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忠犬エス物語

 果たして”忠犬”と言って良いのでしょうか。大正年代の初めごろ私の祖先は製紙工場を営んでいました。高知県に古くから伝わる和紙の手漉きです。明治時代に今の土佐市(旧、高岡町)で、和紙の手漉きを実験的に始めた私の祖父兄弟は、大正時代に入って高知市上町に進出し、かなり大規模な工場をもちました。そして昭和20年7月の高知市大空襲で工場が焼失するまでの間、かなりの繁栄をみました。
 その間の出来事です。母が飼っていた黒い子犬が成長した大正の始めころ夜中にけたたましく鳴き出したのです。普段と様子が違うので、母屋で寝ていた祖父が起きて、あたりを見回ったのですが、何も異常がありません。しかしエスは盛んに北の門の方を見てほえ続けるのです。「泥棒でも、、、」と不審に思った祖父は門の戸をあけてみると、道路を隔てた北側の工場から煙が立ち昇っているのです。火事です。エスはその匂いを嗅ぎ付けて主人に報せようと盛んに吠えまくっていたのです。火事は工場の釜場からでしたが、発見が早かったので、大事に至らず消し止めました。このほかにも鏡川に泳ぎに行ったとき、溺れていた人を見て吠えたとか、主人が忘れた杖に気づいて咥えて持って帰ったとか、”忠犬”としてのいろんな話を聞かされました。100年近い古い写真に犬の面影を知る事ができました。
 写真は大正9年5月、謎の人物が撮った製紙業時代の珍しい写真で、製紙業を始めた祖父兄弟が写っています。製品を大八車に満載して出荷するところです。このころ35mmフィルムはまだなく、写真はすべて名刺か手札大のカットフィルムだったようです。大正ロマンに近代的な物事に挑戦した謎の男、そして竜馬と同じ36歳で世を去った男のことは次回に登場します。


製紙工場と祖父兄弟
大正9年5月撮影

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2010年07月10日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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