久し振りに撮るモノクロでの天ノ川です。
[梅雨入り前の天ノ川(芸西)]
梅雨入り前の天ノ川(芸西)
28mm F2.8  5分露出 TX400フィルム

2005年06月03日

 梅雨入り前の好天で

 梅雨入り前の好天です。少し遅く天文台に向かいました。最近は自動パトロールによる暗い彗星が沢山見つかっていますので、これらを一々観測するのに作業の大半の時間を要します。
 南でのマックノートさんの活躍が光っています。5年余り前、天文台の川添晃(かわぞえあきら)講師がオーストラリアのパースを訪れた際、BAA(大英天文協会)のキャンディさんやマックノートさんに面会しました。そしてマックノートさんからの伝言を伝えて下さいました。マックノートさんは本田実さんの名前を彼の発見した小惑星に付けた人で、実は私もそれを計画していたのですが一歩遅れました。その代わり慧(さとる)夫人のお名前をつけました。彼らは私(Seki)のことを実に良く知っていると川添さんはびっくりしていました。
 さて 本田実さんと言えば今日6月3日、「本田・Bernasconi彗星」をペルセウス座に発見されました。私もそれを意識して夜明け前の30分、捜索に専念しました。本田さん等の発見は4.5等星で肉眼で見つけたそうです。二重星団が視野に入った時、思わずその美しさに息を呑みました。しばし視野を止めて見惚れました。その日発見出来ない可能性が99パーセント以上ある。しかし捜索の醍醐味はこんなところにある。捜索を終ってほのぼのとした気分で黎明の明かりを迎えるのは久々のことです。終ってから9年振りに暁の空に帰って来て輝いているはずの「藤川・デニング彗星」の位置をじっと見つめていました。「ペライン・ムルコス彗星」と同様に滅多に姿を見せない彗星です。東の森にかかって60cmが向きません。