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神戸での講演会

 今日5月9日は神戸の三宮で「日本スペースガード協会関西支部」主催の第33回講演会があり講師として参加しました。
 会にはOAA会長の長谷川先生や、彗星の運動で”藪下理論”を発表された藪下先生の顔も見え、一般の人より、天文に精通された学究が多いと見受けました。講演のテーマは「新天体発見のよろこび」でしたが、延々3時間、熱心な聞き手の方たちの前でお話することとなりました。
 話は1965年の”池谷・関彗星”の話がメインとなりましたが、発見の話ばかりではなく、発見者、池谷薫さんの、隠された人となりについても、いろんなエピソードを語りました。1965年10月、池谷・関彗星が太陽に迫ったとき、キューバのホセ・カレーヨ氏によって作曲された幻の曲"Ikeya-Seki"も初めてDVDによって会場で披露されました。これは、昨年の秋、キューバで、作曲家の属するメンバーが演奏会を開いた時の収録で、会の余興とは言え、私には重大な意味をもつ事件でした。あの日から実に43年も経っての初演となったのです。
 芸西の60cm反射望遠鏡でのメインの観測となった小惑星発見の話とそのエピソードもよく聞いてくださいました。星への命名にはいろんなことがありました。中には、そっと涙ぐむ場面も。しかし星への命名はロマンがあっていいですね。会場では、いつものことながら地元へのプレゼントを忘れませんでした。そう、天下の名山「六甲山」を命名することとなりました。無論芸西で発見した星です。
 私を慕って最後の席までお付き合いくださった何人かのファンが居られました。地元の豆田勝彦さんも其の1人で、豆田さんとは40年来の文通によるお付き合いでした。何冊かの私の本を持ってきてサインもしました。拙著「未知の星を求めて」の1966年発行の初版本や神田茂先生の「彗星」の綺麗な本を、近くの古書店で簡単に買ってもってきていました。本の中に、清水真一氏撮影のペルチャー彗星他の写真が挟んであったとは一種のミステリーです。一体もう一つの大彗星は何だったのでしょうか? 本の持ち主らしい名刺もナゾ。
 会をなにかとお世話された大西道一さんご夫妻から帰りに戴いた本、神田茂氏の「彗星と流星」には思い出がありました。20代の若き日、この本をテキストとして、天体の軌道計算にとり組んだ日々がありました。多くの小惑星の軌道計算に没頭し、一日の大半を数式と対数表をにらみ苦闘した青春のいい時期でした。私の20歳代は計算と捜索がすべてでした。会ではそのようなお話もいたしました。
 翌日も快晴でした。三宮から伊丹の空港に向かう高速バスの窓から北にそびえる六甲山が見えていました。この山並みにいくつかの大彗星がかかった名場面があったはずだと思いました。この名山が星空にそそり立つ日も近いだろうと思いながら、神戸を後にしました。高知までの空路は晴れて、早くも夏を思わす入道雲が高く盛り上がっていました。これからの希望のシンボルの如く、、、、。

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2009年05月09日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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