ここ高知市のほぼ中央を流れる江ノ口川の下流に近い弥生町に「地球33番地」という珍しい名所があります。
これは東経と北緯がすべて33で交わる交点で、その正確な場所は川幅が30mほどの狭い流れの中にあります。ここに記念碑が建ったのは30年ほど前ですが、比較的最近、新しく地球儀の形をしたジュラルミン製の新しい記念碑が浮かび上がりました。
1965年に「池谷・関彗星」を発見した頃に、この近くに或る新聞社の記者が住んでいました。彼は、事あるたびに取材にやってきていい文を書いてくれましたが、面白いことに自分の名刺に"地球33番地の近傍"と書いていました。なぜなら、この辺の町は、実にごちゃごちゃとした、分かりにくいところで、”地球33番地”の方がよほど分かりやすかったのでしょう。
一度、彼の家を訪ねた時、間違って一つ南の通りの同じ場所に行きました。ところが、その家の庭に立派な赤道儀の天体望遠鏡が2台並んで座っていました。無論知らない家ですが、世間には人知れず、天体の観測をやっている方も居るものですね。無論私も最初の星「クロムメリン彗星」を発見した頃には、私は誰も知らないずぶの素人で、中央からの発見のニュースで知った高知新聞の報道副部長が、夜っぴて散々探し回って、私の家を探し当てました。そして、翌日の朝刊にニュースがやっと間に合ったそうです。
そのような思い出を辿りながら、ポケットからスパイカメラのガミ16を出して撮影しました。エサミター25mm、f1.9レンズの描写はどうでしょうか。遠景の細かいディテールが見事に描き出されました。
地球33番地の記念碑
ガミ16で写す
私の愛機Gami 16は、ミラノのガリレオ社の社長"ガリレオ・ガリレイ"氏に修理を依頼しなくても、まだまだ完全に動いているようです。
ミラノのガリレオ社の作ったスパイカメラのガミ16
これは東経と北緯がすべて33で交わる交点で、その正確な場所は川幅が30mほどの狭い流れの中にあります。ここに記念碑が建ったのは30年ほど前ですが、比較的最近、新しく地球儀の形をしたジュラルミン製の新しい記念碑が浮かび上がりました。
1965年に「池谷・関彗星」を発見した頃に、この近くに或る新聞社の記者が住んでいました。彼は、事あるたびに取材にやってきていい文を書いてくれましたが、面白いことに自分の名刺に"地球33番地の近傍"と書いていました。なぜなら、この辺の町は、実にごちゃごちゃとした、分かりにくいところで、”地球33番地”の方がよほど分かりやすかったのでしょう。
一度、彼の家を訪ねた時、間違って一つ南の通りの同じ場所に行きました。ところが、その家の庭に立派な赤道儀の天体望遠鏡が2台並んで座っていました。無論知らない家ですが、世間には人知れず、天体の観測をやっている方も居るものですね。無論私も最初の星「クロムメリン彗星」を発見した頃には、私は誰も知らないずぶの素人で、中央からの発見のニュースで知った高知新聞の報道副部長が、夜っぴて散々探し回って、私の家を探し当てました。そして、翌日の朝刊にニュースがやっと間に合ったそうです。
そのような思い出を辿りながら、ポケットからスパイカメラのガミ16を出して撮影しました。エサミター25mm、f1.9レンズの描写はどうでしょうか。遠景の細かいディテールが見事に描き出されました。
地球33番地の記念碑
ガミ16で写す
私の愛機Gami 16は、ミラノのガリレオ社の社長"ガリレオ・ガリレイ"氏に修理を依頼しなくても、まだまだ完全に動いているようです。
ミラノのガリレオ社の作ったスパイカメラのガミ16