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幻の”関・池彗星”

 望遠鏡制御用のパソコンの画面を見ていたら、その星図の中に22P/Kopff彗星が明け方のみずかめ座の中に輝いているのに気がつきました。それについて思い出は40年も昔に遡らねばなりません。
 「セキ・イケ彗星」などと言う彗星は無論ありません。しかし1960年代には生まれる可能性も無きにしもあらずでした。即ち高知市の私と土佐市(高知市から西約15km)在住の池幸一(いけ こういち)氏とは、お互いにライバルで、盛んに捜索合戦を繰り広げていました。
当時私は例によって口径9cmの屈折式コメットシーカーを使い、池氏は一回り大きい口径12.5cmの屈折を、彼独特の床の回転する天文台にこもって、主に夜明け前の東天を捜索していたのでした。空も良く、器械も満点、「今度彗星が現れたら、きっとわっしのものぞ、ふふふ、、、」と持ち前の大きい目をいつもギョッロと光らして意気込んでいるのでした。
 さて事件の起こったのは1964年4月25日の早暁のことでした。この朝、非常に良く晴れた星空を無心に捜索していた私は、午前3時半ごろ、みずかめ座の中にモーローとした9等級の彗星様天体を発見しました。星図には無論無く、明るい彗星の予報もありません。それから30分近く位置の観測を続けていたら、突然表の門戸をどんどんと叩く人がいます。びっくりして開けてみると、そこに顔面蒼白になった男が突っ立っています。明らかに池さんです。そして「関さん!とうとう見つけた!」と大変に高ぶった様子で言いました。
 私は(きっと池さんも同じものを発見したに違いない)と思って、部屋に入り、お互いの天体を照合すると、確かに池さんも私も同じ天体を発見したことになります。予報もありません。そこで池さんの提案で、この星に仮に”セキ・イケ彗星”と命名して、午前6時に東京に打電しました。その翌日には、浜松の池谷さんも発見して電報を打ちました。
 結果は有名な周期彗星の22P/Kopffが、増光したものであることが東京天文台からの返電で判明しました。当時コップ彗星がBAAのハンドブックに14等級の予報で出ている事は知っていました。しかし急激な突然の5等級の増光によって、まんまとだまされたわけです。そのような例は1955年のペライン彗星の時にもありました。新彗星の筈のムルコス彗星が、軌道の調査の結果、永い間行方不明中のペライン彗星であることが判明し”ペライン・ムルコス彗星”になったのです。
 それにしても50年近く彗星を愛し、探し続けた池さんは、今頃どうしているのでしょうか? 数々の彼の武勇伝を思うとき、その代償は余りにも小さく、その後、芸西で発見した小惑星に(21022) Ikeとして友情の命名をしました。
 1965年10月21日、「池谷・関彗星」が太陽にキッス?したとき、白昼暗室を作って、独特のアイデアで観測したことは永遠に残る良き思い出となりました。
 星を追って山に海に東奔西走、冒険好きで物好きだった池氏の隠れた功績は彼の星が頭上に輝く限り尽きません。


白昼「関・ラインズ彗星」を追う池幸一氏(左)と関
1962年4月撮影

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2009年04月25日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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