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私がチャンスを掴んだ日

 1961年10月11日、午前5時、高知市の空には雲一つない快晴の下、秋の星が燦然と輝いていました。
 人口25万の町の空は、静寂そのもので、わずかに地平線上には白い薄明が忍び寄ろうとしていました。
 そのとき、私はただ無心にレンズの中を横に流れていく無数の星星をみつめていました。確かに何も考えていなかった。地上わずかに10度。かなり白くなった薄明を押し返すように私は捜索を続けていたのです。
 このときチャンスが訪れたのです。尖鋭な星の像とともに、研ぎ澄まされたような私の心に白いほんのりとした彗星が映ったのです。それまで、ただ暗黒の水面下を蠢いていた私の人生の転機の瞬間でした。明るい光の輝く水面上に躍り出た瞬間でした。人生は訪れるチャンスによって変わる、まことに奇なものです。私が、その光芒を見た途端に「彗星!」と判断したのは、長い捜索の訓練によって、その星座「しし座のβ星の近く」には彗星と間違うような天体はないことを重々知っていたかなのです。新彗星「C/1961 T1」は7等級で、十分明るかったのですが、コマがわずかに2′と小さく、良好な光学系でないと、結構見逃してしまいそうな小天体でした。そうです、微光星と識別できないのです。
 私に一つの転換期を与えてくれた彗星は、800年ほどの周期で太陽系の果てまで旅立ちました。発見から47年経った今年の同じ日、私は芸西村の施設のなかで、やはりコメットシーカーを操りながら、あの時と同じしし座を見つめていました。無論彗星は見えませんでした。しかし、あの日から半世紀もの間、好きな星を見つめてこられたという充実感が、コメットシーカーを覗く私の心を埋めていました。
 あのときの9cmのコメットシーカーは、今も時々星を見せてくれます。しかし実戦から引退したものの、時々、私の講演会についていって演壇に座って、私の話を盛り上げる役目を演じてくれます。レンズはあのときの彗星の姿と、感激を忘れないのです。


9cmコメットシーカー

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2008年10月11日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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