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久し振りで梶ヶ森に上がりました

 標高1400mの梶ヶ森には山荘があって60cmの反射望遠鏡を備えた天文台があります。12月15日に、ここからNHK高知放送局による中継のテレビ番組があって出演しました。梶ヶ森には凡そ光害を知らない美しい星空と大自然があって、山頂近くには極めて清冽な地下水が豊富に湧き出ています。
 温かい日でしたが夜の山では摂氏1度以下に下がりました。この日は奇跡的に晴れ、物凄い星空が頭上に展開されました。それまでのお天気が余りにも悪かったので、観測は半ば諦めていたのですが、この日は朝から快晴で、東京の局から取り寄せてたという、超高感度テレビカメラが、余す事なく、冬の星空を捉えて家庭に送りました。あのスバルも、双眼鏡で見る程度に星がモニターに現れて驚きました。スリットの間から見る星空は漆黒にまるで研ぎ澄まされたようなバックに星が輝き、この空だったら60cmでも20等星が写るでしょう。牡牛座あたりがボーッと光っているのは黄道の灯りで、秋の明け方に見る黄道光と同じ性質の光とみました。そう言えば10年ほど前にしし座流星群の観測会があった時、夜半に天頂に見える対日照が夕方早くも東の低空に輝いていたことを思い出しました。対日照は冬の天の川の最も淡い輝きより更に何分の一か暗い光芒ですから、如何に梶ヶ森の空が暗いかが分るでしょう。この日はたまたま高知工科大の先生が来てテレスコープを操って居られました。
 私も近くだったら度々通いたいのですが、いかんせん片道2時間の行程と、今も狭い頂上への道が難関となっています。しかし天文台をもつ大豊町経営の宿舎の居心地はいいですね。それに夜明けの太陽と眼下の吉野川を蔽う雲海が見事です。
 私がこの山に初めて登ったのは20歳の頃でした。当時は車の道はなく、JRの豊永の駅で降りて、延々4時間も歩いて登りました。山の7合目に古いお寺があって宿泊して、あくる朝の3時から山頂を目指しました。同じ寺に時久さんという山田高等学校の先生親子が泊まられていて、一緒に登山しました。それから10年の時が流れて、私が最初の彗星を発見した時、時久さんは私のことを憶えていて、お祝いの手紙を送ってくださいました。山で会った人は忘れられないものです。

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2006年12月15日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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