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荒城の月ファンタジー

 天文台に行く車の中で、FM第一放送を聞いていたら、ある日本の有名なソプラノ歌手が、日本古来の名曲「荒城の月」を独唱していました。久しぶりに聞くピアノ伴奏の素朴なこの曲はいいですね。本当に日本人の魂が通い、心の安住の地を得たたような気がしました。
 この土井・滝、名コンビの名作が、日本の音楽の教科書から消えるとき、それを惜しんで、私はある星に"Koujounotsuki"と命名して国際的に認可されました。作曲した滝廉太郎は若くしてこの世を去りましたが、詩人の土井晩翠は永く生きて多くの詩を残しました。
 荒城の月のモデルになった古城は、仙台の「青葉城」とか、九州の「岡城」とか言われていますが、私に言わせると、これはもしかしたら「大高坂城」即ち今の「高知城」ではなかったか?との淡い疑問を持っています。なぜなら晩翠の夫人は高知市の方で、晩翠は時々高知にやってきて、講演したり、また、山内容堂公の居城だった「高知城」を訪れたこたがあると想像されるからです。月の明るい晩に古城のほとりを歩いていたら、あの名詩に書かれている情景がそのまま再現されます。特に三の丸に近い、北側の石垣の径を歩いていたら、薙刀を持った武士が月光に影絵となって歩いて来るような錯覚も覚えます。そして月で明るい夜空に鳴き行く雁の群れ....。
 そうです、私の通っていた、旧制中学校はこの土井晩翠の作詞でした。

 ♪ 筆山吸江近くにありて
    明朗我らが環境うれし
     至誠を奉じて不断の励み
      学業報国我らが理想 ♪....。

 この歌詞は戦時中に作られたのですね。

 その大高坂城は今が桜の真っ盛りです。午前中のひと時、歩いてお城に上がってみました。見事です。花を見ていたら、県外からの観光客と思われる中年の女性から、
「坂本竜馬記念館はどちらに行ったらよいでしょう?」
と尋ねられました。
「私もそちらの方にかえりますから、途中までご一緒しましょう。」
と言って、案内することにしました。実は、1回も行ったことのないこの記念館は私の家から歩いて2~3分のところにあるのです。
 電車通りを歩いていたら、折りよく竜馬の生家の前に来ました。子供の頃は、ここが空き家になっていて、よくガキ大将らとほたえ(・・・)て遊びました。恐れ多くも坂本先生の生まれた家は戦前には子供の遊び場になっていたのです。目的の記念館はここから歩いてほんの200m。ここで観光客と別れて、家路に急ぎました。
 久しぶりの澄んだ青空に、道路脇の並木の桜が、早くも散り始めていました。


高知城と桜

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2009年04月02日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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