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京都からの来客

 永い事「星の広場」の会長を勤めている城陽市の秋田勲さんの来訪をうけました。他に同行のNTTに勤務する本宮さんと亀山さんがご一緒でした。
 あれはたしか1975年頃でしょうか、アメリカのコメットハンターのボートルさんが来日した時、吉田さん(和歌山県の吉田茂さんだったと思います)と秋田さんとが付いて来られたように思いますが、私の記憶違いでしょうか。あの時は芸西の施設の天文台を見てから東の室戸岬に観光しました。藪保男さんや中野主一さんも来ていました。まだ芸西には60cm反射望遠鏡が出来ていない頃でウエスト大彗星の出現の少し前だったようです。
 今回は天文台に案内して6mドームの中の施設を見てもらいました。
 亀山さんはNTTの中の天文部の方で、テレスコープに詳しく、今後の芸西の新しい施設へのアドヴァイスを戴きました。亀山さんは、高知県土佐市に長く在住していたコメットハンターの池幸一さんを千葉県の自宅に訪ねて、情報を送って下さった方でした。池氏が長く愛用した12.5cmの屈折式コメットシーカーの写真も見せてくれました。私の9cmと同じ滋賀県の苗村氏の会心作で、1964年頃のコップ周期彗星の独立発見は池氏の唯一の成果でした。
 池氏は結果的には半世紀の長きに渉って彗星の捜索に親しまれた方で、成績はともかくとして私の良き同行者でした。1965年の「イケヤ・セキ彗星」の太陽面通過の時には山に海にと奔走して活躍し、貴重な観測を残しました。今ではその思いでも池さんの白髪が物語るように茫茫としてかすんでしましまいました。
 池さんのように黙々として陰で努力し、いまだ運悪くして報われない多くのコメットハンターが居られるに違いありません。4月の新潟県での彗星会議ではそうした悩みを抱える未知の方と話し合いたい気がします。私も15cmの反射式コメットシーカーで10年間努力し敗北した一人です。彗星は発見しない限り名が表面にでません。しかしその陰にきっと素晴らしい人がいらっしゃるに違いないのです。


芸西天文台にて
向かって左から秋田、本宮、亀山の各氏

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2007年02月26日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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