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1999年3月の日記


●1999年3月31日

 雨が上がったら各地の桜が一斉に勢いをつけて咲きました。土佐は昔から雨の多い土地で、特に4月頃は多く降り、桜は”雨に咲く花”の印象が強いのです。しかし今日は朝からの快晴。桜の花片の輝きも見事です。
[高知城下の桜の写真]
高知城下の桜
 高知公園の三の丸にある高知城は、土佐24万石の山内容堂の居城でした。容堂公は土佐藩最後の殿様で、徳川慶喜と同じように新しいものを好み、時代の近代化に努力しました。今でも彼の面影を伝えるかの如く山内神社の倉には、ヨーロッパの風景を眺めることのできる立体式の覗きボックスや天球儀、天体望遠鏡なんかが保存されています。天体望遠鏡は口径8cmの立派なもので、1986年3月ハレー彗星が接近したとき、私はこの容堂公の望遠鏡でハレー彗星を観測しました。竜馬もこのレンズを覗いたことがあったかも知れませんね。
 その日から百数十年の歳月が流れ、時代は移ろうとも桜の老木は今年も花を付け、昔を偲ばせています。

[天球儀の写真]
山内家所蔵の天球儀(200年ほど昔の作品)

●1999年3月30日
 春になって雨天が多くなりました。今は月が明るくて観測は休みですが、これからはこのようなすっきりしない日が多くなることでしょう。
 朝、高知公園のすべり山のほとりを通っていたら、桜が咲き始めている光景を見ました。花曇りの空に3〜4分咲きの状態ですが、もう1週間も経てば恐らく満開となることでしょう。
 3月は卒業の季節。4月は入学の季節。学生たちにとって何となく慌ただしいこの頃に咲く桜は、私にとっても淋しい思い出の方が先立つようです。僅かな期間に美しく咲いて散っていく桜。美しいが故によけいに悲しさを感じてしまいます。

●1999年3月22日
 春分の日を過ぎたと云うのに、この寒さはどうしたことでしょう。昼間は見事な快晴で空の色も更に深い蒼空でしたが、夜21時、天文台に行った頃から雪雲が流れ、身を切るような冷たい風に見舞われました。
 天文台ではこれという重要な仕事はありません。でも美しい星空を見ると心が騒ぐのです。(もしかすると何か新しい天体が出現するかも知れない・・・)と、その心は若い頃自宅の物干し場で夜空を睨んでいた頃と少しも変わっていません。
 天文台では21時半頃からいま発見されている一番新しい彗星
C/1999E1に主鏡を向けました。そして南に下って行きつつある
C/1999D1(18等級)を追跡しました。
 天文台に来て5時間経ちました。間もなく芸西村名物のビニールハウスの園芸の火が消え、真っ暗な世界に包まれる時刻なのですが、依然として山から去来する雪雲が後を絶たず、ついに午前2時半で観測を断念することにしました。しかし天文台を降りるとき東天を白く染めて早くも夏の銀河が姿を見せようとしています。(もう少し居残って観測したら・・曉天に明るい新彗星が出てるかも!?)と迷いましたが、冷たい突風が吹いたところで意を決めて帰りました。
 午前4時、近くのコンビニでうどんを買って、誰もいない書斎で食べる。(あの星空を残して帰って来たが良かったろうか?)私の胸の中にはいつまでも不安が影を落としていました・・。
 それから就寝しましたが、妙な夢を見ました。北の雪国で白い積雪に埋もれた手作りの観測所で新発見を夢見て頑張っていた中学教師のIさん。(見ていて下さい、必ず発見します!)と私に宣言した新進気鋭のI先生。それから20年の歳月が流れ全くの音信不通になっていた彼から”彗星発見”の快報が届いたのだ!私の心配していたことはとうとう現実になった。でもIさんで良かった!そう思った瞬間、私は夢から覚めました。あたりには依然として夜明け前の虚しい静寂(しじま)が漂っていました。

●1999年3月21日(春分の日)
 高知城のお壕のそばを通っていたら、水に影を写した桜の枝に、僅かな白いつぼみが開こうとしているのを見つけました。今日が恐らく開花宣言の日であろうと思います。今月の終わりごろには城下一帯が見事な花ざかりになることでしょう。高知公園のすべり山付近の丘は県下でも屈指の桜の名所で、夜は無数のボンボリを灯して夜桜を楽しむ人々で賑わいます。

[オリオン座の写真]  子供のころ(4〜5才)母に連れられて夜桜を見に行った幽かな記憶があります。幼い私の頭に残ったのは、丘の上の赤いボンボリの色と、すべり山からの帰り道、公園のうっそうとした老木の下の監獄の長い塀のほとりを2人で歩いてとても怖かったこと。一寸先も分からないような暗闇の中に虫たちが盛んにすだいていたこと。私のもっとも古い記憶のひとつです。

 芸西村の天文台も桜ヶ丘という地名の示すごとく沢山の桜の木に囲まれています。このころになると天文台の少し下の駐車場付近が花見の会場となって、夜中に観測をしていると、酒をくみかわしてのカラオケ大会の歌声が聞こえてくることがあります。
 人は花と酒と歌に興じて人生を謳歌(おうか)する。そんな時私は独り夜空の花(遠い星)をじっと見つめて人生をエンジョイする。やがて花は散り人は去る。私には花と酒の趣味はありません。しかし私の見る幽遠な星空には永遠に輝き続ける花があるのです。


[ヘール・ボップ彗星の写真]
芸西天文台の桜の木に見事咲いたヘール・ボップ彗星(1997.3)

●1999年3月17日
 リニア彗星が北極点を通った後の3月16日の夕方から17日の早曉まで非常に良く晴れました。
 16日の22時頃天文台にやって来て翌日の早曉まで観測しました。夜半は6mドームの中の60cm反射鏡を操っての作業ですがドームの天窓を開くと星の界からの光が無数にどっとドームの中に流れ込んでくるようです。天文台周辺が開発で明るくなったと云っても、芸西には未だ凄い星空が残されています。
 こうして暗闇での作業が5時間続き、後はドームの外に出て明け方の空の彗星探しです。口径12cm(20X)の双眼鏡を東天に向け、上下に注意深く捜索します。や座の小さな球状星団や有名な亜れい状星雲なんかとても良く見えました。久し振りの掃天ですが、いつか新彗星と遭遇することができるかもしれないという期待があります。北極点をかすめたリニア彗星のように、約1万年で太陽をめぐり、地球を訪れる星もあります。こうしたお互いに違った次元での微妙な接点が彗星の発見なのです。
 彗星の発見は辛抱強くチャンスを待たなくてはなりません。 広漠たる大宇宙の中に新天体を探す作業が如何に困難といえども、やりがいがあります!
 いつの日か栄光の訪れる日を待ちたいと思います。

●1999年3月15日
 春一番が吹き荒れました。しかし川原に出てみるとあっちにもこっちにも菜の花が一面に咲き、本格的な春の近いことを知ります。
 鏡川の少し上流を歩いてみました。ここには鴨の姿は無く、7羽ほどのしらさぎが水のきれいな浅瀬に集まっていました。子供のころゴリやハゼなどの小さな魚をとったところです。小学校がひけると水着姿で歩いてやって来て泳いだ鏡川。いつまでも美しい水をたたえて欲しいという願いを込めて、小惑星に4256番として命名されています。
 鏡川の由来は、昔の手鏡の形をして大きく曲がって流れているため付けられたのです。

●1999年3月12日
 早春という季節は好きです。冷たい風の中にも太陽は徐々に北に昇って穏やかな空気が感じられます。
 犬のタロを連れて鏡川に出てみました。水の少ない川面を無数の鴨たちが気持ちよさそうに泳いでいました。犬の影が水に映ると鴨たちはパッと一瞬の間に飛び立って、少し沖に移動しました。
ピヨピヨという鳴き声は仲間たちへの危険を告げる合図でしょうか。やがて水ぬるむ頃には一斉に飛び立って、まだ北風の冷たい四国山脈を越えシベリアに向かうことでしょう。

 この無数の可愛いかもたちに混じって一羽の白い鳥が中洲の岸のところで片足を上げるようにして立っていました。いつも一人の孤独な白い鳥の姿を見ていると、その淋しさと余りの美しさにこんな歌を思い出しました。

しらとりは 悲しからずや 空の青
海の青にも染まずただよう
                (牧水)
 若山牧水は漂泊の歌人ですが私の昔からの憧れの人で、彼の孤独の淋しさと美しさに溢れた歌は好きです。
 この牧水がつい先日星になりました!!芸西天文台で私が1990年10月23日に発見した小惑星(8367)がVokusuiと名付けられ、スミソニアンから連絡がありました。牧水はついに偉大なる故
郷(青い地球)をはなれ、いま大宇宙を旅しはじめたのです。

いざ行かん 行きてまだ見ぬ星を見ん
この淋しさに君耐うるや

と、牧水は小惑星に乗って大宇宙を回り、その豊かなモチーフに今もたくさんの歌を詠んでいるにちがいありません。青いふるさとの姿(地球)はどのような歌になったのでしょうか。

●1999年3月11日
 ギターの個人レッスンをやっていると目の悪い人(近視)が多く目につく。最近の若い女性の多くが近視でコンタクトレンズを入れている。近視になると何となく目に生き生きとした輝きがなくなるのですぐに区別ができる。そして瞳が異様に光る(気がする)。
 天文では目が悪くなると困る。特に私の様にコメットハンターで暗い彗星を夥しい星くずの中から見分ける者にとって視力の低下は致命傷となる。
 しかし昔(私が小〜中学生のころ)は学生でもメガネをかける人は少なかった。小学のとき40人のクラスで近視の人は2人くらいだった。どうして近年若い人(特に女性)に近視が増えたのだろうかと思う。漫画を読むせいか。テレビの見過ぎだろうか?それとも偏った食生活の影響によるものか?
 そして最近多くなったのが花粉症に悩む人たちだ。ギターの生徒の中で5人に1人は必ずくしゃみをしたりマスクをかけたりしている。私は花粉に強いが、それでも喉がおかしいと思うときがある。しかし気にすると落ち込みそうなので、努めて考えないことにしている。この病気も昔は流行しなかったように思う。

 最近雨天が多くなって、ついに夕空の水星は3月1日に見たのみとなった。これから徐々に太陽に近づく。
 3月15日のリニア彗星と北極星接近のショーが気になる。天候に恵まれれば良いが・・・と祈る。

 晴れればこのHPですばらしい写真をお目にかけられよう!

●1999年3月7日
 3月に入って雨天が多くなった。冬の頃はほとんど雨が降らず水不足に泣いた。毎日通っていた市営プールも水不足でずっと休業が続いている。
 そういえば子供のころ、3月の祭りや4月の花祭りの頃にはよく雨が降った。

− 北原白秋の詩 −

雨がふります雨がふる
昼もふります夜もふる
雨がふります雨がふる
の様に終日雨にたたられて折角の遠足やお祭りがおじゃんになったくやしい思い出が多い。しかし最近は異常気候というか、雨がめっきり少なくなった様に思う。
 昔は人口も少なかったがダムも無く、およそ水が足りないということはなかった。川は大量の水に溢れ、山や田舎へ行けば清水がこんこんと涌き出て、小川の水さえすくって飲めるほどに清冽だった。
 今はダムの汚い水さえ不足しているのだ。久しぶりに雨天に見舞われると、ふと昔のことを思い出したのである。

●1999年3月5日
 3月1日は妻の誕生日です。2人で車で買い物に出かけた帰り、暮れなずむ繁華街の空に金星と土星が縦に2つ並んでいるのを見ました。2人仲良く、いつまでも光り輝くのは良いなと思いながら帰宅し、3階の屋上に上がって西空を見ました。
 金星は異様なほどに天高く輝き、土星は落ちついたオレンジ色に光っています。そして地平線に近い、まだ僅かに夕焼け色の残されているすれすれの低い空に赤っぽい水星が光っているではありませんか!半世紀以上も高知市の上町に住んでいて、一度も夕空の水星は見たことがありませんでした。東には13夜の明月が光っているのに、今日の日はなんと素晴らしく星のよく見えたことか。
 はりまや橋に近い繁華な街の空に今でもこんな美しい星空が残されていることに感激しました。



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)