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白秋の歌った砂山の海に立って

 彗星会議が新潟県であって、その前日の4月6日に新潟市にやってきました。実は新潟市の海岸(奇居の浜)に北原白秋の「砂山」の記念碑が在るということで、それを見たかったのです。
 「砂山」は私が小学4年生のとき、受け持ちの岡本啓先生が教えてくれた歌でした。音楽の時間に「今日は先生の一番好きな歌を教えてあげましょう。私が独りで寂しいとき、いつも歌っております。」と前置きしてピアノを弾きながら歌って下さいました。

 海は荒海むこうは佐渡よ
  すずめ鳴けなけもう日が暮れた
   みんな呼べよべお星さまでたぞ

 「砂山」という題ですが、なんと素朴で美しい歌でしょうか。白秋が若いころ新潟市の師範学校に講演を依頼されてやってきたとき、見た海岸の風景を詩にしたものです。
 岡本先生は昆虫の専門家で、学科の理科の時間には大自然の中で昆虫の新種を求めて研究する楽しさを余すことなく私たち学童にお話して下さいました。私が自然に興味を持つようになり、遂には星が好きになったのも、この岡本先生のお陰であると確信しています。それが私の幼少期の大きな出会いでした。科学や音楽に秀でさては体育も得意な岡本先生は私たち学童の憧れの的でした。
 しかし学園での平和な生活は長くは続きませんでした。折から日中戦争の最中で、まもなく太平洋戦争が起ころうとする時期、先生は応召して戦火の中国大陸に渡っていかれたのです。沢山の学童や関係者に見送られながら校門を抜け消えて行った先生の後ろ姿はあれから半世紀以上経った今も私の眼底に焼き付いています。不出来だった私を励まし、夢を与えて下さった岡本先生は、永遠に消息を絶ったのでした。
 その先生の愛した「砂山」の作詞の元となった海を見たかったのです。白秋の見た海は晴れていたのか、曇っていたのか。歌詞に歌われた「ぐみ原」や砂山の面影はまったくなく、開発された無骨な防波堤に荒波が何事もなかったように打ち寄せ遥か遠くに佐渡の山がかすかに煙っていました。
 「ああ岡本先生!」
 私は海に向かって心の中で力強く叫びました。あたりにはいつの間にか蒼然たる夕闇が迫り、打ち寄せる潮騒の音のみがいつまでも響きわたっていました。


「砂山」の碑の前に立ちて

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2007年04月06日 13:47に投稿されたエントリーのページです。

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