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「月刊天文ガイド」が取材にきました

 5月14日~15日と「月刊天文ガイド」の佐々木夏記者と漫画家でライターのえびなみつるさんほかが取材にやってきました。もっともこのことは先に新潟県で「彗星会議」があったとき、参加していたお二人から申し込まれていたことでした。漫画家のえびなさんは1965年10月に「イケヤ・セキ彗星」に出会ったこと(中学生のとき)がきっかけで天文の道に入ったそうです。このとき彼が長崎県江迎町で撮った彗星のモノクロ写真は見事で私のホームページの「思い出の彗星」に使わせてもらっています。
 取材では私が高校生の時「ホンダ彗星」に出逢って彗星捜索にあこがれたことや、発見までの人の知らない苦労談についても話しました。芸西の天文台では、旧式ながら今なお現役の60cm反射赤道儀と共に写真を撮りました。重さが5トンもある巨大な鏡筒を電気系統の故障のため体で動かしている様子は、まるで重量挙げそのもの、昔日本軍が旅順の二零三高地を攻めたとき、砲兵が40センチ砲を懸命に操作している姿に見えたようで爆笑を買いました。(内緒にしていましたが重い望遠鏡を動かすための体力作りに今ジムに通ってトレーニングを積んでいるのです!?)
 60cmは故障のまま一年近くも手動で動かしているのです。しかし天体の位置はデジタルできちんと表示しますから、観測には差し障りありません。巨体の中にミクロの精度が同居しているのが天体望遠鏡です。
 この望遠鏡が出来たとき、「この器械と討ち死にするつもりでがんばる。」と心に誓ったことが今現実となって迫ってきているようです。
 このような一途な私の姿をうまく写真と文で表現していただきたい、と願っています。雑誌には7月号(6月5日は発売)にのせるそうで、ほかのコメットハンターの方にも取材が行くそうです。

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2007年05月15日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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