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2010年05月14日

小さな遺跡発見

 皐月晴れの良いお天気です。風香り空には無数の鯉のぼりが勢いよく泳いでいます。しかし5月にしては寒い北風が吹き、例年より気温が低いようです。
 上町の自宅から散歩に出て200mほど離れた鏡川の堤防を歩いていると、やはり「ぶら上町」の人を発見しました。高知市のホテルが募集した県外からの観光客です。リーダーが説明している脇に碑があります。「従是東六ノ丁場」とあります。これは藩政時代の昔、鏡川が氾濫して水害が出たときの工事する受け持ちの班を指定したもので、ここより東が第6班と言う意味のようです。そういえば昔は良く氾濫して河川敷の人は被害を受けたものです。山内家の殿様は鏡川の北側にお城がありましたので、北に長堤を築いて、水害のときの水は南にあふれるようにしたのです。しかし昔は田畑だった南の地区に多くの民家が立ったので、常に洪水の時には被害を受けたのです。
 堤防に立っているとき昭和20年7月の高知市空襲のことを思いだしました。火災から避難する人たちのなかに混じって、私はここに立っていました。爆撃で行方不明になった母を捜していたのです。すぐ近くに焼夷弾が落ちて、私は伏せました。北の空は、まるで赤いオーロラが出たような物凄い火災でした。



2010年05月02日

近藤長次郎の屋敷跡

 連休に入って沢山の観光客が訪れるようになりました。
ここ竜馬の遺跡の多い上町にはいわゆる"ぶら上町"の人たちで賑わっています。その中に交じって自宅付近を歩いていたら、家からほんの1分位の繁華な道端に、まず近藤長次郎の屋敷宅跡の碑を発見しました。近藤は竜馬を兄と慕って同じ開港の道を目指した人ですが、目的を先走ったことでとがめられ29歳の若さで自刃しました。


近藤長次郎邸跡の碑

 ここから更に1分ほど西に歩くと「才谷屋」がありました。竜馬の祖先が商売をやっていた家と伝えられますが、ここにも観光客が絶え間なく三々五々とやってきます。そういえば竜馬が京の四条大橋の近くの近江屋で暗殺されたとき"才谷"と名乗っていました。
 今日は見事な皐月晴れで、何所を見ても青葉若葉の空に鯉のぼりが泳いでいました。


現在の"才谷屋"